1967年6月、全員が白人の陪審員団は、モハメド・アリに、禁固5年と罰金10000ドルの判決を下した。
モハメド・アリはすぐに控訴した。
その後、アメリカ全州のボクシング委員会は、モハメド・アリの試合を行うことを禁止した。
いくつかの州は、彼のボクシングライセンスをも剥奪した。
さらにWBA(世界ボクシング協会)は、モハメド・アリから世界ヘビー級チャンピオンのタイトルを剥奪した。
また裁判が終わるまで、モハメド・アリは、政府からパスポートも取り上げられた。
これで海外で試合をする道も閉ざされた。
モハメド・アリは、無罪を勝ちとるために控訴審に挑んだ。
しかしルイジアナ州ニューオリンズの連邦裁判所は、一審を支持する判決を出した。
これで、後は最高裁判所に上告するしかなくなった。
モハメド・アリの弁護士は、世論の変化に弱い裁判所の特長を読み、上告の手続きをできるだけ引き伸ばす作戦をとった。
反戦
平和を我等に - ジョン・レノン (ベトナム反戦運動のテーマソング)
一方、モハメド・アリ同様、多くの若者も、自国の東南アジア政策に疑問を抱き、徴兵を拒否した。
彼らは5年の禁固刑( 懲役刑と異なり刑務所に入るだけで労働の義務はない)、あるいは長期間、外国へ逃げることを覚悟の上で、そのような選択を行った。
アメリカは、毎月、数十億ドルの戦費を使って、毎週100人近くのアメリカ兵が死に、500人以上が負傷した。
やがて進展しない戦局に、ベトナム反戦運動は拡大し、大規模なデモや集会が行われ、世論調査で、ベトナム派兵は誤りだとする人は50%を超えた。
アメリカ全軍からの脱走兵は数万人に上り、帰還兵の多くも反戦運動に加わった。
モハメド・アリは、全米の大学を公演して回り、そのカリスマ的魅力から人気者になった。
またラジオやテレビのトークショーにも出演した。
キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)暗殺
【1968年4月4日】 キング牧師暗殺、ベトナム戦争の泥沼の中
キング牧師の暗殺は、各地で暴動を引き起こした。
未だアメリカ社会は、黒人と白人に分離されていた。
カムバック
Muhammad Ali vs Jerry Quarry I - October 26, 1970
それはすでに泥沼化していた。
多くのアメリカの国民は、勝ち目のない戦争を終わりにしてほしかった。
モハメド・アリの弁護士は、今なら最高裁判所は、モハメド・アリの無罪を認めるだろうと考えた。
1970年6月20日、モハメド・アリのボクシングライセンスまで奪ってしまったのは違法である-という裁判所の判断が出た。
その3ヵ月後には、黒人有権者が多いジョージア州のアトランタ市の市長に、黒人政治家が働きかけ、モハメド・アリの試合を行う許可を得た
1970年10月26日、モハメド・アリとジェリー・クォーリーの試合が行われた。
これはタイトル戦ではないが、不敗のまま世界ヘビー級チャンピオンのタイトルを取り上げられたモハメド・アリにとって特別な試合だった。
3年半ぶりの試合に向け、懸命にトレーニングした。
その3年半、徴兵拒否罪に対する法廷闘争、人種差別撤廃運動、ベトナム反戦運動、・・・モハメド・アリはアメリカのヒーローだった。
黒人も、白人も、学生も、労働者も、会社員も、ヒッピーも、みんながカムバックを応援した。
ジェリー・クォーリーも、尊敬する元世界チャンピオンに果敢にアタックした。
試合はモハメド・アリが3R、TKO勝ちし、プロ入り後、30連勝(24KO)となった。
ロープ・ア・ドープ(Rope a Dope、ロープ際のまぬけ)
Muhammad Ali vs Joe Frazier 1 Highlights
モハメド・アリは「6R、KO」を予告した。
この試合は、初の宇宙中継で、世界中の3億人の人々に観戦された。
試合会場のマジソン・スクエア・ガーデンも135万ドルというチケットの最高売り上げ記録となった。
ジョー・フレージャーは真正面から向かっていった。
アリはその攻撃をフットワークでかわすのではなく、左ジャブでけん制しながら、ロープによりかかったり、ロープの弾力を利用したりして、ジョー・フレージャーの攻撃に対応した。
ロープ・ア・ドープ(ロープ際のまぬけ)作戦だった。
これはロープ際で防御している自分を攻め続けるまぬけ(ドープ)な相手ということである。
ジョー・フレージャーは、かなりのパンチを出したが、ほとんどはかわされたりブロックされた。
5Rには、ジョー・フレージャーは両腕を下してノーガードになり、モハメド・アリを挑発した。
9R、突然、モハメド・アリのフックがジョー・フレージャーを痛打した。
モハメド・アリが追撃するとジョー・フレージャーはふらつきながら顔面をガードするし、何とか生き延びた。
12R、ジョー・フレージャーの攻撃で、モハメド・アリはフラフラになった。
最終の15R、KO決着はないと思われた、その瞬間、ジョー・フレージャーの左フックでモハメド・アリはダウンした。
何とか立ち上がった後、2人はにらみ合った。
そして試合は終わった。
ジョー・フレージャーが勝った。
モハメド・アリは、(プロ入り後、)初の敗北だった。