イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに
2024年2月18日 更新

イベンダー・ホリフィールド 戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇 そしてヒーローに

幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。

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1955年12月1日、アメリカ南部アラバマ州、その州都、モンゴメリーで有名な事件が起こった。
その日、42歳の黒人女性、ローザ・パークスは、百貨店での裁縫の仕事を終えて帰宅するために市営バスに乗った。
アラバマ州を含むアメリカ南部は「人種分離法」が施行されていて、あらゆる場所で黒人と白人は隔離され、バスも前半が白人席、後半が黒人席と決まっていて、ローザ・パークスは黒人席の最前列に座った。
やがてバスが混んできて、立っている白人客が増えると、運転手は白人席を増やそうと黒人席の最前列に座る4人に席を空けるよう指示。
他の3人は従ったが、ローザ・パークスは応じず、運転手が
「なぜ立たないのか」
と詰問すると
「立つ必要は感じません」
と答えた。
運転手は警察に通報し、ローザ・パークスは市条例違反で逮捕された。
警察署で手続きが終わると一時、拘置所に入れられたが即日保釈され、やがて市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告された。
モンゴメリーの教会の牧師、26歳のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、それを知ると抗議のためにバス・ボイコットを呼びかけた。
肌の色を問わず多くの市民がこれに応じてバスを利用しなくなったことで市は経済的に大きな打撃を被った。
ローザ・パークスは、バス車内の人種分離の条例は違憲であるとして控訴。
事件から約1年後、連邦最高裁判所は違憲判決を出し、公共交通機関における人種差別は禁止され、381日間続いたボイコット運動は、判決の翌日に収束した。
これがきっかけとなって人種差別を撤廃するための「公民権運動」が全米で起こった。
ジョン・F・ケネディ大統領は、差別制度を禁止する立法を行った。
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「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」から7年後、1962年の10月19日、「The Real Deal(真の男)」イベンダーホリフィールド(Evander Holyfield)は、アラバマ州アトモアで9人兄弟の末っ子として生まれた。
アトモアは、州都モンゴメリーとモービルを結ぶ幹線道路から少し離れた場所にあり、リスや鹿、ポッサム、キツネなどが走り回る、公民権運動やデモとは無縁の静かな村だった。
母親のアニー・ローラ・ホリフィールドは、元々、アラバマ州の隣、ジョージア州アトランタに住んでいたが、長女、ジョー、次女、エロイーズ、長男、ジェームス、三女、プリシラ、四女、アネットを産んだ後に離婚。
夫のジョセフは、ミシガン州で新生活を始め、アニーは、しばらくアトランタに住んでいたが、親戚から自分の母親(イベンダー・ホリフィールドの祖母)が重病だと知らされると看病するためにアラバマ州のアトモアへ。
祖母は脳卒中で重体だったが、介護のかいあって危機を脱した。
祖母、パーリー・ベアトリス・ハットンは、神への信仰と意志が非常に強い女性で、車椅子生活になりながらも家族のために家事をこなした。
すでにアトランタで仕事をしていた長女、ジョー以外の4人の子供を連れてアトモアにやってきた母親は、レストランでコックとして働き、やがてアイソン・コーリーに出会い、ウィリー、バーナード、イベンダーという3人の男の子を産んだ。
2人は結婚するはずだったが、許せない事が起こり、突然、終わりを迎えた。
だからホリフィールド家は、

祖母、ハットン
母親、アニー
次女、エロイーズ
長男、ジェームス
三女、プリシラ
四女、アネット
次男、ウィリー
三男、バーナード
四男、イベンダー

という9人家族だった。
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母親のアニーは、並外れて勤勉で、車もバスもないので毎日、どんな天候でも朝早く片道45分歩いて通勤し、深夜近くに帰ってくるのが当たり前だった。
そして週6日働いた後日曜は教会へ通った。
イベンダー・ホリフィールドの兄や姉も、村の中で綿摘みやペカン(クルミの一種)の収穫、レストランのウエイトレスなどの仕事をしていた。
母親は、幼いイベンダー・ホリフィールドに、どうして朝から晩まで働くことができるのか聞かれると
「世の中は、いつも公平であるとは限らないのよ。
でもそれは耐えられないほどの公平ではないわ。
神様は私たちが耐えきれないような苦しみはお与えにならないのよ。
人生の中には苦いものも甘いものもあるの。
大事なことは甘いものと一緒に苦いものをどのようにして受け入れるかを学ぶことなの。
髪を愛し、神の目的に従って神のしもべを務める者には、すべてがうまくいくと神様自身がおっしゃっているわ。
人を愛していれば、早く起きて、遅く寝ることはつらいことではないのよ。
むしろ喜びなのよ」
と答えた。
イベンダー・ホリフィールドは、
「母親から強い労働倫理、逆境に直面しても辞めない姿勢、深いキリスト教信仰を植えつけられた。
自分の成功は、自分をこのような性格に育てた母親のおかげだ」
といっている。
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イベンダー・ホリフィールドが1歳のとき、南部、テキサス州ダラスでケネディが暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンが第36代アメリカ合衆国大統領になった。
リンドン・ジョンソンは、ケネディの遺志を継ぎ、「Great Society(偉大な社会)」の実現を掲げ、黒人の社会的・経済的地位を向上させるために貧困問題や失業問題のために10億ドルを拠出し「公民権法」を成立させようとした。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する集会をワシントンで行い、著名人を含む20万人を超える人と共に大行進。、
リンカーン記念堂の前で行った演説で、
「I Have a Dream」
という有名な言葉を世に放った。
2歳のときに「公民権法」成立し、その1ヵ月後、南ベトナムを軍事援助していたアメリカの駆逐艦が魚雷艇の攻撃を受け、直ちに北ベトナムを爆撃するという「トンキン湾事件」が発生。
リンドン・ジョンソン大統領は
「アメリカ軍に対する攻撃を退け、さらなる侵略を防ぐために必要なあらゆる手段をとる」
と宣戦布告し、アメリカはベトナム戦争に突入した。
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ボクシングでは、WBA、WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、ソニー・リストンが、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)の挑戦を受けた。
ソニー・リストンは、服も靴も食べるものもなく、教育を受けることもなく、2人の妻との間に25人もの子供をつくったアルコール依存症の父親に虐待されながら育ち、暴力に耐えかね逃げ出した母を追うように家を出たが、読み書きができない黒人少年にまともな仕事はなく、10代前半で強盗団を組織し、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕され、刑務所で神父に教わってボクシングを覚えた。
身長184cm、213cmという長いリーチと周囲38cmという大きな拳、そしてすさまじい殺気を放つボクシングで世界ヘビー級チャンピオンとなり、
「最強」
と称えられるより
「最凶」
と恐れられていた。
一方、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)は、ローマオリンピック、ライトヘビー級金メダリストで、プロ入り後、19連勝。
試合前にKOラウンドを予告するなどのビッグマウス、ヘビー級では珍しい華麗なアウトボクシングでファンを興奮させていた。
このときも試合前に
「お前は醜い」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
「8ラウンドで俺の偉大さを証明してやる」
などと挑発。
賭け率は、7対1でソニー・リストン有利だったが、6R終了時にパンチのダメージのために棄権し、TKO負け。
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)は
「俺は王様だ」
「俺は美しい」
「俺は最高だ」
「俺は偉大だ」
と叫んだ。
イベンダー・ホリフィールドが3歳のとき、2人は再戦し、1R、2分12秒でカシアス・クレイ(モハメド・アリ)がKO勝ちした。
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4歳のとき、1つ上の兄、バーナードと家の外の芝生の上で転げ回って遊んでいると庭の柵の向こうに背の低い見知らぬ男がきて
「ヘイ、坊主たち
こっちへ来いよ」
といわれた。
男は明らかに酔っぱらっていて
(知らな人と話してはいけない)
と思いながら無言で立ち尽くしていると無視されたと思った男は庭の中に入ってきた。
すると鎖でつながれた愛犬のラッシーが吠えはじめ、侵入者に向かって唸り、鎖をいっぱいに引っ張って飛びかかる動きすらみせた
ただならぬラッシーの吠え方に様子をみに出てきた姉、アネットが大声で
「出てってよ。
今すぐに。
聞こえたでしょ。
出ていきなさい」
といった。
酔っぱらいは、それを無視し、拳を振り上げながら鎖を伸びしたラッシーにギリギリまで近づいては離れ、近づいては離れを繰り返した。
悪質な挑発行為が1分ほど続き、ラッシーの怒りが爆発。
そのパワーで鎖が外れ、侵入者に向かって全力で突進。
酔っぱらいは甲高いを声を出しながら逃げ出した。
その表情をみて、兄弟は大笑い。
庭の外まで追っていったラッシーは、数分後、帰ってきた。
兄弟は、いつもの落ち着きと人懐っこさを取り戻したラッシーに鎖をつけ直し、水をあげた。
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1時間後、男が保安官を連れて戻ってきた。
アネットは、
「この犬は弟たちを侵入者から守ろうとしただけで、いわば義務を果たしただけ」
と男が庭に侵入し、ラッシーをからかったと説明。
腕組みをしながら聞いていた保安官は
「この人から聞いた話と違う。
この人は道を歩いていたら、この犬がフェンスを飛び越えて襲ってきて、危うく噛まれそうになったといっている」
「彼はウソをついているわ」
アネットは男を鼻で指し、バーナードも
「その通りだよ、保安官。
この人は1時間半前には今みたいに紳士のようじゃなかった。
家の庭に入ってきてうちの犬をからかったんだ」
といった。
「もういい」
保安官は話を遮り、
「話は十分に聞いた。
どうやら犬は射殺しなければならないようだな」
兄弟は顔を見合わせた。
誰も、この決定が信じられず、
イベンダー・ホリフィールドは、
(これは絶対に間違っている)
は思った。
保安官は車から黒いショットガンを取り出し、イベンダー・ホリフィールドが目をいっぱいに開いてみつめる中、弾をこめ始めた。
そして銃を持った保安官は、そばを通ってラッシーがいる場所へ。
「早く家に入りなさい」
アネットは、弟たちに命令。
イベンダー・ホリフィールドたちは従ったが、家の中に入ると一目散に窓際へ。
ガラス越しに膝を折った姿勢で、軒下のラッシーに狙いをつける保安官を目撃。
自分たちの位置はラッシーの真上だったが、低い唸り声も聞こえた。
さらに吠えはじめ、
「ジャラジャラ」
と鎖の音が聞こえた後
「バーン、バーン」
っち2発の銃声がこだました。
恐ろしい反響音が消えると、保安官は何事もなかったように車に向かって歩き、エンジンをかけ、走り去った。
男も満足そうな顔で歩いていった。
イベンダー・ホリフィールドは兄と庭に走り出た。
軒下には黒い血だまりができていて、弾を撃ち込まれて蜂の巣のように無数の穴が開き、毛皮のようになったラッシーがいた。
正義の名のもとに行われた理不尽な出来事に兄弟たちの気持ちはおさまることはなく涙を流した。
やがて帰ってきた長兄、ジェームスと次兄、ウィリーもラッシーの死を聞かされて悲しみ、怒りに拳を握り締め、肩を震わせた。
彼らはティーンエイジャーだったが、村で働くことで、すでにいろいろな苦い経験をしていた。
ラッシーは祖母がつくったキルトの布に包まれ、庭に掘った穴に埋葬された。
ラッシーの悲劇は、イベンダー・ホリフィールドに厳しい現実を教えた。
そしてこのときの無力感が、真の強さを求める原動力となった。
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1967年、WBA、WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリがベトナム戦争への徴兵を拒否したため、ボクサーライセンスとタイトルを剥奪された。
ベトナムの戦費は年々増え続け、アメリカを圧迫。
また人道的見地からもアメリカ国内を含む世界中で反戦運動が起きていた。
一方、5歳のイベンダー・ホリフィールドは、この年、聖書的体験をした。
真夜中にトイレに行ったとき、キッチンに誰かいるような感じがしていってみるとテーブルのそばにハゲ頭の大男が立っていたのである。
驚いて無言で立っていると、男は笑みを絶やさずに話しかけてきて、数分間会話。
そして男が近づいてきて、頭を撫でられた。
イベンダー・ホリフィールドは走って眠っている母親の部屋にいき、キッチンに男がいると訴えた。
昼間の仕事で疲れている母親は
「そう、キッチンに男がいるの。
よかったね。
もういい加減にベッドに戻って寝なさい」
と本気にしてくれない。
イベンダー・ホリフィールドは薄暗い廊下を走って、自分たちのベッドに飛び込んで眠ってしまった。
それから毎日、真夜中になると勇気を出してベッドを飛び出しキッチンへ。
すると必ず背の高い男がいて、おしゃべりをし、母親の部屋にいって男がいると報告し続けた。
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1週間後、男と話した後、母親の部屋にいったが相変わらず本気にしてもらえず、自分たちのベッドへ。
その後、母親は、連日の睡眠妨害に腹を立てながら起き出し、キッチンにいって冷蔵を開けた。
そしてミルクをコップに注ぎ、冷蔵庫を閉めた後、悲鳴を上げてコップを床に落とした。
その音で各部屋で人が起き、ドアが勢いよく開き、全員がキッチンに集合し、床のミルクとコップの破片を踏まないように立った。
母親は恐怖で震えながら
「お、男がいるわ」
エロイーズは、
「誰もいないわよ」
といったが、母親は
「背の高い、ハゲ頭の黒人の男が私に向かって笑いかけていたのよ!」
驚いて悲鳴を上げたら消えてしまったわ」
といった。
イベンダー・ホリフィールドは、自分がみた男を説明した。
他の兄弟たちから質問攻めにあっていると祖母が厳粛な声で
「その人は主がおつかわしになった天使だったのさ」
すると家族に静寂が流れ、祖母は、さらに
「天使が子供に手を差し伸べて頭を軽くなでてくれたことは神の聖別を与えてくださったことなのさ。
神の贈り物で祝福してくださったんだよ」
といった。
祖母は、このキッチン騒動以降、イベンダー・ホリフィールドを厳しく躾けるようになった。
「神に祝福された者たちに与えられる特別な者たち」
と信じ、最善を尽くそうと思ったのである。
一方、イベンダー・ホリフィールドは、騒動後も大男とキッチンで何度か会ったが、交わした会話は、何1つ覚えていないという。
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この後、ホリフィールド家は、アラバマ州アトモアからジョージア州アトランタにある長女、ジョー・アン・の家に引っ越した。
ジョー・アンは、母親と兄弟がアトモアに行った後もアトランタの電話会社で働き続け、結婚もしていた
家には4つのベッドルームがあり5人(アン、夫、3人の子供)が住んでいたが、一気に9人増えて14人になった。
母親はシェフ、エロイーズは人材派遣会社、プリシラとアネットはレストン、ジェームズとウィリーは建設関係の仕事に出ると、家には祖母、アンの子供アントニー、アンジェラ、アリサ、バーナード、5歳のイベンダーが残った。
祖母は、イベンダー・ホリフィールドが何か間違いを犯せば、聖書の中の最も適切な章節を
「何々書、第何章の第何節だよ」
といって暗唱した後、
「お前たちがまいた種だ」
といいながら腕をつねった。
アトモアに比べ、アトランタはかなり都会で、イベンダー・ホリフィールドは、
「ユートピアだ」
と思った。
最初はフェンスに囲まれた家の敷地内で遊んでいたが、やがて道路に出て、近所の子供とフットボールやギャングごっこ、バスケットボール、かくれんぼなどをした。
しかし祖母は、
「道路に出てはダメ。
私の目が届かなくなるから」
と禁止。
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