「訃報」闘将・星野仙一さん70歳で逝去、打倒巨人を掲げ続けた名投手であり名将でした。
2018年1月6日 更新

「訃報」闘将・星野仙一さん70歳で逝去、打倒巨人を掲げ続けた名投手であり名将でした。

2018年1月4日、日本プロ野球界の闘将・星野仙一さんが亡くなったという訃報が届きました。現役時代は中日ドラゴンズのエースにして打倒巨人・打倒ON(王・長島)を徹底して貫き、通算146勝121敗34セーブ。現役を退いた後は監督として中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天ゴールデンイーグルスの3球団を優勝に導き「闘将」と呼ばれました。

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2018年1月4日、日本プロ野球界の闘将・星野仙一さんが亡くなったという訃報が届きました。

「燃える男」星野仙一

星野仙一さん70歳での死去という突然の訃報。

私たちの記憶に新しいところでは若い球団、楽天ゴールデンイーグルスを率いての日本一戴冠。
2017年には野球殿堂入りも果たしたところでした。

巨人を倒すために野球人生を捧げた「闘将」

現役時代は中日ドラゴンズのエースにして打倒巨人・打倒ON(王・長島)を徹底して貫き、通算146勝121敗34セーブ。
現役を退いた後は監督として中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天ゴールデンイーグルスの3球団を優勝に導き「闘将」と呼ばれました。
1999年には自身2度目のリーグ優勝

1999年には自身2度目のリーグ優勝

2017年には野球界への貢献が認められて野球殿堂入り、2017年12月1日に大阪で開催された「野球殿堂入りを祝う会」が最後の表舞台となりました。がんで闘病中だったとされています。

憧れから、終生のライバルとなった巨人・ON

中日のエースとして闘争心をむき出しに挑んだ相手は巨人。

ONこと長嶋茂雄・王貞治を擁しV9と無敵の強さを誇った時代の巨人相手に、生涯成績のうち35勝31敗と勝ち越しを記録し、巨人キラーとしてその名を轟かせました。

対巨人戦30勝以上を記録する投手の中で勝ち越しているのは他に平松政次と川口和久ですが、その中でも最高勝率を誇っています。

実は阪神キラーでもありました

元々は阪神ファンだった星野さん。
現役時代の生涯成績のうち、対巨人戦を上回る通算36勝はその阪神相手に挙げた勝利でした。

監督としては1987~2001年の14年間と長く中日の闘将として活躍した後2002、2003年と阪神を率いましたが、2003年には見事阪神をリーグ優勝に導きました。

若き楽天を日本一へ

2011~2014年は、若き楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めました。

東日本大震災の傷を仙台・東北の方々と分かち合い、勇気を与えるべく奮闘した星野さん。チームは2013年に見事日本一の栄冠を手にしました。

熱き魂と男の美学、その姿は闘将でした

[プロ野球] 男 星野 完全版

70歳、あまりにも突然で早すぎる訃報でした。
ご冥福を心よりお祈り申し上げ、その輝かしい足跡を記して参ろうと思います。
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