昔、プロ野球で使用された懐かしい球場 ドームより良かった!!
2016年11月25日 更新

昔、プロ野球で使用された懐かしい球場 ドームより良かった!!

今ではプロ野球で使用される球場の多くがドーム型球場となり、雨でも開催されるというメリットがある一方で、昔の球場を振り返ると屋外の方が気持ちがよくて良いという人も多はず!

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後楽園球場

後楽園球場

後楽園球場

昭和生まれなら誰もが知っている後楽園、1936年(昭和11年)12月に株式会社後楽園スタヂアムを設立でした。
1952年(昭和27年)にプロ野球では正式にフランチャイズ制度が導入されたが、後楽園は巨人、国鉄、東急、毎日、大映の5球団が本拠地として構えるなど日本一の球場の名を縦にした。その後、1953年(昭和28年)に東急が駒沢球場へ、毎日と大映の合併でできた大毎が1962年(昭和37年)に東京球場へ、1964年(昭和39年)に国鉄が神宮球場へそれぞれ移転するものの巨人戦の大きな観客動員数に支えられ、日本野球のメッカとしての不変の地位を得た。
後楽園球場

後楽園球場

バックスクリーンの広告などにも注目していただきたい。その時代の強かった企業スポンサーが見えてきます。
後楽園球場のチケット

後楽園球場のチケット

こちらは、後楽園球場での日本シリーズ(1987年)のチケットのようです。
競輪場跡に東京ドームが建設されたことで球場としての役割を東京ドームに譲り、1987年(昭和62年)11月8日に開催された巨人ファン感謝デーのイベントを最後に閉鎖・解体された。このイベント終了後、スタンドの椅子などを取り外して持ち帰ったファンもいたと言われている。

東京スタジアム

1962~1972 東京・ロッテ

1962~1972 東京・ロッテ

東京スタジアムという名前が良いですね。そして、東京でも荒川区にあったということで庶民的球場だったとか。
東京スタジアム(とうきょうスタジアム)は、かつて東京都荒川区南千住にあった野球場で、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの前身にあたる毎日大映(後の東京、ロッテ)オリオンズが本拠地として使用していた。施設の運営管理は、かつてオリオンズのオーナー企業だった大映の関連子会社である株式会社東京スタジアムが行っていたが、1972年(昭和47年)限りで閉鎖され、1977年(昭和52年)に解体された。また、「東京球場」という通称でも呼ばれていた。
こち亀で取り上げられる

こち亀で取り上げられる

大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、庶民が下駄履きで気軽に通えるような球場だったとか、まさにこち亀っぽいですね。
当時のワンマンで知られた大映オーナー、永田雅一の願望で誕生。通称は東京球場。こち亀で取り上げられた成果か、認知度は意外とあったり。下駄履きで試合観戦ができる球場として、下町の人からは親しまれていた。
光の球場

光の球場

当時の南千住にはマンションなどの高層建築物はなく、低い平屋や二階建ての住宅が建ち並ぶ下町の街並みに忽然と現れた巨大なスタジアムから、夜になるとナイター照明が放つ光が周辺に瞬く光景からしばしば「光の球場」とも形容されていた。しかし、一方でナイター終了後に照明が消えると夜蛾が一斉に周辺の民家になだれ込んだため、一種の公害にもなっていた。
巨人軍/後楽園とはライバル関係

巨人軍/後楽園とはライバル関係

大映オーナー、永田雅一氏はライバルは後楽園という意識が強かったそうです。
出典 89fan.jp
当時セ・リーグ、とりわけ巨人に対して強烈なライバル意識を持っていた。その一端を示す事柄として、他のセ・リーグの首都圏球団である国鉄(後にサンケイ、ヤクルト)や大洋には東京スタジアムでの主催試合開催を許可したものの、最も収益が期待できるはずの巨人にだけは、基本的に最後までスタジアムの貸出を拒否し続けたということが挙げられる。

川崎球場

川崎球場

川崎球場

大洋が55年から本拠地にしたが、大洋が横浜に移転し、78年からはロッテが本拠地として利用していました。そして、この球場の特徴と言えば、とにかく狭い球場。本塁打が最も出る球場と言われていました。
外野の広さは公称こそ両翼90m、中堅120mだが、実際はもっと狭く、また左中間や右中間の膨らみもほとんどなかった。実測値は両翼89m、左中間105m、中堅118m、右中間103mで、実際にはこれよりさらに狭隘だったとする説もある。実際に当時、一部新聞発表で両翼は実測87mと記載があった。そのため、当時の球場の中でも狭くて本塁打の出やすい球場として知られた。
川崎球場

川崎球場

お客さんが少ない。この時代の川崎球場の名物かもしれませんが、やたらとアベックが多い。何をしに来たのか分からないですが、人が少ないからか、いちゃついて観戦する人を多く見かけました。
ロッテの応援団さんというのは、本当のファンというよりも、「ロッテ社の社員関係者」が多く、会社で動員をかけられたとき(土曜日曜とか)はそこそこの人数がいるが、動員されないときは、ものすごく少なかったです。

当時、「南海ホークスのファンは関東では15人しかいない」と言われた時代(私はそのなかの一人)でしたが、「一塁側内野席のロッテファンよりも、3塁側の南海ファンのほうが多いんじゃないの?」と思ったことも何度もありました。
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  • 🤖 2020/2/5 17:45

    後楽園球場の下からスーパーロボットが出動する
    戦隊ヒーローがいた

    2018/5/29 16:23

    平和台球場は?

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