日本海軍最高の武勲艦:駆逐艦「雪風」 奇跡の駆逐艦「雪風」は沈まない。
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太平洋戦争(大東亜戦争)当時の主力駆逐艦(睦月型駆逐艦、吹雪型駆逐艦、初春型駆逐艦、白露型駆逐艦、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦、丙型島風)約100隻の中で、雪風は数少ない終戦まで生き残った駆逐艦である。
日本海軍の駆逐艦は激戦区に投入され非常に損耗率が高かったが、雪風は第16駆逐隊や第17駆逐隊の姉妹艦(初風、天津風、時津風、浦風、磯風、浜風、谷風)、第27駆逐隊の時雨等と共にスラバヤ沖海戦から坊ノ岬沖海戦(戦艦大和特攻)まで16回以上の主要な作戦に参加した。
その中でも雪風は戦果を上げつつ一度も大きな損傷を受ける事なく終戦を迎え奇跡の駆逐艦と呼ばれた。戦中より雪風のその幸運ぶりは広く知られ、呉の雪風、佐世保の時雨と謳われた。
艦船模型の駆逐艦コレクションに日本海軍最高の武勲艦「雪風」(ピットロード)は欠かせません!
雪風 1940年(昭和15年)1月の撮影とされる。
雪風は強運艦であると同時に不沈艦、不死身の艦として味方の兵の間で有名であり、ラバウルやソロモン泊地では、同じく不沈艦として有名だった時雨と共に「呉の雪風、佐世保の時雨」と称えられたとある。
原為一 『帝国海軍の最後』p.128 河出書房新社、1995年。ISBN 978-4-309-24557-7。
原為一 『帝国海軍の最後』p.128 河出書房新社、1995年。ISBN 978-4-309-24557-7。
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戦後、文藝春秋誌上にて三川軍一、淵田美津雄、千早正隆ら戦争体験者36名に日本海軍637隻から名艦ベスト5を選ぶ企画を行った所、雪風(11票)は大和(20票)、瑞鶴(12票)に続く3番目の投票数を得た。
この時の選考者は艦隊司令官から一兵卒までの元軍人、更に造船官や随伴報道員といった広い範囲から意見を募ったが、嘗て雪風に乗り組んだ関係者がいない中での高評価である。
大和が当代希にみるスケールの大きな戦艦と優秀な設計、瑞鶴が優れた武勲と翔鶴型空母の設計の優秀さから名艦として評価され、雪風は「出撃いとまなく東奔西走し終戦まで生き長らえた名駆逐艦」(青山光二元上等衛生兵、戦後は作家)、「戦争中の最大の働き手であった駆逐艦の代表として最も相応しい艦」(千早正隆元連合艦隊参謀、戦史作家)、「その活躍は航空母艦と同様に最も華々しく具体的なものではなかったか」(森下泰元海軍主計大尉、戦後は参議院議員)など、太平洋戦争中の働きと活躍を評価されている。
軍事評論家の伊藤正徳は著書「連合艦隊の栄光」において雪風を世界一の幸運艦として紹介し、「軍艦としての武運長久などの形容詞より、幸運(好運)という平凡な表現の中に雪風の偉大さを求めたい」と記した。
魚雷を発射する「雪風」(ピットロード)
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日本海軍の名艦列伝:駆逐艦「島風」 日本海軍駆逐艦「島風」は、「大和」が日本戦艦の最高峰であるのと同様に、日本駆逐艦の究極とも言うべき存在。
島風 (島風型駆逐艦) 最速の駆逐艦。
1941年に起工した、高速重雷装の最新型・島風型駆逐艦一番艦が「島風」である。
当初の計画では同型艦を16隻建造する予定だったが、太平洋戦争開始後の戦術の変更(ミッドウェイ海戦敗戦後以降、日本海軍のお家芸である「水雷戦」から「空母・航空戦」重視に戦術は変わっていった)に伴い、「島風」のみで建造は中止されてしまい、島風型唯一の駆逐艦となってしまった。
次世代の駆逐艦を目指し、「より速く」をコンセプトに設計された島風は、飛び抜けた機動性を持ち、回避力が高く、雷撃戦能力(5連装魚雷を3つ備える)も飛びぬけて高いために、総合的な性能において駆逐艦カテゴリーをはるかに越えた存在でした。
島風(しまかぜ)は、角川ゲームス開発、DMM.comより提供されている艦隊型育成シミュレーション『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場するキャラクターとしても大人気になっています。
当初の計画では同型艦を16隻建造する予定だったが、太平洋戦争開始後の戦術の変更(ミッドウェイ海戦敗戦後以降、日本海軍のお家芸である「水雷戦」から「空母・航空戦」重視に戦術は変わっていった)に伴い、「島風」のみで建造は中止されてしまい、島風型唯一の駆逐艦となってしまった。
次世代の駆逐艦を目指し、「より速く」をコンセプトに設計された島風は、飛び抜けた機動性を持ち、回避力が高く、雷撃戦能力(5連装魚雷を3つ備える)も飛びぬけて高いために、総合的な性能において駆逐艦カテゴリーをはるかに越えた存在でした。
島風(しまかぜ)は、角川ゲームス開発、DMM.comより提供されている艦隊型育成シミュレーション『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場するキャラクターとしても大人気になっています。
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島風は1943年(昭和18年)4月7日の過負荷全力公試で排水量2,894トン、出力79,240馬力において40.90ノットを記録した。これは魚雷艇を除いた艦艇の最高記録である。
日本駆逐艦の究極とも言うべき存在の「島風」は模型映えも抜群です。
高速重雷装の駆逐艦「島風」は、機動力と3基の5連装魚雷によって、飛びぬけた雷撃戦能力を持っていた。
ピットロード「1/700 日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」
http://pit-road.jp/?p=1495
を使用した今回の模型作例の画像より
ピットロードの次世代の精密さを誇る新装備パーツ(NEシリーズ)「日本海軍 九六式25mm三連装機銃」や「5連装魚雷」などの兵装パーツは、リアルに島風の重武装を再現しています。
http://pit-road.jp/?p=1495
を使用した今回の模型作例の画像より
ピットロードの次世代の精密さを誇る新装備パーツ(NEシリーズ)「日本海軍 九六式25mm三連装機銃」や「5連装魚雷」などの兵装パーツは、リアルに島風の重武装を再現しています。
空襲下の島風(1944年11月11日)。速力は落ち、艦首へのダメージにより艦首波も乱れている。この写真の撮影直後に島風は爆発・沈没した。
レイテ沖海戦で轟沈してしまった軽巡「能代」に代わって、「島風」が第二水雷戦隊の旗艦となっている。
「島風」の最期は、輸送船の護衛中に狭い湾内で敵戦闘機に空襲され、高速で魚雷や爆雷を回避し続け全弾回避したものの、機銃掃射で蜂の巣にされてしまい浸水し、それによって速度が出せなくなり、ついに機関がオーバーヒートして爆発、轟沈という壮絶なものだった。
「島風」の最期は、輸送船の護衛中に狭い湾内で敵戦闘機に空襲され、高速で魚雷や爆雷を回避し続け全弾回避したものの、機銃掃射で蜂の巣にされてしまい浸水し、それによって速度が出せなくなり、ついに機関がオーバーヒートして爆発、轟沈という壮絶なものだった。
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「5連装魚雷発射管」を3基、「九六式25mm三連装機銃」などを装備した高速重雷装の駆逐艦「島風」は、日本海軍のお家芸である「水雷戦」での活躍を期待されたが・・・。時代に恵まれなかった。
雪風と島風のツーショット。艦船模型の醍醐味は「大好きな船同士で自由に艦隊を組む」ことができること。
ピットロードの雪風と島風で「夢のような艦隊」を組みましょう。
ピットロード「1/700 日本海軍駆逐艦 陽炎型 雪風(フルハルモデル)」
http://pit-road.jp/?p=1496
を使用した今回の模型作例の画像より
ピットロード「1/700 日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」
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を使用した今回の模型作例の画像より
http://pit-road.jp/?p=1496
を使用した今回の模型作例の画像より
ピットロード「1/700 日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」
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