フジコ・ヘミング  執念のピアノ  「私の人生はため息ばかりだったわ」
2024年10月6日 更新

フジコ・ヘミング 執念のピアノ 「私の人生はため息ばかりだったわ」

うまいピアニストはたくさんいるが、聴く者の心に響き、魂を揺さぶるのはフジ子ちゃんだけ。60歳を過ぎて突如、脚光を浴びたリアルシンデレラ。

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バーンスタイン以外にも恋愛を対して、フジ子は自称、負け組。
「恋をすると不思議ね。
今日は会えるかしらと朝からその人のことばかり考えて、心がウキウキして、毎日が楽しくなる。
いろんな恋をしてきたけど、惚れた相手はロクでもない人が多かった。
ウソつきな人だったり、浮気者だったり。
友達からはどうしてそんな男ばかり惚れるのといわれたけど、こればかりは直らない。
私は男を見る目がないのね。
フラれたときはいつももう2度と恋なんかしないと思うけど、不思議なことにどんなイヤな思いをして別れても、時が経つといい思い出だけが心に残っていく。
嫌なことは全部忘れて、なんて素敵な恋だったんだろうと、いいことばかり思い出す。
そしてまた気がついたら好きな人がいて恋をする」
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バーンスタインに
「任せなさい」
といわれた半年後、フジ子は、その推薦によってウィーンで、しかもシューベルトホールという一流のホールでリサイタル(独演会)を行わうことになった。
街角には一流の証となるリサイタルポスターが貼られ、コンサートを1週間後に控えた冬のある日、突然、アクシデントが。
暖房のないアパートの部屋で暮らし、食事は大屋さんにご飯をつくってくれる油まみれの豚肉料理という環境の中、疲労も重なってフジ子は風邪を引いて発熱。
医者にかかるお金はなく、その場しのぎで薬を飲んだ。
「この薬が合わなかったのかもしれない」
というが、起きたとき、体に異変が起こった。
いつも枕元に鈴を置いていた鈴が床に落ちたとき、音がしないことに気づいたのである。
元々、右耳は16歳から聴こえない。
鈴を拾って左耳の横で鳴らしたが何も聴こえない。
あわてて病院にかけ込んだが、すぐには治らないといわれた。
しかしリサイタルは待ってはくれない。
バーンスタインの秘蔵っ子ということで新聞記事にもなり、すでに演奏を楽しみに待っている人も数多くいた。
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「バーンスタインからもらったチャンスを逃すわけにはいかない」
耳が聴こえないまま初日のステージに上がったが、自分の弾く音も観客の反応も聴こえず、散々な結果に。
演奏翌日、新聞に書かれた評価は、
「衝動的で力強く個性的な表現力を備えているが、残念なことに彼女本来の演奏とは程遠いものになってしまった」
その後の公演は中止にせざる得ず、35歳のフジ子は、最大のチャンスを最悪の結果にしてしまった。
「まったく聴こえない。
弾いててなんにも聴こえない。
これは現実だろうか。
16歳のとき、中耳炎をこじらせて右耳が聴こえなくなっていたけど、今度は左耳も聴こえなくなってしまった。
音楽家を志す者にとって、これはどういうことか。
もうダメだと絶望した」
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どうしたらいいかわからず、毎日泣いて過ごし、しばらくはピアノの前に座ることもできなかった。
「誰も知らないところへ行ってしまいたい」
フジ子は逃げるようにウィーンを後にして、父親の母国、スウェーデンの首都、ストックホルムへ。
「いやっ、あのときはやっぱり・・・
もう、そのときお金も何もなかったから・・・
とにかくウィーンから出なくちゃ、もうこれは救われないと思ったからね。
その後すぐ荷物をまとめてストックホルムいきましたけどね。
そのときはやっぱり落ちぶれて、都落ちしたような気分で、もうこれで終わりだと思いましたけどね」
大学病院で耳の治療を受けながら、途方に暮れる日々。
唯一の楽しみは絵を描くことだった。
「美術の才能があった父親の記憶をたどりながら絵を描き続けることで、かろうじて精神を保っていた。
けれど思うのは、それが私の人生だということ。
ピアノを弾くことをやめなかったから今の私がある。
ツラい目にあったことも決してムダになっていない。
音を失ったおかげで、その他の感性を磨くことができたのかもしれないし、幸せを得るために通らなければならない道だったのかもしれないわ」
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フジ子の左耳は、40%まで聴力を回復。
ウィーンで失意のドン底に落とされ、誰も知らないところへ行くたくてスウェーデンへ渡ったが、
「やっぱりドイツがいい」
とドイツへ戻り、街を転々とした。
「なにか嫌なことがあると、もっといい場所があると思い、荷物をまとめて引っ越し。
でも結局どこにもパラダイスなんてない。
1つの場所にいたほうが自分の目指すところに早くたどり着くということがわかったのは随分後になってからね。
転々とする暮らしの中で人生を悲観したこともあったけど、知り合いや友人に愚痴ったことはない。
やり切れないときはカフェで隣りに座った見知らぬ人に愚痴っていたわ」
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やがてウィーン から600km離れたルートヴィヒスハーフェンのアパートで暮らすようになったフジ子は、それから15年間、ピアノを教えながらひっそりと暮らした。
隣人によると
「フジ子はとても人見知りで閉じこもりがちでした。
電話をしても出ず、訪ねてドアをノックしても開けることはありませんでした」
というが、フジ子いわく、
「コワかったですね。
人とつき合うのが、人にバカにされるのは、もう、ごめんだったから。
世の中をあきらめてて、天国にいったら、きっと私の出番があるだろうと思って、それの用意をしていましたからね」
人に会うのを避け、部屋にこもり、ただただピアノを弾き続けた。
そのときの聴き手は猫。
ピアノを弾く力も湧いてこないときは好きな音楽を聴き、フジ子の心は猫と音楽によって救われた。
「人生なんて人に相談しても仕方ないことがたくさんあるでしょう。
口を利かない猫や犬のほうが好き」
赤ちゃんを育てたいと思い、牧師に養子縁組を申し込めるか相談したこともあったが、
「あなたは独身だから、おそらく許可は下りないと思います」
といわれ、音楽と見捨てられた動物に愛情を注ぐことに決めた。
「長いこと無名だったけど、そんなことちっとも気にならなかった。
なぜならいつも猫がそばにいて、その世話に明け暮れていたから。
テーブルクロスを爪でひっかく、花瓶を倒す、ピアノの上が毛だらけになる、猫中心の暮らしは、それはそれで大変だったけど、愛情を注ぎ面倒を見る存在がいるのはとても幸せなことでした。
安い月謝でピアノを教え、生活が楽ではなかったときも自分の食費を切り詰めて猫にご飯をあげていた」
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近所でピアノを教え始め、普通よりも安く教えたこともあって、依頼はたくさんあり、50歳の頃からドイツの音楽学校でもピアノを教えた。
「毎日自転車で片道15キロの道のりをハイデルベルクまで走った。
楽しかったのよ
体も引き締まったし。演奏家としてのキャリアなんて、まったく頭になくて」 
音楽学校で教えるようになると、アパートから一軒家に引っ越し。
向かいの家に呼ばれて、食事をごちそうになることもあった。
その家は、老夫婦と医師をしている娘、そしてその子供が2人、計5人で住んでいたが、あるときショパンを弾いていると、向かいの家の前で2人の子供が踊り出したので、踊りを止めないようにと一生懸命弾き続けた。
ピアノを教えながら生活する日々の中、
「私の音は誰もマネができない、世界でただ1つ」
という自負と
「私はこのまま終わってしまうのだろうか」
と不安にかられる毎日。
フジコの才能に気づき、ニューヨークやロンドン、パリを目指すようにアドバイスしてくれるドイツ人もいた。
「お金持ちでも有名でもなかったけど、私を勇気づけてくれる人がドイツでもいっぱいいた」
というフジ子だが、その厚意に感謝しつつ、お金がなかったことや8匹の猫が心配なため、チャレンジしようとはしなかった。
そんな中、1990年、バーンスタインがフジ子の成功をみることなくアメリカで死去。
フジ子からすれば生きている間に恩に報いることはできなかった。
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1993年、フジ子は、弟のウルフから電話で母親の死を告げられた。
大月投網子は、90歳で亡くなるまでピアノを教えて生計を立てていた。
「死に顔をみるのが耐えられない」
フジ子は葬式には出ず、ドイツから祈り続けた。
母の死から2年後、1995年、母親の家が人手に渡るのを防ぐため、ようやく日本に戻ることを決意。
小田急線沿い、下北沢にある母親の家に住み始めた。
この家は、フジ子が留学した後、母親が学校だった建物を買い取って、ずっと暮らしていた家だった。
親戚に
「死に目に会いに来なかった」
と責められたが、
「最期をみるのはツラかったから会わなくてよかった」
と後悔はしなかった。
29歳で離れて以来、35年ぶりにの日本だったが、何もやることがなく、1日中、母親の家がある下北沢の街を歩いた。
野良猫を拾ったり、お店を巡ったり、聖路加国際病院でボランティア演奏をしたこともあった。

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その後、ピアノを教えながら生活していたが、東京芸術大学の友人たちが、
「フジ子のピアノを聴きたい」
とコンサートを企画。
こうして母校、東京芸術大学の奏楽堂でコンサートが行われ、その後、フジ子のピアノは口コミで広がっていった。
手助けをした旧友、湯浅照子いわく、
「まだ知られてませんでしたからね。
でも1度聴いてみたかったから、みんな注目して、すばらしいって、今度コンサートやるならいきたいっていって。
それで1度コンサートいらっしゃると今度10枚くらい買うんですよ。
それですぐに無くなって、足りなくなって。
それで追加公演して。
彼女、喜んじゃってね、ソールドアウトって外に書いてね 」
そして1999年2月、ついに奇蹟が起こった。
NHKのドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」で、その波瀾の半生と魂の演奏が取り上げられ、放送後、番組は大反響を呼び、NHKには1000件以上の手紙や電話が寄せられた。
フジコ・ヘミングという名が一夜にして全国に知られるようになった。
4月、奏楽堂で行われたコンサートのチケットは即日完売し、当日は全国各地から人々が詰めかけた。
「NHKの放映があって、あんな反響が、あれほどになるとは思わなかった。
もう恥ずかしくて、なにこれって思って。
まるで神様のイタズラみたい」
8月、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」が、クラシックでは異例の300万枚近くを売り上げ、日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞。

Ingrid Fujiko Hemming - La Campanella

中でも聴く者をフジ子ワールドへと誘い、フジ子旋風を巻き起こしたのはリストの「ラ・カンパネラ」だった。
フジコ・ヘミングのソロ演奏はドラマティックで、その音色は魂に響いた。
「音楽も新時代の音楽っていうのがあるんですよ。
そっちの方が好きな人はいっぱいいる。
私は古くさいやり方が好きだからさ。
ショパンやリストの時代に作曲されたものだから、私はその時代の方が好きだから、それを守りますと思って」
とクラシックなものへの愛を示す一方で、
「でも誰が弾いても同じなら私が弾く意味なんてない。
だから私は私だけの音を大切にしているの。
ブッ壊れそうなカンパネラがあったっていい。
魂が燃え尽きるほどのノクターンがあったっていい。
機械じゃないんだから。
人がどういおうが、私はそれは構わないから。
自分のやってることが間違いだっつったらやる気しないじゃん。
自分がやってることだけを正しいんだって信じてれば、それでいいですからね」
と強烈な個性もアピール。
60歳にしてメジャーデビューを果たしたフジ子に、コンサートの依頼が殺到した。
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