野人岡野!Jリーガーで最も記録と記憶が不釣り合いな男を振り返る!
2020年11月17日 更新

野人岡野!Jリーガーで最も記録と記憶が不釣り合いな男を振り返る!

元Jリーガーで日本代表にも選ばれた岡野雅行。記憶には残っているけど、実際の記録はどうだったのかを振り返ってみました。

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岡野雅行のプロフィール

氏名  :岡野雅行(おかの まさゆき)
ニックネーム:野人
出身地  :神奈川県横浜市
身長   :175cm
ポジション:FW、MF

1994年に浦和レッドダイヤモンズでプロデビューを果たし、香港リーグを経てガイナーレ鳥取へ。
2013年に現役引退。

野性味あふれるプレースタイルと、長髪を振り乱して走る様子から「野人」の愛称で親しまれていた元Jリーガーです。

岡野選手の生涯成績

野人岡野。

恐らく、サッカーファンの方もそうでない方もこの名前は聞いたことがあるでしょう。
数多のJリーガーが存在する中、岡野選手は知名度という点では高い事は間違いありません。

しかし、岡野選手が現役時代に残した成績について把握している方は少ないのではないでしょうか。

●岡野雅行の生涯成績

出場試合数(J1,J2,香港リーグ)→499試合
通算得点→54得点

怪我や故障に泣く選手が多い中、500試合近い出場記録は素晴らしいのですが、中盤~前線を任されているにも関わらず、54得点という数字は好記録とは言えません。

例えば、Jリーグを盛り上げた立役者の一人「北澤豪」選手は、MF(主にパスでチャンスメイクするポジション)ながら、生涯成績は329試合で59得点となっています。

●サッカー選手としての評価

サッカーの場合ポジションごとに役割が異なるため、一概に成績だけで選手の評価を推し測る事は出来ない部分はあります。

しかし、得点を取る事が求められるポジションなので決定率が低かったという評価は否めません。

また、アシストやディフェンスなど得点以外の分野においても、岡野選手が他のトッププレイヤーに比べるとやや劣るという印象を持つ人は多いはずです。

素晴らしいプレイヤーだった事は確かですが、一般的な岡野選手の技術面や実績面での評価は、他のトッププレイヤーと比べると凡庸であると言えるのです。

岡野選手を有名にした歴史的ゴール

サッカー日本代表のW杯挑戦。

サッカーファンなら誰しもが知る2つの大きな戦いがあります。

一つは、1993年に起きた「ドーハの悲劇」
悲願のW杯出場をかけ、ほぼ予選突破確実かと思われた中でロスタイムに追いつかれて出場を逃した試合です。

そして、もう一つがついに念願のW杯出場を決めた試合
通称「ジョホールバルの歓喜」です。

ジョホールバル岡野劇場 W杯アジア第3代表決定戦vsイラン 1997/11/16

予選突破をかけたイラン戦は、延長戦へともつれこむ展開。

延長から切り札としてピッチに立ったのが、岡野選手でした。

最終的には、岡野選手がこぼれ球に反応してゴールへ押し込み念願のW杯出場を決めた事で、野人・岡野の名が新聞やTVで大きく報道されて【記憶に残る選手】として語り継がれる事になりました。

ちなみにですが、動画を見ても判るように岡野選手は投入されてから
・GKと1vs1を外す
・同じく1vs1の場面でパスを選択
・押し込めるチャンスでホームラン
と、実に決定的なチャンスを3度も逃しています・・・。

しかし、これらのミスは日本を救う一発で全て帳消し。
こうして野人・岡野の名は日本を席巻し、引退後もプレイバック動画などで何度も繰り返し放送される事となり、記憶に残るJリーガーとなったのです。

引退後もマル秘エピソードで記憶に残る岡野選手

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岡野選手は、引退後にバラエティ番組に出演して自身のエピソードを紹介して再び注目を集めました。

そのエピソードとは、まるで漫画の「ルーキーズ」を地で行くような面白い実話。

岡野選手が通っていた松江日本大学高等学校は、いわゆるヤンキー校でサッカー部が無かったそうです。
そんな高校時代に、自身がサッカーをやったことが無い不良を集めてサッカー部を設立、後に県内でも強豪と呼ばれるチームになったというエピソードを語っています。

まさにリアルルーキーズなエピソードは、大きな反響を呼び2018年には「激アツ!!ヤンキーサッカー部」というテレビドラマにもなっています。

まとめ

岡野雅行というサッカー選手が居たという記憶は、日本のサッカー史において今後も語り継がれていきます。

岡野選手よりも、技術や記録が素晴らしかった選手は沢山いますが、それでも大きなプレッシャーがかかる中で結果を残した事はサッカーファンの記憶に深く刻まれたのは間違いありません。

チャンスをしっかりと掴み、引退後もとっておきのエピソードで世間の興味を掴んだ岡野選手は、強運とチャンスをモノにする力に恵まれていたのです。

運も実力の内、と言いますがサッカー選手として努力を惜しまず、怪我に泣く事無くピッチに立ち続けた岡野選手だからこそ、大きな功績を残せたと言えますね。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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