おにぎり、お寿司、佃煮など私たちの胃袋を癒してくれる「海苔」
食欲の秋がやってまいりましたので、今回は食べ物コネタをば。
日本人にとって最も身近な食材のひとつ・・・海苔!
日本人にとって最も身近な食材のひとつ・・・海苔!
が!
生海苔については日本人しか消化できない!?
この海苔。
海苔の消化酵素を持っているのは日本人だけと言われております。2010年、フランスの微生物学研究チームが発表し、当時は話題になりました。
海苔の消化酵素を持っているのは日本人だけと言われております。2010年、フランスの微生物学研究チームが発表し、当時は話題になりました。
「韓国にも海苔あるじゃん!」と言うソコのアナタ。ありますよね、韓国海苔。あれは焼いた海苔。焼くと消化を阻害するポルフィラン多糖の細胞壁が壊れて消化吸収が良くなるためだから消化できるのだそうです。つまり、海苔に火を通せば万国誰でも食べられるのですが、生海苔については日本人しか消化できない、という事なのです。
これは日本人が昔から海苔を食べてきた結果ゆえ。
これは日本人が昔から海苔を食べてきた結果ゆえ。
古くから海苔を愛してきた日本人
古くは8世紀、『常陸国風土記』に海苔の記述があります。「海苔」「乃理」など書かれております。同時期に成立した『出雲国風土記』にも記述が見られます。そして、日本初の法制『大宝律令』に、朝廷への調(今でいう税)のひとつとして海苔が登場します。この大宝律令が施行されたのが大宝2年(702)1月1日。これを西暦でカウントし直すと2月6日だったことから、昭和41年(1866)、全国海苔貝類漁業協同組合連合会さん2月6日を「海苔の日」と提案され、今日に至ります。ちなみに、海苔は10世紀ごろ成立の日本初の百科辞典『和名類聚抄』にも登場します。そういえば、この書物には山葵(ワサビ)も「和佐比」として登場しています。
江戸時代に入ってからは庶民にも身近な食材に
これらの記述がある平安時代頃の海苔は貴族の食べ物で、しかも生海苔がメインでした。干した海苔や佃煮も食べられていたようですが、いずれにせよ庶民には高級食材でした。
その後、鎌倉時代に入ってからは精進料理にも用いられますが、庶民にも身近な食材になったのは江戸時代に入ってから。海苔の歴史は浅草の門前町が作りました。明和元年(1764)創業の山形屋海苔店さんのサイトによると、浅草の「門前にたつ定期市には江戸近郊の農産物、水産物が並べられ、特に年の瀬には葛西浦から漁師が持参した海苔が売られ、その柔らかさと色香はたちまち人目をひくようになったそうです。 それまでは海苔といえば生海苔が主でしたが、生海苔として消費できなかった分を手で押し広げて乾したものの評判が高まりました」とのこと。
その後、鎌倉時代に入ってからは精進料理にも用いられますが、庶民にも身近な食材になったのは江戸時代に入ってから。海苔の歴史は浅草の門前町が作りました。明和元年(1764)創業の山形屋海苔店さんのサイトによると、浅草の「門前にたつ定期市には江戸近郊の農産物、水産物が並べられ、特に年の瀬には葛西浦から漁師が持参した海苔が売られ、その柔らかさと色香はたちまち人目をひくようになったそうです。 それまでは海苔といえば生海苔が主でしたが、生海苔として消費できなかった分を手で押し広げて乾したものの評判が高まりました」とのこと。
1717年、浅草の漁師が品川の海で海苔の養殖に初めて成功
そんな海苔の歴史で外せないのが享保2年(1717)。浅草の漁師が品川の海で海苔の養殖に初めて成功したのです。
この時、和紙のような状態の海苔が誕生しました。今私たちがよく見る、あの板状の海苔です。この海苔の存在が、寿司にも影響し、江戸時代に海苔巻き寿司が生まれました。寿司の歴史も書くと長いので、この辺で(笑顔)
お寿司食べたい・・・
お寿司食べたい・・・
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