昭和を震撼させた大久保清の連続強姦殺人事件とは?生い立ちや背景も紹介
2021年11月28日 更新

昭和を震撼させた大久保清の連続強姦殺人事件とは?生い立ちや背景も紹介

昭和46年に起きた連続強姦殺人事件は、8人もの被害者を出しました。被害者はなんの罪もない前途ある若い女性ばかりで、被害者と遺族の苦しみは察するに余りあります。そして犯人である大久保清の異常性と残虐性が際立った事件でもありました。犯行の概要や、大久保清という稀代の殺人鬼を生んだ家庭環境とはどんな物だったのか?生い立ちや背景についてもご紹介していきます!

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大久保清の連続強姦殺人事件のプロローグ

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事件のプロローグは、1955年(昭和30年)7月12日に起こっています。
20歳の大久保清は大学生に成りすまし、前橋市内で17歳の女子高生の強姦事件を起こしました。
この時は初犯だった為に、執行猶予が付きましたが、なんと同年12月26日に強姦未遂事件を起こしています。
この時は被害者の抵抗で未遂に終わりましたが、ケガを負わせたために懲役2年の実刑判決を受けました。
そして初犯の刑期も加えて、3年6か月の判決を受けて松本少年刑務所に収監されています。
模範囚を目指した大久保清は、刑期より6か月早く釈放されたのでした。
その後半年も経たない内に、自宅に連れ込んで20歳の学生を強姦しようとしましたが、両親に見つかり未遂に終わっています。
こちらは示談が成立し、罪に問われていません。

100大事件スペシャル(1992年)「大久保清事件」

事件の概要

1962年(昭和37年)に結婚し、子供も授かった大久保清でしたが、強姦を止めることはなく、恐喝や強姦事件を起こし続けました。
懲役4年の実刑判決を受けて、府中刑務所に収監されると妻は実家に帰ります。
子供の事を思えば、強姦魔の父親と縁を切るのが最善の道ですよね。
でも大久保清は復縁を望み、懇願しますが妻の意思は固く戻る事はありませんでした。
それには大久保清の次兄が妻に「婚家に戻らない方が良い」と進言した事が決めてとなっていたのです。
そのことを聞かされた大久保清は、人生に絶望し殺人事件を起こすようになったと本人は語っています。
そんな大久保清に両親はどこまでも甘く、当時の最新型クーペ「マツダ・ファミリアロータリークーペ」を買い与え、その車を使って犯行を企てて行ったのでした。
1971年(昭和46年)3月31日に群馬県多野郡で17歳の女子高生を強姦した後に首を絞めて殺害します。
その事件を皮切りに同年5月10日までのわずか2か月足らずの間に、群馬県内で8人もの女性を強姦し殺害したのでした。
8人の犠牲者の内、未成年者は6人にも及び、事件当時36歳の大久保清の異様なまでの若い女性好きが浮き彫りとなっています。
この期間に大久保清はなんと、150人(確認されたのは127人)もの女性に声をかけ、そのうち30数人が大久保清の車に乗ってしまいました。
30数人の内、大久保と関係を持った(強姦含む)女性は10数人に及びます。
大久保の手口はベレー帽を被り、画家だと名乗り「モデルになって欲しい」と声をかけ、巧みな話術で女性を誘っています。
人気のない所に車を走らせ、女性が帰してほしいと懇願すると豹変し、暴力をふるって怯させ強姦するという卑劣な犯行を繰り返していました。

【連続殺人鬼】大久保清にまつわる怖い話【ゆっくり朗読】 - ニコニコ動画

強姦されたある女性は、終わった後はうって変わって優しくなり、自宅の近くまで送ってくれたと証言しています。
殺人まで進んでしまった女性は、なぜ殺害されてしまったのか?本人の自供によれば自分の身内に警察官や、検察官がいると強く出た女性を殺害したと語っていますが、死人に口なしですから、本当の所はわかりません。
大久保清が罪のない若い女性を殺した事だけが真実です。
そして反省の弁を述べていないので、捕まらなければ更に多くの犠牲者を出した事でしょう。
1審で死刑判決を受けた大久保清は控訴せず、死刑が確定し1976年(昭和51年)1月22日に刑が執行されています。
享年41歳でした。

大久保清の生い立ち

稀代の殺人鬼はどのような家庭環境で育ったのでしょうか?
大久保清は1935年1月17日に、群馬県碓氷郡八幡村(現在の群馬県高崎市)に3男5女の末っ子として生まれています。
長兄は夭折し、次兄は両親が好む性格ではなかったため、大久保清は母親から「ぼくちゃん」と呼ばれ溺愛されて育ちました。
母親はロシア人との混血のため、大久保清はクオーターです。
どこか気品があり、端正な顔立ちはそのためなのでしょう。
父親は性的に倒錯した人物で、子供の前でも性行為を行い、また次兄の妻(初婚・再婚共に)は父親から性的虐待の被害も受けています。
そんな家庭の影響を受けてか、天性の物なのか、大久保清は小学校6年生の時には幼女の性器に石を詰める事件を起こしていました。
1946年(昭和21年)に小学校6年生だった大久保は、幼女を麦畑に連れ込んで性器に石を詰め込む暴行をする[10]。被害者の親が抗議に来た際、母親は当初大久保が現場にいたことを認めず、犯人が大久保だと指摘されると「お医者さんごっこに目くじらを立てることはない」と息子を擁護した[10]。
こうして両親に溺愛され、何をしても庇い示談金を払う過保護な母親。
父親の性行為を幼い頃から見て育った大久保清は、自己中心的で良心が欠如した異常性欲者に育って行ったのです。

まとめ

今回は昭和46年に起きた、連続女性強姦殺人事件の概要や加害者の生い立ちについてご紹介しました。加害者の大久保清の自己中心的な性格と異常性は、その歪んだ家庭環境が大きく影響していました。
罪のない女性の命を奪い極刑は当然と思いますが、歪んだ性格により、最後まで反省が見られなかった事はとても残念ですね。
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