夏目雅子 松尾佐知
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新沼謙治 木下九市
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他にも、森繁久彌、天地茂、野際陽子、神山繁、若林豪、愛川欽也、永島敏行等々の豪華俳優陣が出演しており、重要ポスト・脇役等を見事に演じ、様々なシーンを盛り上げ・引き締めています。
制作エピソード
キャスティングは重要課題
主役の乃木将軍役には、早い段階で仲代達矢を想定して企画が進められていたが、仲代が渋り、フジテレビのドラマ『アマゾンの歌』(1979年10月6日放送)で、ブラジルに長期ロケに行くのでと断わられた。やむなく乃木将軍役を天尾、幸田、舛田監督の3人で丹波哲郎に話を持っていったところ、丹波はやる気まんまんで「是非とも」と快諾した。ところが岡田茂社長に話しに行ったら「なんで丹波が乃木になるんだ!お前ら、何を考えているんだ!」と頭ごなしに怒鳴られ却下される。結局、丹波には侘びを入れた後、その場で「脚本を読むと児玉源太郎が面白いね」と丹波が言っていたのを舛田が覚えていて、丹波に児玉役をキャスティングした。
俳優の肉体労働
日露戦争当時は冬季に戦闘が行われたが、映画の撮影は真夏に行われ、しかも旅順要塞の屋外セットが伊豆大島に作られたために、俳優陣は炎天下に冬服を着込んでの撮影に非常に体力を消耗したという。児玉源太郎役の丹波哲郎によると「汗が目立たない様に、顔に汗抑えをたっぷり塗って演技していたが、衣装の中は汗でベタベタになり、ワンシーン終るたびに裸になって汗を拭いていた」とのこと。
商売上手
脚本の笠原が岡田社長から最終的に脚本の了承をもらった際に、「一ヶ所直してくれ。あとは全部、お前の考えでいいから」と言われた。それは乃木が明治天皇に旅順戦の軍状報告をするラストシーンで、世間では乃木が泣いたという話になっているが、実際に調べたら、関係将官が全部囲んで厳かに淡々と天皇の前で報告を行う一番神聖なセレモニーで、そんな時に泣いたりしたら笑われる、途中で乃木が言葉をつまらせたが、明治天皇も冷たい顔をして聞いていたというのが事実と分かった。笠原はこの通りシナリオに書いていたが、岡田が世間でよく言われている通り、乃木がヨヨと泣き崩れると、天皇陛下が席をお立ちになって、「乃木よ、泣くな」と乃木の肩の手をお当てになられた、に変更しろ、「そういうふうにしないとお前、客は来んぞ」と言われ、指示通り直した。
立案から撮影開始までの2年間には、スタッフの様々な苦労があったのですね。
当時としては超高額となった15億円の制作費も、出演している豪華キャスト、セット、その他諸々でギリギリの費用だったそうです。
感動の名作をありがとう。
当時としては超高額となった15億円の制作費も、出演している豪華キャスト、セット、その他諸々でギリギリの費用だったそうです。
感動の名作をありがとう。