本格投入前の徹底した準備
一方、ビスタの方は、同じく1980年4月に新たなディーラー網「トヨタビスタ店」を開設。セリカ・カムリのほか、クレスタ、ターセルなどを扱いました。
クラウンよりも広いミドルセダン
メカニズム面では、駆動方式は前輪駆動のみ、エンジンは新開発の直列4気筒1800cc(1S-LU型)を横置きし、変速機は5速MTのみの設定でした。
トヨタでは、新機軸を盛り込んだカムリを新たな国際戦略車と位置付け、コロナに代わって輸出の主役としました。
カムリはその後、1982年7月に4速AT車を、8月には2000ccが追加されました。さらに翌1983年8月には1800ccディーゼルターボ車が追加され、ラインナップを急速に拡大していきました。
1983 TOYOTA CAMRY Ad
リフトバックでスポーティな印象に
併せて、1800ccの4速ATと、2000ccが追加されました。1983年8月には、カムリと同じく1800ccディーゼルターボも追加されました。
筆者が子どもの頃、初代カムリに乗っている親戚がおり、窓の大きなセダン、という印象が残っています。無駄のないデザインは、それまでのコテコテしたFRセダンを一気に古臭く感じさせました。また、友人の家ではビスタの5ドアリフトバックに乗っており、こちらも従来の日本車にない、進歩的なイメージがありました。
初代トヨタビスタCM
マイナーチェンジでFF初のDOHC誕生
また、1800ccエンジン(ガソリン車)には電子制御インジェクションが搭載され、グレードの見直しなども行われました。1985年8月には、ディーゼルターボ車のエンジンが2000ccに変更されました。
キャッチコピーは「長距離クルージングサルーン」。直列4気筒の2000cc車でありながら、広大なキャビンとFFの安定した走りを武器に、マーク2シリーズにはない、世界標準のサルーンをPRしました。
カムリCM
TOYOTA VISTA ビートたけし
3代目以降は再びビッグキャビンに
ビスタは5ドアリフトバックが消え、代わりに4ドアハードトップが設定され、セダンとの2本立てになりました。1987年4月にはV型6気筒2000ccエンジン搭載の「プロミネント」がカムリに追加され、プロミネントには4ドアハードトップも設定されました。
一方で、国際車としてのカムリは2代目で開花します。1987年にオーストラリアで、1988年にはアメリカで現地生産を開始し、特にアメリカではホンダ・アコードと並ぶ人気を二分し続けています。