日本シリーズ史上最も劇的!杉浦享の代打サヨナラ満塁ホームラン(1992年)
2019年4月14日 更新

日本シリーズ史上最も劇的!杉浦享の代打サヨナラ満塁ホームラン(1992年)

1992年、黄金期の西武に野村ヤクルトが初挑戦した日本シリーズ第一戦。延長12回1死満塁で打席に立ったのはベテラン杉浦享。日本シリーズ史上最も劇的なホームランと言われる仕事人の一振りを紹介。

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日本シリーズ史上最も劇的なホームランを放った仕事人・杉浦享。

黄金期の森・西武に野村・ヤクルトが初挑戦した1992年の第一戦。
白熱したゲームは3対3のまま延長12回に突入。

1死満塁の場面でバッターは既にこの年限りの引退を表明していた40歳の杉浦享。
日本シリーズ史上最も劇的なホームランと言われる仕事人の一振りを紹介。
杉浦享(すぎうら とおる)

杉浦享(すぎうら とおる)

1952年6月8日生まれ
愛知県西尾市出身
身長:177cm、体重:94kg
左投左打
愛称:ブーちゃん

【通算成績】
1782試合、1434安打、224本塁打、打率.284
一振りに賭けるそのいぶし銀の職人のような姿から、ヤクルトの選手別応援歌では「必殺シリーズ」のテーマ曲が若松と共に応援歌の前奏として使用された。
(若松は「必殺仕掛人」、杉浦には「必殺仕事人V」のテーマ)

ヤクルトスワローズ 杉浦享のテーマ

トランペットで吹かれる必殺仕事人のテーマは、朴訥な杉浦の印象とマッチしていた。
杉浦の引退後、この応援パターンは稲葉篤紀に受け継がれた。

このシーズンでの引退を表明していた杉浦享

池山隆寛、広沢克己ら若手の台頭により、1990年に野村克也の監督就任前後から左の代打の切り札として活躍。
しかし、1992年はケガにより18試合の出場にとどまり、またシーズン中に40歳に達していた年齢が引退を意識させた。
「もう一度優勝してから引退したい」が口癖だったが、この1992年にリーグ優勝を果たし14年ぶりの美酒も味わった。
これで悔いなくバットを置けると杉浦は既に現役引退を表明していた。

1992年10月17日、西武vsヤクルト 日本シリーズ第一戦は大接戦に。

西武の先発は渡辺久信、ヤクルトの先発・岡林洋一。
ヤクルトが中盤まで3-1でリードするも、西武が終盤の7回と9回に1点ずつ奪って延長戦に持ち込む。
西武は潮崎哲也から鹿取義隆という必勝リレーでつなぎ、一方のヤクルトはエース岡林が孤軍奮闘。

そして迎えた12回裏のヤクルトの攻撃。
秦真司がツーベースを打ち、続く笘篠は敬遠で一塁が埋まる。
すると野村監督は岡林の代打としてネクストバッターサークルに控えていた杉浦を下げて角富士夫を打席に送る。
その角はバントを失敗し1アウトになるが俊足、飯田哲也が内野安打で満塁に。

一死満塁のビックチャンスを迎えると、そこで野村克也監督が送った代打はシーズン打率.182。
不振を極め、引退を表明したかつての主砲・杉浦享であった。

杉浦享「代打サヨナラ満塁ホームラン」全球紹介

百戦錬磨のストッパー・鹿取義隆と、一振りに賭ける必殺仕事人・杉浦享。
ベテラン同士の見応えある対決を全球紹介。
【初球】141kmの外角ストレート

【初球】141kmの外角ストレート

見送る杉浦。
打つ素振りを見せているが、杉浦は常に必ず初球は見逃すようにしていた。
その投手のタイミングを計るため、そして2球目以降の配球を読みやすくするためと本人は理由を話している。
【2球目】136kmの内角ストレート

【2球目】136kmの内角ストレート

内角をズバリと突くキレのあるストレート。
杉浦は思わず腰引いてしまうが、内角ギリギリに決まって2ストライク。
たった二球で追い込む鹿取。
【3球目】真ん中に入ったストレートを…

【3球目】真ん中に入ったストレートを…

インハイに外そうとしたストレートが真ん中に。
甘く入ってきた失投を仕事人・杉浦は逃さない。
引退表明した男のスイングとは思えないスピードで振られたバットは、ボールをピンポン玉のようにライトスタンドへ一直線に運んだ。
まさに必殺!一振りで試合を決めた。
まさか、杉浦のカッコいい「バット投げ」がこんな場面で見られるとは…
テレビの前で鳥肌が立ったのを覚えている。

【動画】杉浦享「代打サヨナラ満塁ホームラン」

1992年日本シリーズ第1戦 ヤクルト‐西武(副音声)

副音声バージョン。
実況:中井美穂、解説:尾花高夫・松沼博久
野村監督・杉浦・岡林のインタビュー付き

杉浦享、試合後のヒーローインタビューコメント

ありがとうございました。
うれしいだけですけどね…

今年シーズン中に全然仕事できなかったから、なんとかここで仕事しようと思ってずっと振っていた。
それが良い結果に繋がったと思います。

(あっと言う間に追い込まれましたが?)
自分の頭と配球が違ったけど、ただもう振るだけだった。

手応えは十分でしたから、例の調子でゆっくり回ってきました。
via 杉浦享、試合後のヒーローインタビューコメント
ヒーローインタビューでの杉浦享

ヒーローインタビューでの杉浦享

少し照れたような表情で控えめに語る姿が、謙虚で朗らかな人柄をよく表していた。
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  • 遠藤 2019/8/6 18:56

    TV解説の関根潤三さんが「ここでピッチャーを左に替えても八重樫が出てきます」と仰ったのを聞いてゾクゾクした思い出があります

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