王貞治選手のホームラン王獲得回数は15回
王貞治選手は、1959年〜1980年の現役22年間で、15回もホームラン王を獲得しています。最初の3年間こそタイトルに程遠い結果だったものの、1962年以降は1974年まで13年連続でホームラン王を獲得。1975年にタイトルを逃しますが、1976〜1977年は2年連続でタイトルを獲得し、ハンク・アーロンの記録を塗り替える通算756号のホームラン世界記録を達成しました。
一方、セ・リーグに世界のホームラン王がいたことで、数字的にはタイトルを獲得してもおかしくない記録ながら、次点に終わった選手が大勢います。
では、王貞治選手がホームラン王を獲得した年と、惜しくも2位に終わった選手を一覧にして見てみましょう。
一方、セ・リーグに世界のホームラン王がいたことで、数字的にはタイトルを獲得してもおかしくない記録ながら、次点に終わった選手が大勢います。
では、王貞治選手がホームラン王を獲得した年と、惜しくも2位に終わった選手を一覧にして見てみましょう。
「王貞治DAY」その舞台裏
「王貞治DAY」その舞台裏
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王貞治選手がホームラン王を獲得した年
王貞治選手が現役の選手だった22年間で、ホームラン王を獲得した選手と2位の選手は次の通りです。
年 | 順位 | 選手 | 本数 | 順位 | 選手 | 本数 |
1959 | 1位 | 森徹 (中日) | 31 | 1位 | 桑田武 (大洋) | 31 |
1960 | 1位 | 藤本勝巳 (大阪) | 22 | 2位 | 森徹 (中日), 興津達雄 (広島) | 21 |
1961 | 1位 | 長嶋茂雄 (巨人) | 28 | 2位 | 桑田武 (大洋) | 25 |
1962 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 38 | 2位 | 長嶋茂雄 (巨人) | 25 |
---|---|---|---|---|---|---|
1963 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 40 | 2位 | 長嶋茂雄 (巨人) | 37 |
1964 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 55 | 2位 | M.クレス (大洋) | 36 |
1965 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 42 | 2位 | 江藤慎一 (中日) | 29 |
1966 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 48 | 2位 | 長嶋茂雄 (巨人), 江藤慎一 (中日) | 26 |
1967 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 47 | 2位 | 江藤慎一 (中日) | 34 |
1968 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 49 | 2位 | 長嶋茂雄 (巨人) | 39 |
1969 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 44 | 2位 | D.ロバーツ (アトムズ) | 37 |
1970 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 47 | 2位 | 木俣達彦 (中日), 松原誠 (大洋) | 30 |
1971 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 39 | 2位 | 長嶋茂雄 (巨人) | 34 |
1972 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 48 | 2位 | 田淵幸一 (阪神) | 34 |
1973 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 51 | 2位 | 田淵幸一 (阪神) | 37 |
1974 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 49 | 2位 | 田淵幸一 (阪神) | 45 |
1975 | 1位 | 田淵幸一 (阪神) | 43 | 2位 | J.シピン (大洋) | 34 |
1976 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 49 | 2位 | G.マーチン (中日), H.ブリーデン (阪神) | 36 |
1977 | 1位 | 王貞治 (巨人) | 50 | 2位 | 山本浩二 (広島) | 44 |
1978 | 1位 | 山本浩二 (広島) | 44 | 2位 | A.ギャレット (広島) | 40 |
1979 | 1位 | 掛布雅之 (阪神) | 48 | 2位 | 山本浩二 (広島) | 42 |
1980 | 1位 | 山本浩二 (広島) | 44 | 2位 | 田代富雄 (大洋) | 36 |
【王貞治】世界のホームラン王はどんな人だった?王貞治との逸話!打撃よりもすごい王貞治の守備!特殊な打法の秘密!
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惜しくもホームラン王を逃した選手たち
王貞治選手に続く2位に終わった選手の中から、「2位が多かった選手」、「ホームラン数が多かった選手」、「1位まで僅差だった選手」を見てみましょう。
2位が多かった選手
1位 長嶋茂雄 5回
2位 江藤慎一 3回
2位 田淵幸一 3回
実は、チームメイトのミスタージャイアンツこと、長嶋茂雄選手が一番の被害者(!?)だったことがわかります。長嶋選手は、1958年と1961年の2度、ホームラン王を獲得しています。
因みに、江藤慎一選手は、ホームラン王は生涯獲得できなかったものの、セ・リーグ(中日)とパ・リーグ(ロッテ)の両リーグで首位打者を獲得した歴史的強打者です。
2位 江藤慎一 3回
2位 田淵幸一 3回
実は、チームメイトのミスタージャイアンツこと、長嶋茂雄選手が一番の被害者(!?)だったことがわかります。長嶋選手は、1958年と1961年の2度、ホームラン王を獲得しています。
因みに、江藤慎一選手は、ホームラン王は生涯獲得できなかったものの、セ・リーグ(中日)とパ・リーグ(ロッテ)の両リーグで首位打者を獲得した歴史的強打者です。
ホームラン数が多かった選手
1位 田淵幸一 45本 (1974年)
2位 長嶋茂雄 39本 (1968年)
3位 長嶋茂雄 37本 (1963年)
3位 ロバーツ 37本 (1969年)
3位 田淵幸一 37本 (1973年)
ホームラン数では、田淵幸一選手の45本が圧倒的。長嶋茂雄選手も、自身がタイトルを獲得したとき以上の記録です。ここに挙げた記録は、他の年なら、ホームラン王を獲得してもおかしくないものばかりです。
2位 長嶋茂雄 39本 (1968年)
3位 長嶋茂雄 37本 (1963年)
3位 ロバーツ 37本 (1969年)
3位 田淵幸一 37本 (1973年)
ホームラン数では、田淵幸一選手の45本が圧倒的。長嶋茂雄選手も、自身がタイトルを獲得したとき以上の記録です。ここに挙げた記録は、他の年なら、ホームラン王を獲得してもおかしくないものばかりです。
1位まで僅差だった選手
1位 長嶋茂雄 3本差 (37本, 1963年)
2位 田淵幸一 4本差 (45本, 1974年)
3位 長嶋茂雄 5本差 (34本, 1971年)
ここでも登場するのは、長嶋茂雄選手と田淵幸一選手の二人。王貞治選手にとって、この二人が最大のライバルだったことを示唆するような記録です。
以上の中から、最も熾烈なホームラン王争いを繰り広げた1974年を振り返ります。
2位 田淵幸一 4本差 (45本, 1974年)
3位 長嶋茂雄 5本差 (34本, 1971年)
ここでも登場するのは、長嶋茂雄選手と田淵幸一選手の二人。王貞治選手にとって、この二人が最大のライバルだったことを示唆するような記録です。
以上の中から、最も熾烈なホームラン王争いを繰り広げた1974年を振り返ります。
長嶋茂雄DAY ファーストピッチ&セレモニアルピッチ
長嶋茂雄DAY ファーストピッチ&セレモニアルピッチ
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1974年の田淵幸一選手とのホームラン王争い
1974年は、王貞治選手にとって2年連続の三冠王、巨人V10のかかった重要な一年。そんな年に限って、ホームラン王、打点王のタイトル争いでは、田淵幸一選手と抜きつ抜かれつの熾烈な争いを繰り広げ、最後までどちらが獲得するのか目の離せない展開でした。
巨人 vs. 阪神の最終戦が行われた10月5日時点では、田淵選手が44本、王選手が42本で、田淵選手が2本リード。ところが、阪神は残り4試合に対し、巨人は残り11試合もあり、ここで王選手が何本打てるかが注目のポイントでした。結果は、田淵選手が1本で最終的に45本だったのに対し、王選手は7本で最終的に49本。王選手は、4本差でホームラン王、さらには三冠王を獲得しました。
田淵選手にとっては、ホームラン王のタイトルにふさわしい記録ながら、惜しくも2位。しかし、翌1975年、念願のタイトルを獲得し、雪辱を果たしています。
巨人 vs. 阪神の最終戦が行われた10月5日時点では、田淵選手が44本、王選手が42本で、田淵選手が2本リード。ところが、阪神は残り4試合に対し、巨人は残り11試合もあり、ここで王選手が何本打てるかが注目のポイントでした。結果は、田淵選手が1本で最終的に45本だったのに対し、王選手は7本で最終的に49本。王選手は、4本差でホームラン王、さらには三冠王を獲得しました。
田淵選手にとっては、ホームラン王のタイトルにふさわしい記録ながら、惜しくも2位。しかし、翌1975年、念願のタイトルを獲得し、雪辱を果たしています。
【田淵幸一】HRを打って分かった王貞治さん、長嶋茂雄さんの違い
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田淵選手は、現役引退後、NHKのテレビ番組の中で、王選手について次のように語っています。