さすらいのヒップアタック!サムライ越中詩郎はどこへ行く
2016年11月25日 更新

さすらいのヒップアタック!サムライ越中詩郎はどこへ行く

全日本プロレスを皮切りに新日本プロレス、WJプロレスと渡り歩き、現在もフリーで各団体に参戦している越中詩郎。彼の闘いの歴史をまとめてみました。

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プロレスラー以前

中学時代に全日本プロレスを見てファンになる。高校時代は野球部に入り2年目はファースト、3年目はキャッチャーとレギュラーになるも、甲子園に行くことはできなかった。卒業後、電気工事関連の会社に就職するも、プロレスラーへの夢はあきらめきれず、高校時代の野球部の監督からレスリングの監督を通じてジャイアント馬場を紹介され、見習いを経て1978年7月に全日本プロレスに入門する。
学生時代野球部で、プロレスラーになって格闘技を始めた選手は割とスラッとした人が多いですね。高田延彦もそうですし。そうだ、ジャイアント馬場なんかプロ野球選手でしたもんね。大日本プロレスの関本大介はそうでもないかな・・・。しかしレスリング部や相撲部、柔道部出身の選手と比べたらスラッとしているかも。あっ、馳浩と秋山準はシュッとしてましたね。

全日本プロレス時代

83年10月23日 越中詩郎(右)とタッグを組み頭角を...

83年10月23日 越中詩郎(右)とタッグを組み頭角を現してきたデビュー3年目の三沢(左)

(c)日刊スポーツ
1979年3月5日、館山市民センターで園田一治を相手にデビュー。大仁田厚の後を継いで、馬場の付き人を務めた。
1983年4月22日、ルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢光晴を破り優勝。1984年3月、三沢とともにメキシコへ遠征し、サムライ・シローの名で活躍した。同年7月に、馬場からの国際電話で「三沢を日本に帰せ。チケットを送るから三沢を空港へ送れ」と告げられたと同時に、三沢がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱くようになっていき、1985年2月に坂口征二の誘いで、新日本プロレスが遠征を行っていたハワイに飛び、その際に新日本移籍を決意する。同年4月1日の東京スポーツに全日本退団を全日本に提出した辞表と共にスクープされ、そして同年7月に全日本プロレスを離脱し、新日本プロレスに押し掛け同然で移籍して帰国。
色々調べてみたんですが、越中の全日本プロレス時代の記事ってあまりないんですよね。
かろうじてルー・テーズ杯決勝の動画がありました。

三沢光晴vs越中詩郎 ルー・テーズ杯決定戦 - YouTube

当時の全日本プロレス前座の黄金カード、三沢光晴vs越中詩郎。
俺のすぐ上の先輩っていうのは、大仁田(厚)、渕(正信)、(ハル)薗田という3人なんだけど、5年ぐらいあいてたからね。…だから小僧は俺だけですよ。それで後藤、三沢が入ってくるまで2年半空いてますから。その後、間髪入れずに川田(利明)が入ってきて、国際プロレスから冬木(弘道)が合流してきて、もう道場の雰囲気がガラッと変わりました。それまでは、俺と渕さんしかいなかったんだから。
とにかく全日本プロレス時代は冷遇されたみたいですね。
ずっと前座、ずっと付け人のままでね。俺は入門してから海外出るまで7年かかってるんだけど、後半3年は馬場さんの付け人で、その前の大仁田選手は5~6年やってますから、俺もそれぐらいはやらされていただろうからね。

だって、昭雄さんとの話を聞いてたら、馬場さんは「海外遠征なんか行く必要ねえじゃねえか」って言ってるんだから。「越中は置いておけよ。また、違う付け人にイチから教えるの面倒だろ」って。そういう理由ですよ!?
ほんとただの付き人扱いですよね。

【衝撃】大仁田厚と越中詩郎が電流爆破デスマッチでシングルをやっていた - YouTube

時は流れて、電流爆破デスマッチで対決する越中と大仁田。天国のジャイアント馬場は何を思っているでしょうか?

新日本プロレス移籍にまつわる話

新日本移籍の経緯については、かつて様々な説が流れたが、現在は越中自身が『やってやるって!』(ケンドーコバヤシと共著・扶桑社)や『元・新日本プロレス 『人生のリング』を追って』(金澤克彦著・宝島社)で自ら真相を明かしている。それによれば、全日離脱・新日移籍の経緯は、三沢光晴がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱いた中、選手の大量離脱に苦しむ新日本側が大剛鉄之助経由で接触してきたというものである。帰国した足で巡業中で三沢市に滞在していたジャイアント馬場に詫びを入れに出向き、あくまで移籍を認めない馬場を最終的にとりなしたのは、天龍源一郎だった、ということも語られている。別れ際、天龍は「お前、メキシコで苦労して、どうせ金持ってないんだろ!」と言わんばかりに、餞別としてつかみきれないほどの一万円札を越中のポケットにねじ込んだという。
また越中は、前記書籍発刊より後に行われたインタビューで、自らに対する馬場の扱いに、かねてから不満を持っていたことを明かしている。
この天龍がホントかっこいいですよね。男の中の男って感じですよね。天龍、越中、おっと忘れてたラッシャー木村、アニマル浜口、このあたりの選手がホント昭和を感じさせてくれます。

天龍源一郎・越中詩郎組の勝利!サンダーストーム、天龍の挨拶! - YouTube

晩年の天龍源一郎、痛々しいですね。

ラッシャー木村&アニマル浜口vs上田馬之助&マサ斉藤 - YouTube

懐かしい!国際プロレス時代のラッシャー木村&アニマル浜口。
(1979,4 14 福島県営会津体育館)

新日本プロレス時代

新日本プロレス入団

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