さすらいのヒップアタック!サムライ越中詩郎はどこへ行く
2016年11月25日 更新

さすらいのヒップアタック!サムライ越中詩郎はどこへ行く

全日本プロレスを皮切りに新日本プロレス、WJプロレスと渡り歩き、現在もフリーで各団体に参戦している越中詩郎。彼の闘いの歴史をまとめてみました。

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小林邦明と越中越中詩郎

小林邦明と越中越中詩郎

85年に、オレが移った時は、武藤、橋本、蝶野の三銃士世代が先輩。年齢はオレのほうが上だったけど、この世界では1秒でも先に入ったほうが先輩。でも、みんな気を使ってくれたから、そんなにイヤな思いをすることはなかったな。練習をみてくれるのは、山本小鉄さんとか、ネコさん(ブラック・キャット)。新日本の、というか、小鉄さんの教えは、とにかく攻めろっていうスタイル。全日本はとにかく受けろ、という教えで、とにかくいろんな受け身を練習してたから。そこはやっぱり違うと思ったね。
この頃よく言われていたのが『新日本はひたすらスパーリングをやる』『全日本は徹底的に受け身を取る』今のプロレスとは根本的に違うのかもしれませんね。当時は新日本プロレスは人気絶頂だったので、みんな新日本プレロスの攻めるプロレスが、全日本プロレスの受けるプロレスより強いと思ってたんですよね。実際スピードは凄かったですからね。まさに息つく暇もないプロレスでした。

新日本プロレス道場

緊張感あふれる練習風景。
新日本プロレスを旗揚げしてしばらくしてからの、道場での練習風景ですね。この頃はかなり選手も増えていますが、最初は猪木、山本小鉄、星野勘太郎、木戸修、藤波辰巳だけでしたから。
昔のプロレス界は凄まじかったんですね。あの前田日明ですら『小鉄さんの車の音が聞こえただけで震えが止まらなかった』って言ってましたからね。
猪木さんは、合同練習にあまり来なかったし、オレとはそんなに話すこともなかった。でも、たまに練習にくると、みんなビシっとするんだよ。あるとき、猪木さんとかが「お前ら、たるんでる!」ってキレた時があってね。俺は雰囲気を察して、リング下にサっと逃げたんだけど、近くにいた藤波(辰爾)さんはプッシュアップバーで喰らわせられて大流血してたよね。

‘83 新日本プロレス・夏期合宿 - YouTube

猪木、藤波、タイガーマスク、前田、みんな若いですね。

初代IWGPジュニアヘビー級チャンピオン

IWGPジュニアヘビー級王座はIWGPとして認定するタイトルとしては、1985年末に認定されたIWGPタッグ王座に次いで1986年に創設された。
それまでジュニアヘビー級の王座は、1978年1月に藤波辰巳が獲得したWWFジュニアヘビー級王座と、1982年5月に初代タイガーマスクが獲得したNWA世界ジュニアヘビー級王座の2つがあったが、1985年10月末にWWFが新日本との業務提携を解消し、WWFジュニアはWWFインターナショナル・ヘビー級王座ならびにWWFインターナショナル・タッグ王座とともに返上を余儀なくされ、同時にNWA世界ジュニアも返上となり、それに代わるベルトの創設が必要となった。
当時の新日マットは初代タイガーマスク、ダイナマイト・キッド、小林邦昭が相次いで新日本を離れ、ジュニアヘビー級の選手層が急激に薄くなった時期で、前述の2本のベルトはザ・コブラとヒロ斎藤、さらに全日本プロレスから移籍した越中詩郎により争われていた。1986年の新春シリーズで「IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」が開催され、上位2名による決定戦において ザ・コブラをジャーマン・スープレックス・ホールドにて破り優勝した越中が初代王者となった。
正直この頃の新日ジュニア陣はあまりパッとしませんでしたね。ザ・コブラってジョージ高野なんですよね。初防衛戦の相手もドン荒川ということで、あまりジュニアらしい華やかさはなかったんではないでしょうか。
ヒロ斎藤もうまかったんですが残念ながら華がなかったですもんね。こんなレスラーが新日本を支えてたんでしょうけど・・・。

NJPW 02.07.1984 - Dynamite Kid vs The Cobra - YouTube

この頃のジュニアヘビーと言えばやはりダイナマイト・キッドでしょう。とにかくカッコよかったです。

高田延彦との『ジュニア版名勝負数え唄』

1986年2月6日、IWGPジュニア王座決定リーグ戦の決勝でザ・コブラを破り、初代IWGPジュニアヘビー級王座を獲得[1]。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争う。高田のキックを愚直にも正面から受けるファイトスタイルはUWFびいきのファンからも支持を集め、一躍人気レスラーとなった。そのキックや関節技を主体とした攻めの高田と、「耐える美学」「人間サンドバッグ」とまでいわれた受けの越中のシングルマッチは「ジュニア版名勝負数え唄」と形容され、当時のプロレスファンの圧倒的な支持を得た。
当時旧UWF勢は完全に新日本を舐めてかっていましたし、受けて立つ新日本勢もビビっている印象を受けました(これはプロレスマスコミによるものが大きかったのかもしれませんが)。そんな中、VS UWFの前面に出たのが藤波辰巳と越中でした。藤波は前田とIWGPチャンピオンシリーズで名勝負を展開したし、越中と高田のIWGPジュニアヘビー級選手権での越中の身体を張った受けの美学はまさに『サムライ・シロー』でした。

【UWF VS NJPW】IWGP nobuhiko takada VS shiro koshinaka - YouTube

ジュニアヘビー級時代の動画がなかったので。
1996/03/01 UWFインターナショナル 日本武道館 UWFインターナショナル VS 新日本プロレス IWGPヘビー級選手権試合 王者 高田延彦 VS 挑戦者 越中詩郎
余談ですが、坂口征二は『前田VSブロディ』をボイコットしたブロディの代わりに前田と闘い、前田の関節技を返して逆に柔道技をかけるなど前田と互角以上の勝負をしました。闘った前田も『もっと表舞台に出てきて欲しい』というような事を言っていた。これまでも坂口最強伝説はあったんですが、この試合で坂口の実力が証明されたのです。
行かないで後悔より行って後悔:前田日明vsブルーザー・ブロディ - livedoor Blog(ブログ) (1611375)

坂口征二VS前田日明 前田も大きかったけど坂口もデカいですね。

ドラゴン・ボンバーズから平成維震軍へ

ドラゴンボンバーズ発表記者会見

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