昔、芸人をやっていた俳優たち
劇団ひとりや宮迫博之など、芸人が俳優を演じる場合も増えていますが、やはりコントなども演技の一つなだけに演技力があるのでしょうね。しかし、今では全く芸人のイメージがない「えっ!この人も!?」という名俳優も昔、芸人をやっていた過去があったりするのです。そこで、、ここでは「昔、芸人をやっていた俳優たち」をプレイバックしていきましょう。
竹中直人
via blog.livedoor.jp
コミカルな役からシリアスな役まで、果ては外国人の役まで幅広い役柄をこなす個性派俳優の第一人者である竹中直人は、元モノマネ芸人。
俳優に転身後も「笑いながら怒る人は」たまにやってくれていますよね。
俳優に転身後も「笑いながら怒る人は」たまにやってくれていますよね。
1983年、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」でグランドチャンピオンになり、普段は辛口な評論をする司会の横山やすしから絶賛され、その後バラエティ番組に多数出演する。1985年にはシティーボーイズ、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇/コントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(RGS)を結成。1989年にスタートした「東京イエローページ(TBS)」や「竹中直人の恋のバカンス(テレビ朝日)」、「デカメロン(TBS)」などの深夜番組でビシバシステムらと演じたコントは、今だお笑いファンからカルト的な支持を得ている。
竹中直人 - YouTube
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でんでん
via koimousagi.com
映画『冷たい熱帯魚』の凶悪犯役を始め、今ではシリアスな役ばかりで芸人イメージはないでんでんだが、「お笑いスター誕生」では8週勝ち抜いた伝説のチャンピオンとなり、芸能界デビューした元芸人。
1980年、30歳の時に素人として『お笑いスター誕生!!』へ出演し8週勝ち抜き、金賞を獲得したのを機に芸能界デビュー。
お笑い芸人時代はスタンダップ・コメディ調の芸風で知られ、「ようみんなぁー、ハッピーかい?」「どうだい? 美しいだろぉー?」「今日はみんなにオイラのすばらしい歌を聞かせてやるぜ。」などの決め台詞でピン芸人として活動し、春風亭小朝と共演した「グリーン仁丹」のCMでも人気を博した。
via matome.naver.jp
阪田マサノブ
ドラマ「リーガルハイ」や「信長協奏曲」でもお馴染みの阪田マサノブもPART TIMEガンジーというコンビ名で漫才等を行っていた元芸人。
しかも、相方は、爆笑問題が所属しているタイタン創立メンバーの一人である太組不二雄。
しかも、相方は、爆笑問題が所属しているタイタン創立メンバーの一人である太組不二雄。
via koimousagi.com
田口浩正
相方があの芋洗坂係長のコンビ芸人だったのが、名わき役の田口浩正。あのコミカルな演技は、芸人時代のたわものなのかもしれませんね。
六本木のショーパブで出会ったのがきっかけで、コンビを結成。
1988年2月に田口が劇団「PROJECT TENSION」を結成した後、同年5月に小浦とコンビ結成[2](小浦のプロフィールでは、コンビ結成年を1989年としている)。当時の芸風は洋楽曲「ロリポップ」をブリッジに使ったショートコント風のネタを披露していた。その他、博多弁のラップも披露していた。
※小浦が現在、芋洗坂係長
1993年活動休止(小浦によれば「解散ではない」との事)。