キミは「尾崎魔弓」の何を知っているだろう
【プロフィール】
♦キャッチ: 美しき悪魔
♦誕生日 : 1968年10月28日(50歳) ※2019年7月現在
♦身 長 : 158㎝
♦体 重 : 57㎏
♦出身地 : 埼玉県川口市
【経 歴】
そして1992年にジャパン女子プロレスが崩壊し、「JWP女子プロレス」に移籍し名実共にトップレスラーとして活躍が注目されました。その後1996年に「OZアカデミー」を結成し、1997年にフリーランスとなり、現在もヒールとして選手育成から選手として活躍しています。
入場曲がカッコイイ
Pretty Maids - Red Hot and Heavy
Lita Ford - Can't Catch Me
全ての始まりは「ジャパン女子プロレス」だった、そして…
【ジャパン女子プロレス時代】
しかし井上貴子は全日本女子プロレスへのこだわりからその申し出を断ったそうです。ここでも数奇な運命が絡まり合っていますよね、最終的に2人は別々の道を歩むことになりました。
「ジャパン女子プロレス」では最初からヒールユニット「GUREN隊」の一員としてリング上で暴れまくります、これが現在の尾崎魔弓のルーツだったんですね。しかしここではヒールの専売特許である凶器攻撃や派手なメイクもせず、髪の毛を掴んで振り回すなど戦いの中でラフな攻撃をしかける、当時としては新しいヒール像を確立しました。そんな尾崎魔弓でも女性としての夢はありました。20歳で引退し結婚、23歳くらいで出産という淡い夢を抱いていましたが、実際に20歳になった頃にはプロレスが楽しくて結果的に夢は夢で終わることになります。
ジャパン女子プロレスもよく見に行ってた。デビル vsミスA、尾崎 vs鈴木は何度も見た。
— パンチ田原 (@punchtahara) June 11, 2018
で、約30年後がこちら。
#ジャパン女子プロレス #尾崎魔弓 #キューティー鈴木 #半券コレクター pic.twitter.com/9aHiib5nfk
【JWP女子プロレス時代】
そこにはジャパン女子プロレス時代から苦楽を共にし、リング上でイジメ続けてきた同期であり同郷の「キューティー鈴木」がいました。思えばこの2人に加えてもう1人の同期である「ダイナマイト関西」、そして御大の「デビル雅美」さんという4人が当時の「JWP女子プロレス」の屋台骨だったんですね。そしていつしか団体の顔として団体対抗戦に我先に出陣し、「全日本女子プロレス」のタッグタイトルを手中に収め「反JWP]派のファンやマスコミから一目置かれる存在にまで成長していきました。そして対抗戦ブームも去り、団体内でのトップ争いが激化してくるとその実力も円熟味を増してきました。ある時は真っ赤なコスチュームを身に纏い激しく相手をいたぶり、ある時は「JWP女子プロレス」初のストリートファイトマッチ「ドレスアップワイルドファイト」を行ったり、ヒール道を究め続けていくことになります。
ちなみに女子プロレスら―で「蛍光灯デスマッチ」を初めてやってのけたのも尾崎魔弓でした。
時にはリングアナウンサーとして、またある時にはリング屋さんとして日本全国を飛び回る裏方仕事の親方です。