性悪じゃなかった頃(?)の「鈴木みのる」…in新日本プロレス道場
2017年4月12日 更新

性悪じゃなかった頃(?)の「鈴木みのる」…in新日本プロレス道場

1987年頃だったと思うのですが、新日本プロレス道場に行きまだデビュー前の「鈴木みのる」選手を取材しました。デビュー前の「鈴木みのる」は…

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いざ新日本プロレス道場へ!

いざ新日本プロレス道場へ!

同行の田仲さんはキャプテン翼のアシスタント時の
一つ年上の先輩で熱狂的なプロレスマニア!
お気に入りはミルマスカラスのはずでしたけどでしたけど
新日本プロレスも大好きで初対面でお互いプロレス好きと
分かった時に一番好きなのはやっぱり「アントニオ猪木」だよね!って

闘えアトラス 作 田仲けいじ

インタビュー取材に先だって道場の練習風景を見学させていただきました。
巡業中で道場には故障で巡業不参加者くらいしかいなかったのですが
アントニオ猪木さんの大きな写真が貼られた道場の風景は
雑誌等で何度も見慣れた風景!僕も田仲さんも興奮しっぱなしです(笑)

ほぼ直っていたのかあのサムライ「越中シロー」選手がリングに上がってくれて
練習生相手に首投げなど受け身の稽古から取材の僕たちを意識してか
ロープに降ってヒップアタックまで見せてくれ間近に見るその迫力は
なかなかのものでした!

あとは木村健吾選手、野上彰選手(現AKIRA選手ですね)がいらしたのですが
取材対象ではなかったので遠目に見る程度でした。
闘えアトラス 作 田仲けいじ

闘えアトラス 作 田仲けいじ

先輩の田仲けいじさんの作品です。
もうマンガは辞めてしまったのですが
僕が知り合った時にはすでに「アトラス」は刊行されていて
僕なんか比べ物にならないほどのプロレスマニア!
何度も何度も…もう数えきれないほど一緒に
プロレス観戦に行きました!

「風になれ!」鈴木みのる

1987年頃だったと思うのですが先輩マンガ家の田仲けいじさんが
月刊少年ジャンプの連載企画のため(残念ながら企画は流れてしまったのですが)
新日本プロレス道場に取材に行くことになりご一緒させていただきました。
同行は当時僕と田仲さんの担当編集だったY倉さん

プロレスラーの練習生を主人公にした作品…の予定で
取材相手はまだデビューする前の練習生「鈴木みのる」選手!

1988年デビュー後当時若手のホープだった「船木 誠勝」選手
(まだ改名前で「船木 優治」と名乗っていましたけど)の盟友として
注目を浴び、後にUWF、藤原組を経てパンクラスに入りハイブリットレスラーに…

さらにプロレス復帰後は「世界一性格の悪いチャンピオン」なんて名乗っている
「鈴木みのる」選手です。


いえ…のちに性悪で怖い人になるなんて知らなかったし
田仲さんは結構怖い質問もしてたような気がします
僕じゃなくて田仲さんが!…ですよ(笑)
やっぱり怖~っ!鈴木みのる!

やっぱり怖~っ!鈴木みのる!

今のスタイルも良いですけど
昔大一番に白いタオルをかぶって入場してきた
シンプルなのもカッコ良かったです!

闘魂インタビュー!

インタビューは道場の隣にある合宿所の広間…

反対側ではシャワーを浴びた越中さんが素っ裸でタオルで体をふきながら
プロレス記者さん達に囲まれて取材をされている中で行われました。

「先輩の中で怖い人とかいる?例えば武藤さんとか橋本さんとかさ!」
なんて聞きにくいことを田仲さんは平気で訊いてますが
「武藤さんとかホントに強いんで怖いとかは…」と後にデビュー後に
プロレス雑誌で話していたようなことをボソボソと答えててくれた
「鈴木みのる」選手…今思うとデビュー前から全然ブレてなかったような気がします。

鈴木選手はデビューに向け増量中…なんでも100キロを超えたら
デビューという約束だったらしく急激な体重増加で腕の付け根などにあった
肉割れという現象など見せてくれましたけど
今の姿からは想像もつかないアンコ型にみえ…まさか後に
あんなスターレスラーになるなんて想像もつきませんでした。

当時はまだ若手だった海外武者修行前の
「武藤敬司」選手「蝶野正洋」選手「橋本真也」選手など大型の選手が
ヤングライオンとして注目を浴びていた頃でしたし
帰り道田仲さんと2人「あの体格じゃ厳しいよね」なんて言っていた
自分の見る目のなさを自覚します。

当時隅から隅までプロレス雑誌を愛読していてヤングライオン全員まで
良く知っていたつもりですがさすがに練習生までは全く知らなかったのですが
後にデビュー後 雑誌に載ったりテレビに出たりした姿を陰ながら応援していました!

数年後藤原組の東京ドーム興行セミファイナル
ゴビシビリ・ダヴィド戦など生観戦した時
良くここまで上り詰めたものだと自分の事のように嬉しく思ったのを
覚えてます。
無敵マスクマン伝説レボルシオン

無敵マスクマン伝説レボルシオン

さらにその数年後違う出版社ですが
僕の描いたプロレス漫画「レボルシオン」
(やっぱり残念ながらコミックス未刊行です 涙)
当然この合宿所取材の経験も生きていたと思ってます。

ここでしか読めない!ナカガー書き下ろしの「時空探偵マツ・de・DX」はコチラから

12 件

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  • 辻京介 2021/4/17 16:11

    だからこれは鈴木ミノルの特集なんでしょ。
    若手時代の鈴木の写真なんて一枚もなく、ここでおたくさまの書いた漫画を紹介する必要がどこにあるのよ?
    鈴木ミノルとおたくの漫画にいったいどんな関連性があるのさ(笑)

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