桑田圭祐"BAN BAN BAN"とマンガ家野球チーム「B-heads」
2017年2月2日 更新

桑田圭祐"BAN BAN BAN"とマンガ家野球チーム「B-heads」

ナカガーのMBB(マンガブラックボックス) 1989年12月…その日僕はマンガ家の野球チームB-Headsの忘年会で新宿にいました。

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舞台は1989年12月某日の新宿

僕は子供の頃にはあまり野球をやってなかったのになぜかマンガの世界に入って以降
二つの草野球チームに所属して20代30代の頃年間50試合近く何年も続けていました。
(子供の頃にやってなかったせいかものすごく下手クソですし本当に下手の横好き、
ベンチも多かったのです…)

二つのチームのうち一つは前回書いた「キャプテン翼」の高橋陽一さんの所属する「NEWヒーローズ」
監督は「よろしくメカドック」の次原隆二さん、今も漫画ゴラクで「江戸前の旬」を連載中のさとう輝とか
他にもにわのまことさん、小畑健くん、桐山光侍くんなどが所属してます。

そしてもう一つがアシスタント仲間で作った「B-heads(ビーヘッズ)」というチームで
今僕が別に連載している沖縄を舞台にしたマンガ「屋根の上のラフテー」の
キャラクターデザインをしてもらった沖縄在住のマンガ家なかいま強とか
月刊ジャンプで「イレブン」というサッカーマンガを連載していた高橋広さん
監督はスーパージャンプで「競艇少女」を連載していた小泉祐洋(今は小泉ヤスヒロですね)です。

そしてそのB-headsが1989年12月某日新宿で忘年会を開いたのでした。
我らがB-heads!

我らがB-heads!

ホント散々野球をしたのに下手くそで…
…ていうのは僕は左利きだったのを親に矯正されて右を使うようになったのですが
親の前でやることは右、隠れてやることは左のままなんていう状態でした。
お箸や字を書くのは右で今やお仕事になっている絵を描くのは左という中途半端さ
野球は左用のグローブを持ってなかったので子供の頃は右投げ右打ちですが
特に投げるのが全然だめで…と言って左も使ってなかったから投げられなかったのを
マンガ家の野球チームに入ってから左も使うようにして
30才くらいで左投げ左打ちになりました。そんなんじゃ当然上手くなるわけないですよね(笑)

会場は新宿のカラオケパブ「テアトロン」

会場は新宿の「テアトロン」というカラオケパブで当時まだ楽曲数の少なかったカラオケを
イコライザーなどを使ってアルバム曲まで歌えるようにしてくれていてステージまである
かなり大きなお店でした。

午後7時くらいから始めたと思うのですが何度も来ているお店がちょっとザワザワしていて違和感が
あったのを覚えています。
ひととおりカンパイやらなんやらした後カラオケのリクエスト(これも下手の横好きですが)
僕は確か当時流行っていた爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」なんてリクエストを入れました。

そして順番が回ってくる頃100人くらいは入りそうなお店がいつの間にかものすごく混雑していました。
それも雰囲気がいつもと違ってなんだか華やかというか…そう!なんとお店は僕たち以外
映画「稲村ジェーン」の打ち上げで芸能人ばかりになっていたんです。

「稲村ジェーン」といえばサザンオールスターズの桑田圭祐さんが初監督を務めたと
当時公開前から話題になっていた作品
見回してみると尾美としのりさんがいて(当時は分からなかったのですがおそらく)金山一彦さんが
ガラスのジェネレーションを熱唱しながら「尾身~っ!聞いてるか!」なんてがなって盛り上げてました。
(桑田佳祐さんは監督のせいか出演者さんを入口まで出迎えたりと忙しそうでしたけど)
1989年度B-heads納会in新宿テアトロン

1989年度B-heads納会in新宿テアトロン

今もやっているのかどうか全然知らないのですが友人に教わったお店で
当時新宿界隈に3店舗…特に3号店はステージに花道、2階席まであるほど広くて
ほとんどライブ会場、さすがにその店では歌うのはちょっと…
そんな中「大きな玉ねぎの下で」のイントロが流れ僕の歌う順番になったのですが
上記の通り野球だけじゃなくて歌も下手な僕にとってはそんな中で歌うのなんてとんでもないことです。
そこでアシスタント仲間の歌の上手いH君に頼んで一緒に歌ってもらうことにしました。

ホントに偶然なのですが彼は桑田圭祐さんの大ファンでその数日前に行われた
西武球場ライブに行っていて桑田さんの投げたシャツをキャッチし!
その場にも着てきていた程でした。

そして2人でならんで「大きな玉ねぎの下で」を熱唱…もちろん「稲村ジェーン」関係者は
誰も聴いてません(笑)でしたが僕は無事に務め(?)を終え満足して席に戻りました。
大プレッシャーカラオケ!

大プレッシャーカラオケ!

生涯2度あった大プレッシャーカラオケです。
もう一つは月刊少年チャンピオン連載時に
秋田書店合同年末パーティでなぜか月刊チャンピオン代表で
歌う羽目に…
月刊、週刊、ヤング、各チャンピオン編集部合同ですからものすごい人数で
ほとんどコンサート会場のようでした。

その時も友人のマンガ家に頼んで一緒に歌ってもらったような…

桑田佳祐さん本人を目の前に、カラオケリクエストは「BAN BAN BAN」!

その後はちょっとその雰囲気の中ではもう歌えないなと思いながら普通に僕たちだけで
飲んでいたのですがさすが歌の上手いH君、大好きな桑田さんに自分の歌を
聞いて欲しかったのかリクエストをいれてます!

すごい度胸です(笑)

到底僕にはそんな真似出来っこありませんが彼のリクエストした曲はなんと
KUWATA BANDの「BAN BAN BAN」(バン・バン・バン)!
そうです桑田佳祐さんご本人の前でうたってみせようっていうんです!

超すごい度胸です!

BAN BAN BANのイントロが流れ出したとき、桑田佳祐さんが・・・

お忙しそうな桑田さん、何度も入口に送り迎えに行ったり来たりしていたのですが
「BAN BAN BAN」のイントロが流れた時ちょうど帰ってきてご自分の席に向かうところで
リクエストしたH君のすぐ目の前を歩いていました。

僕の席は僕たちのグループの中で一番ステージ寄りだったせいもあって
2人の会話がはっきり聞こえます。

流れる「BAN BAN BAN」のイントロに「あれこの曲は?」と桑田さん
「すいません、歌わしてもらいまっさ!」とH君…すると

「いや、俺が歌うわ」と桑田圭祐さん!

そうです、突然桑田圭祐さん生ライブを見ることになったんです!

僕の歳だと高校生の時のデビュー以来(そのころで15年くらいでしょうか)
ずっとテレビなどで見ていた人が生歌で歌ってくれたんです!

もうお店の中は大興奮、大盛り上がりでした!
突然歌うことになった桑田さんが2番か3番の歌詞を忘れてあわてて
歌詞カードをめくるなんてパフォーマンスもあって!

もう27年も前の話なのに鮮明に覚えています、
いろんなことがあるものですね(笑)
生BAN BAN BAN!

生BAN BAN BAN!

サザンのデビューは僕が高校生の時、
それからずっとテレビとかで見ていた人が
たくさんアルバムを聴いていた人が目の前至近距離に!
もうホントにビックリ!感動でした!
今回の話と関係ないのですが
ミドルエッジ連載中の「マツ・de・DX」第1話 美しき獣日産レパード
原作者の山本圭亮さんのところに何通かのお叱りのメッセージを
頂いたそうです。

話の中で2代目日産レパード後期型となっているのに描いてあるのは前期型じゃないかと!
山本さんは全く悪くなくて全部僕の責任です。
実は僕は2代目レパードというと前期型のグリルが好きで余り考えずに
何カットか前期型を描いていました。

…というわけでご指摘の「その2」何カットか後期型グリル修正させていただきました。
申し訳ありませんでした。

ここでしか読めない!ナカガー書き下ろしの「時空探偵マツ・de・DX」はコチラから

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