ピチカートファイブ
1990年代の日本において一世を風靡した「渋谷系」と呼ばれる系統に属し、その音楽性のみならず3代目ボーカルである野宮真貴のルックス・ファッション面でも評価が高かった
1984年、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子の4人をオリジナルメンバーとして結成。
当初はドラマーの宮田繁男(後のオリジナル・ラヴメンバー)を加えた5人の予定だったが、4人で“ピチカート・ファイヴ”を名乗ることとなった。
五人になる予定で、バンド名を考えていたのでしょうが・・・。
佐々木麻美子がいたピチカートファイブ
via img2-ak.lst.fm
1985年、元はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YMOの細野晴臣プロデュースにより12インチシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でテイチク/ノン・スタンダードレーベルよりデビュー
こちらは、「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」のPV動画です。
PIZZICATO V / The Audrey Hepburn Complex(1985) 佐々木麻美子 - YouTube
via youtu.be
via record.ticro.com
1986年、CBS・ソニーレコードへ移籍。1987年にファーストアルバム『couples』をリリースするが全く売れず、ソニー側から「ライヴの出来るボーカリストとの交代」を要求される等の事情もあり同年、鴨宮諒と佐々木麻美子の二人が脱退。
売れないだけでボーカル交代とは・・・。
田島貴男を迎えてのピチカートファイブ
2代目メインボーカルの田島貴男
二つのバンドを掛けもちしている。
『渋谷系』の代表みたいな感じで若者に支持を受ける。
ピチカート時代の楽曲「夜をぶっとばせ」は後にオリジナル・ラヴ名義でもセルフカバーされている。
『渋谷系』の代表みたいな感じで若者に支持を受ける。
ピチカート時代の楽曲「夜をぶっとばせ」は後にオリジナル・ラヴ名義でもセルフカバーされている。
1988年にはセカンドアルバム『Bellissima!』をリリースします。
via vegepples.net
その後も『女王陛下のピチカート・ファイヴ』(1989年)、『月面軟着陸』(1990年)とアルバムを次々と発表して一部では話題となるが、いずれも商業的な成果を残せず、クラブに通う若者や流行に敏感な者だけが熱狂的に支持するハウス系バンドと見られていた
1984年 に活動開始し、」2001年3月31日に解散。
デビュー当時から1987年までの表記はPIZZICATO Vだった。