では、田島貴男が歌うライブ映像をご覧ください。
Pizzicato Five (from VHS「 Days SPRING BEAT '89」 ) - YouTube
via youtu.be
1990年、ピチカート・ファイヴは日本コロムビア/SEVEN GODS(後にTRIADレーベル)に移籍した。この背景にはそれまでの所属レコード会社であったCBS・ソニーの販売戦略に対する疑問もあったようである。移籍と同時に田島貴男がオリジナル・ラヴでの活動に専念するため脱退した
やはり、掛けもちで2つバンドをするのは大変みたいですね。
野宮真貴を迎え、インパクトのあるピチカートファイブへ
via cdn.top.tsite.jp
高浪慶太郎が高浪“敬太郎”と改名し、1991年に高浪敬太郎コンボ&オーケストラ(小西も2曲参加)としてフジテレビ系テレビドラマのサウンドトラックである「学校へ行こう! LET'S GO TO SCHOOL」を手がけたのを皮切りに、大量のリリース攻勢を仕掛けていく。
その名が広く知られるようになったのは1993年4月にリリースした「スウィート・ソウル・レヴュー」によってである
via blogs.c.yimg.jp
さらに同年6月に発表したアルバム『ボサ・ノヴァ 2001』(元フリッパーズ・ギターの小山田圭吾との共同プロデュースによるアルバム)はオリコンチャートで最高7位を獲得。12月にリリースした「東京は夜の七時」も、フジテレビ系の子供番組『ウゴウゴルーガ2号』のオープニング曲に採用されてさらに知名度を高め、一気に一流アーティストの仲間入りを果たした。
その後数々のヒットセールスを伸ばしますが、1994年の10月に高浪が脱退し、小西、野宮の二人で活動していくことになります。
1997年、小西によって新レーベル*********(readymade) records,tokyoを設立
数々のアルバムやシングルを出しますが、
アルバムCD「プレイボーイ・プレイガール」の通常盤発売以降、日本コロムビアが立ち上げたJ-POP部門のレコード会社HEAT WAVE(ヒートウェーブ)が発売元となり、2001年の同社清算までの作品は、【********* records,tokyoレーベル、発売元:株式会社ヒートウェーブ、販売元:日本コロムビア株式会社】という形態となる。
1999年7月に野宮がソロとしてCDデビューし、8月には小西プロデュースによる「慎吾ママのおはロック」が発売された。二人とも音楽活動が充実していました。
野宮真貴が歌うライブ映像をご覧ください。
元ポータブル・ロックのメンバー