2016年11月21日 更新
【プロゴルファー猿】藤子不二雄Aによって描かれたゴルフ漫画。その連載の長い歴史と、数々の名シーンを振り返ってみましょう。
1974年に週間少年サンデーで始まった少年誌界初のゴルフ漫画です。少年誌としては前代未聞のゴルフ漫画は、編集部が抱いていた大きな不安とは反対に、その号の読者人気アンケートでいきなり1位を獲得するほどの大反響でした。頼れるのは自分一人、栄光と挫折にみちた孤独なゲーム、そんなゴルフの魅力にみせられた主人公の物語です。
読み切りシリーズ掲載のたびに着実に人気を重ねていった『プロゴルファー猿』ですが、この人気に応え、30〜32号では三週連続100ページ企画、39〜43号では五週連続100ページ企画が登場しました。それぞれ「vs黄金仮面編」「vs紅蜂編」の事です。
もうレギュラー連載化は目前です。そして、昭和50年3・4合併号で始まる「野望編」(恐竜ドラゴン編)から、ついに本式に長期週刊連載がスタートとなりました。藤子不二雄Aのライフワークとなる「プロゴルファー猿」はこうして幕を開けたのです。
この週刊少年サンデー版の連載は昭和53年まで続きました。第一回が掲載された昭和49年13号から数えると、約丸5年にも渡る長期連載でした。この、少年サンデー版は昭和53年45号(「閃光編」)で、猿がプロテストに合格し、猿が名実ともにプロゴルファーとなるシーンで一旦終了となります。
週刊少年サンデーでの連載が終了したからと言って、「猿」自体の世界観がそこで終わったわけではありませんでした。翌年の1979年、今度は増刊少年サンデーに舞台を移し、連載開始されました。通称「フェアウェイの戦士編」と呼ばれるこのシリーズは、これまでの週刊少年サンデー版とは違い、毎回の1話1話が単独の読み切り作品的な匂いを持ったシリーズとなります。ここでは、プロテストに合格したその後の猿丸の様子が描かれています。
コロコロ時代(1982〜)『新プロゴルファー猿』
さらに1982年 - 1988年には『コロコロコミック』(月刊、別冊)にて内容をより低年齢向けとした『新プロゴルファー猿』が連載されました。前作で本物のプロゴルファーとなった猿丸を描いていますが、内容としては前作と同様に裏のゴルフ界からの刺客との対決がメインでした。
少年サンデー掲載分はプロテストに合格した後の猿を描いているのに対して、別冊コロコロ版はそのような描写が一切無いのです。これは、増刊少年サンデー版が純粋に週刊少年サンデー版の続きを描いているのに対して、別冊コロコロ版は(週刊少年サンデー版では初期のエピソードに当たる部分の)アニメを機に連載開始されたものであるという性格の違いに依るものです。
アニメ『新プロゴルファー猿』はギャグタッチのアニメとして仕上がり、ファンの間からも不興を買うことになりました。結果わずか3ヶ月という異例の放映期間の短さで放映終了となります。
また、このアニメ『新プロゴルファー猿』のスタートに合わせて月刊コロコロコミック連載版もタイトルが『新プロゴルファー猿』と改題されましたが、アニメ版があっけなく終了してしまったことに影響を受けたのか、こちらもその年の年内には最終回を迎えてしまいます。原作版もアニメ版も、長期シリーズの作品としてはかなり中途半端な形での連載・放映終了となってしまいました。
「プロゴルファー猿FOREVER」他(1989〜)
アニメの終了とともにあっけなく一旦幕を閉じてしまった『プロゴルファー猿』でありますが、89年にはファンサービスの意味も持つ『猿』の読み切り短編が描かれました。これが、「週刊少年サンデー30周年記念増刊号」に掲載された『プロゴルファー猿 FOREVER』です。大橋巨泉主催のプロアマ大会に参加するためにハワイへと旅立った藤子不二雄Aが現地で「猿」に会うという内容で、10年後にビッグコミック誌で連載開始となる「サル」との繋がりが非常に興味深い作品です。現在のところ単行本未収録作品となっているのが何とも惜しいですね。
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正体を明かす前の初対面で、猿丸のドライバーをゴルフ素人の偶然と見せかけてヘッドの根元にヒビを入れたこともありました。猿丸との対戦後は彼に味方するシーンも見受けられ、ミスターXにも時として逆らうことも。連載初期は親も兄弟もいないと言っていたが、実際は妹がいます。「レッド・スコルピオ(赤いさそり)」という影のプロゴルファーを名乗り、シャドウマスターズでは一旦敗北するもミスターX直々の指名によって猿の2回戦の相手に抜擢される。