金石昭人投手の略歴
wikipediaを参考にさせていただきました。
金石昭人投手は、PL学園高校を経て、1979年ドラフト外で広島カープに入団。1991年オフに日本ハムに移籍、1998年に巨人に移籍し、同年に引退しました。
通算成績 72勝61敗80セーブ。
ちょうど広島の黄金時代に活躍した選手だったので、数字以上に記憶に残る選手です。
なお80セーブのうち76セーブは日本ハム時代に獲得したものです。
金石昭人投手は、PL学園高校を経て、1979年ドラフト外で広島カープに入団。1991年オフに日本ハムに移籍、1998年に巨人に移籍し、同年に引退しました。
通算成績 72勝61敗80セーブ。
ちょうど広島の黄金時代に活躍した選手だったので、数字以上に記憶に残る選手です。
なお80セーブのうち76セーブは日本ハム時代に獲得したものです。
あの大投手 金田正一の甥っ子
via www.youtube.com
金石さんの叔父は、あの400勝投手金田正一さんだそうです。
金田さんは、毎年正月になると、親戚一同の子供を集めて、キャッチボールをさせ、野球の素質を見ていたとのこと。
そこで金石さんは金田さんに見いだされ、ツルの一声で「お前は野球をやれ」と言われます。
金田さんは、毎年正月になると、親戚一同の子供を集めて、キャッチボールをさせ、野球の素質を見ていたとのこと。
そこで金石さんは金田さんに見いだされ、ツルの一声で「お前は野球をやれ」と言われます。
普通の野球少年が名門「PL学園」へ?
飛び抜けた実績を残すわけでもなく、普通に少年野球、しかも軟式野球をしていた金石少年ですが、またもや、大投手金田さんの「ツルの一声」で、「もう話はつけてある。お前はPL学園に行け」と言われたそうです。
つまり「コネ」で入ったものの、PL学園は名門であり、周りは超エリートばかり。金石さんが3年生の時に、初の全国制覇を成し遂げます。
つまり「コネ」で入ったものの、PL学園は名門であり、周りは超エリートばかり。金石さんが3年生の時に、初の全国制覇を成し遂げます。
via www.youtube.com
PL学園時代は、後に広島カープで同僚になる西田真二さんが4番・エースとなり活躍し、金石さんは甲子園では出る幕がありませんでした。
西田真二さんがいたから、金石さんがプロに入れた。
via ja.wikipedia.org
PL学園当時のことを振り返って、金石さんは、「甲子園はこわかった」と言っています。
西田さんという絶対的エースがいたため、金石さんの甲子園での登板は1回もありませんでした。
しかし、それが功を奏したと金石さんは言っています。
もし甲子園で登板して打たれていれば、いくら金田正一の甥っ子といえども、プロにはなれなかったのではないか、と分析しています。
登板がなく打たれなかったことで、「未完の大器」というイメージがつき、晴れてプロの道に入れたのだと語っています。
西田さんという絶対的エースがいたため、金石さんの甲子園での登板は1回もありませんでした。
しかし、それが功を奏したと金石さんは言っています。
もし甲子園で登板して打たれていれば、いくら金田正一の甥っ子といえども、プロにはなれなかったのではないか、と分析しています。
登板がなく打たれなかったことで、「未完の大器」というイメージがつき、晴れてプロの道に入れたのだと語っています。
プロ入りもやっぱり「あの人」が登場。
via www.youtube.com
一度も甲子園で投げたことのない金石さんの進路について、またもやあの金田さんが登場します。
広島カープ側に、「甥っ子でPLで背の高いのがおるんですけど」という三度目の「ツルの一声」で、「将来性を買われ」広島に入団します。
広島カープ側に、「甥っ子でPLで背の高いのがおるんですけど」という三度目の「ツルの一声」で、「将来性を買われ」広島に入団します。
via www.youtube.com
「背の高さ」は、持って生まれた天賦の才能
ここまで、金田正一さんのコネで金石さんはプロ野球に入ったということを書いてきましたが、あの大投手・金田さんが推薦するくらいですから、やはり野球に向いている「才能」が金石さんにはあり、それを金田さんが見抜いていたのだと思います。
特に身長197cm(wikipediaより)という長身は、投手にとっては非常に大きなアドバンテージになります。
特に身長197cm(wikipediaより)という長身は、投手にとっては非常に大きなアドバンテージになります。
広島黄金期を支えた3人の同級生
via www.youtube.com