PL学園はどこにある?偏差値は?
PL学園の応援 人文字&校歌
所在地:大阪府富田林市喜志2055(パーフェクトリバティー(PL教団)本部敷地内)
設立年月日:1955年
設置学科:普通科
学科内コース:国公立コース・理分専修コース
偏差値:国公立コース・53
:理分専修コース・50
偏差値ランキングでは大阪府内532件中192位と、まずまずな位置につけていました。
PL学園はなぜ廃部になったのか?復帰の可能性は?
#伝説のスカウト井元先生 から、PL学園校歌を書いた色紙を頂きました。甲子園ではお馴染みだと思いますが、初めて、2番と3番の歌詞を見させて頂き新鮮で感動しました。
— 野々垣武志 (@takeshinonogaki) January 20, 2021
井元先生ありがとうございました。
是非、歌って下さい♪😁#PL学園 #高校野球 #甲子園 #プロ野球 #高校野球校歌 #pl学園校歌 pic.twitter.com/9mgtXehlJH
まず一つ目の原因は、2000年代に入ってから監督や上級生による下級生への暴力事件が明らかになったからです。
時系列でまとめてみますと…
2001年:上級生が下級生をバットで殴っていた事件が発覚し、高野連から6か月の対外試合禁止処分が下りました。
2008年:藤原弘介監督(当時)が、野球部員に暴力をふるっていたことが判明し解任処分を受けています。
2011年:部員による部内暴力や喫煙問題が発覚し、対外試合禁止処分を受けます。
2013年:野球部寮内で下級生に対して上級生が暴行し救急車で搬送される暴力事件が起こり、下級生が重症を負いました。
そして6か月もの対外試合禁止処分が下っています。
2001年には上級生が下級生をバットで殴り6ヶ月の対外試合禁止処分に。2008年には当時の監督が部員に暴力を振るって解任される事件も起こった。2013年2月、やはり上級生による暴力事件が発覚して、6ヶ月の対外試合禁止が下る。この件が廃部騒動の引き金となった。
野球部が強豪になると入学希望者が増え広告塔になりますが、設備などに莫大なお金もかかりますから維持していくのも大変そうですよね。
PL学園復活の兆し⁉︎OB会で立浪和義と宮本慎也に会ったからこれからのPLと昔話をしたよ〜♫
私も中学校の遠足で、1985年の科学万博つくば85に行ったときに、駐車場に「PL学園」のバスを発見し、大興奮したことがあります。
1985年と言えば、KKコンビが3年の夏で優勝した年ですからPL学園全盛期でしたし、興奮していた同級生は多かったですね。
後で聞いたのですが、混乱を避けるために野球部員はつくば85に行っていなかったとか…。
それも気の毒だと当時思いましたね。
高校球児とはいえ、高校生です。
野球や勉強も大事ですが、万博行きたいですよね。
これは余談でしたが、果たしてPL学園の復活はあるのでしょうか?
昨年1月には、元巨人などの桑田真澄氏がPL学園野球部OB会長に就任し、野球部復活の嘆願書を学校側に提出。野球部の活動再開に向けた第一歩を記すと、OBチームでマスターズ甲子園に出場もした。OB会長として、教団と数回の会談を重ねた桑田氏は、「最初にお会いしたとき、"復部を考えています"といっていただいた。こちらとしても、復部を要望するだけではなく、どのように復部するかも大事。教団の意向、こちらの意向をいろいろと議論させてもらっている」と、意見交換してきたことを明かした。
教団の意向や、OB会の意向を議論しながら意見交換していることを明かしていました。
復活を期待したいですね!
PL学園出身有名人は?
ミドルエッジ世代にはめちゃめちゃ有名人ですが、若い人にはMattさんのお父さんといった方がわかりやすいかもしれませんね。
本名:桑田真澄
生年月日:1968年4月1日
PL学園在学期間:1983年4月1日~1986年3月31日
進路:1985年度プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツ(巨人)から1位指名を受け、入団しました。
本名:清原和博
生年月日:1967年8月18日
番長の異名でやんちゃなイメージが強いですが、西武ライオンズ時代は好青年といった感じですね。
PL学園在学期間:1983年4月1日~1986年3月31日
進路:1985年度プロ野球ドラフト会議にて6球団から1位指名を受けて、交渉権を獲得した西武ライオンズに入団しています。
自身および父親以外の家族全員がファンである巨人、もしくは、父親がファンである阪神入りを熱望した。両軍がプロ野球ドラフト会議で自身への交渉権を逃した場合には、プロ入りせずに翌年までは日本生命硬式野球部で社会人野球を行うことを表明していた[注 5]。
しかし、運命の1985年のドラフト会議当日、巨人は清原ではなく、早稲田大学進学を表明していたチームメイトの桑田真澄をドラフト1位で強行指名した。
当の清原は、阪神および南海ホークス、日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、近鉄バファローズ、西武ライオンズの6球団から1位指名を受けた。しかし、抽選の結果、阪神ではなく西武が交渉権を獲得した。ドラフト会議直後の記者会見では、失意で涙を溜めた姿が放送された。
純粋な人なんでしょうね。