渡辺智男。西武の同僚・清原は甲子園で対戦し3三振!号泣し素振りを繰り返した!
2021年5月27日 更新

渡辺智男。西武の同僚・清原は甲子園で対戦し3三振!号泣し素振りを繰り返した!

渡辺智男。高知県・伊野商のエースとして、3年春に選抜高校野球大会に出場し、優勝。PL学園の清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」とは準決勝で対戦。清原から3三振を奪う快投をみせた。西武ライオンズ入りしてからは怪我と戦った渡辺智男の野球人生を追う。

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伊野商、甲子園初出場で初優勝の快挙!渡辺智男自身は投打で活躍!!

渡辺智男(わたなべ とみお)は高知県・伊野商で背番号「1」のエースとして、3年春に選抜高校野球大会に出場。当時全国的にはあまり知られていなかった同校にとってこれが初の全国大会となった。

チームは1回戦突破を目標としていたが、抽選の結果、初戦の相手はチーム打率が4割を超す東海大浦安となった。しかし、試合が始まると1回表に渡辺のホームランで先制して流れをつかみ、5対1で勝利した。これによってチームの緊張が解け、落ち着いてプレーできたという。
メガネをかけて投球した渡辺智男

メガネをかけて投球した渡辺智男

準決勝では清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」を擁する優勝候補の一角、PL学園と対戦。
伊野商が初出場だったこともあり、試合前の予想では圧倒的にPL学園が有利と言われていた。一方で、PL学園側は投手対策を特に立てておらず試合に臨んだとも言われている。
試合では、渡辺が清原を3三振に封じ込めた。ど真ん中の速球で強打者の清原から三振を奪ったのは非常にインパクトがあった。そして、PL学園打線をホームラン1本による1失点と見事に抑えた。納得の好投で、3-1で勝利し、大金星を挙げた。

「KKコンビ」は結果的に、1年生の夏から3年生の夏まで全ての甲子園大会に出場することになる。その内優勝2回、準優勝2回と信じられないような記録を残しているが、唯一決勝に進めなかったのがこの大会であった。
PL学園・清原和博と対戦する伊野商・渡辺智男

PL学園・清原和博と対戦する伊野商・渡辺智男

決勝の対帝京戦では、渡辺自らホームランを放つなど打撃でも活躍。後にロッテに入団する小林昭則と投げ合い、13奪三振を奪う快投を見せた。最後は内角高めの空振り三振で打者を抑え、完封勝利で優勝した。

伊野商、センバツ初優勝の瞬間(1985年)

渡辺智男に力負けした清原和博は悔し泣き!!

当時のPL学園監督だった中村順司は伊野商に敗れた日の清原についてこう語っている。「清原はおそらく『自分が一番上だ』と思っていたはず。それが準決勝でやられた上に、自分は3三振。負けた直後、ベンチで、あれほど泣いた清原を見たのは初めてでした」。

PL学園は甲子園から学校に戻り、ミーティングを行った。ふと気づくと清原の姿がなく、探しに出た下級生が、室内練習場で上半身裸になって、汗だくで素振りをしている清原を見つけたという。

清原はこの悔しさをバネに成長し、3年生最後の夏に結果を出した。山口の宇部商との決勝で2打席連続を含む大会新記録の5本塁打と爆発し、1年生以来、2年ぶりの頂点に立つことができた。

清原は後年、甲子園での渡辺との対戦を振り返り、「力で抑えられたのはあの時だけ」と語っている。

'85甲子園春 清原 桑田vs渡辺智男 最強PL敗れる

10:46~ 三振にたおれ、バットを叩きつけて悔しがる清原

【伝説の清原 対 渡辺】 85年センバツ PL × 伊野商 MBS版

”投手にならない”という条件で伊野商に進学していた!

渡辺は中学時代にヒジを剥離骨折。その影響もあり、投手にならないという条件で伊野商に進学している。しかし、2年の春から投手として練習するようになり、秋にはエースナンバーを獲得するまでになっている。

また、県内の同学年の投手には高知商の中山裕章や明徳義塾高の山本誠がおり、球速は中山、制球力や変化球は山本の方が上だと感じたため、球持ちの良さや速球のキレに磨きをかけたという。
伊野商・渡辺智男

伊野商・渡辺智男

西武ライオンズにドラフト1位で入団

高校卒業後は、社会人野球のNTT四国に進んだ。「都市対抗野球」にも出場し、勝利を挙げるなど活躍。また、野茂英雄や古田敦也、潮崎哲也、大森剛など錚々たるメンバーを揃えた1988年のソウルオリンピック野球日本代表にも選ばれたが、右ひじを故障してしまう。

この怪我などを理由にドラフト会議を前にプロ入り拒否を打ち出すが、西武ライオンズがドラフト1位で強行指名した。結局、同じくプロ入り拒否を打ち出していた2位指名の石井丈裕とともにプロ入りを決めることになった。
渡辺智男の野球カード

渡辺智男の野球カード

プロ1年目の1989年のキャンプは右ひじ周辺の筋肉強化などのリハビリで始まるが、3月中旬には捕手を座らせた状態で一日50球以上を投げられるまでに回復。

イースタン・リーグでの登板を経て、5月26日に一軍に昇格。初登板となる6月2日の対ダイエー戦で先発を任された。この試合はわずか1回1/3で7点を奪われ敗戦投手となったが、6月17日の対ダイエー戦で初勝利を完投で飾った。以降、先発に定着し、同年は19試合の登板ながら規定投球回にも到達して10勝を挙げている。
なお、新人王の選考では惜しくも酒井勉に敗れたが、契約更改では酒井と同額の年俸2,000万円となった。

2年目の1990年、開幕から先発ローテーションに入り、森祇晶監督から厚い信頼を受けていた。
これに応えて5月11日の対ダイエー戦まで開幕5連勝(前年から通算9連勝)を記録するなど、シーズン通算ではキャリアハイの13勝を挙げた。この年はオールスターゲームにも初出場を果たしている。

また、先発した同年の日本シリーズ第3戦は春の甲子園以来となる桑田真澄との投げ合いとなり、史上8人目の初登板初完封で勝利した。なお同シリーズでは西武ライオンズの選手がこぞって活躍し、渡辺は完封を記録しながら優秀選手賞に選ばれないという珍しいケースとなっている。後に渡辺自身はこの完封勝利を現役時代一番の思い出だと語っている。
巨人(イースタン・リーグ)を相手に活躍した渡辺智男を伝...

巨人(イースタン・リーグ)を相手に活躍した渡辺智男を伝える新聞

※1989年4月25日の日刊スポーツ

1989 渡辺智男 1

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