金髪のライオン丸・バルデラマ!’90年W杯でのスルーパスは”シルクの糸”と称された!
2017年5月5日 更新

金髪のライオン丸・バルデラマ!’90年W杯でのスルーパスは”シルクの糸”と称された!

90年代のコロンビア代表を牽引したバルデラマ。独特のヘアスタイルもあって非常に覚えやすかった。また、そのプレイスタイルはど派手な頭とは違って、繊細なパスが持ち味だった。バルデラマのワールドカップでの活躍を中心にまとめる。

19,220 view

コロンビア代表の中心選手・バルデラマ

90年代のコロンビアサッカー界において長らく代表の”顔”だった選手といえば、やはりこの男バルデラマ以外にいないだろう。

同時代には「スコーピオン」と呼ばれる足技セービングを行ったGKレネ・イギータや俊足のFWアスプリージャがおり、バルデラマ率いるコロンビア代表は、W杯の優勝候補にも挙げられる程であった。
90年代のW杯で活躍したバルデラマ

90年代のW杯で活躍したバルデラマ

《個人データ》
・本名:カルロス・アルベルト・バルデラマ・パラシオ
・愛称:エル・ピーペ(少年)、ライオン丸、鬼才
・生年月日:1961年9月2日生まれ
・ポジション:MF(トップ下)
・身長、体重:179cm、74kg
・利き足:右
現役中はグラウンダーのパスが多かった!

現役中はグラウンダーのパスが多かった!

バルデラマは細かいショートパスを主体としたパスサッカーとの相性が抜群だった。彼の長短織り交ぜたパスは敵を翻弄し、まさに針の穴を通すがごとく、ゴール前の密集地帯でも難なく味方にボールを繋げた。

コロンビア代表を28年ぶりのW杯に導いた!

初出場だった1962年以降、W杯とは縁がなかったコロンビア代表に、80年代後半新星が現れた。それがバルデラマだった。

1987年のコッパ・アメリカでの3位躍進に重要な働きをしたのがバルデラマであった。特に1986年のメキシコW杯で大活躍をしたディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンに勝利したこともあり、コロンビア浮上のきっかけとなっていく。
その年、バルデラマは南米年間最優秀選手賞を受賞している。
バルデラマ

バルデラマ

その勢いは1990年のイタリアW杯の予選でも発揮され、チームメイトであるイギータの活躍もあって28年ぶりにW杯本大会への出場権を獲得した。

本大会でもユーゴスラビアや西ドイツという強豪国と同組になるが、グループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦で敗れるが、カメルーンと対戦し、延長戦になるまでの接戦となった。
バルデラマ

バルデラマ

続く、1994年のアメリカW杯の南米予選では、アルゼンチン代表にアウェイのブエノスアイレスで5-0で圧勝するなど圧倒的な強さで予選を突破する。
サッカーの神様・ペレもが優勝候補に挙げる程のチームとなった。

しかし、初戦のゲオルゲ・ハジを擁するルーマニアに1-3で敗れ、続くアメリカ戦はDFエスコバルのオウンゴールを含む2失点を献上し、1-2で試合を落とした。事実上この敗戦でコロンビアの1次リーグ敗退が確定した。また、オウンゴールを献上したエスコバルは、コロンビアに帰国後バーに居合わせた客とケンカとなり、射殺されている(「エスコバルの悲劇」)。
アンドレス・エスコバル

アンドレス・エスコバル

バルデラマは1998年のフランスW杯まで、コロンビア代表に選出され、チームを3大会連続で本大会へと導いた。また、いずれの背番号も「10」とまさに中心選手として君臨した。

バルデラマといえばチリチリの金髪ヘア!

バルデラマはその華麗なプレイスタイルで観客を魅了したが、ヘアスタイルでも魅せてくれた。
彼の頭は巨大なマリモと見間違う程のチリチリヘアで、しかも金髪であるため、とにかく目立っていた。
特に中心人物であるため、テレビ放送などで試合中も度々映し出された。
ふぁっさー

ふぁっさー

引退以降もそのヘアスタイルは継続され、メディアにもかつてとほぼ変わらない姿で登場している。

また、バルデラマの代名詞といえば、繊細なパスではなく、チリチリの金髪ヘアといっても過言ではない程にそのイメージが浸透している。

2015年の正月番組でとんねるずの木梨憲武が、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスとPK対決をする際には、木梨がバルデラマ風のかつらを付け出演しており、いまだにバルデラマ=チリチリの金髪のイメージが定着していることを証明した。
「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!2015」

「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!2015」

コロンビア代表のハメス・ロドリゲス(中央)とバルデラマ風の木梨憲武(右)。ちなみに左の石橋貴明が真似をしているのはセルジオ越後。
2010年のバルデラマ

2010年のバルデラマ

28 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

「ドーハの悲劇」から30年が経過!ラモス瑠偉公認のコラボアイテムが発売!ドキュメンタリー「ドーハ1993+」も話題に!

「ドーハの悲劇」から30年が経過!ラモス瑠偉公認のコラボアイテムが発売!ドキュメンタリー「ドーハ1993+」も話題に!

オンラインショップ「キーレジェンド」にて、ドーハの悲劇を象徴するシーンをイラストデザインした「ラモス瑠偉」公認のコラボアイテム「VINTAGE CULTURE BASE / FOOTBALL COLLECTION」の第1弾(Tシャツ、プルパーカー)が現在好評発売中となっています。
隣人速報 | 169 view
サッカー『サウジアラビア代表』5人抜きをした砂漠のマラドーナや砂漠のペレなど実は名選手が多いW杯常連国!

サッカー『サウジアラビア代表』5人抜きをした砂漠のマラドーナや砂漠のペレなど実は名選手が多いW杯常連国!

アジアのサッカー強豪国・サウジアラビア。1994年のワールドカップ。アメリカ大会では5人抜きのゴールをした「砂漠のマラドーナ」ことサイード・アル=オワイランなど突出した選手がいました。サウジアラビアのワールドカップ挑戦の歴史や勝敗を記事にします。
ひで語録 | 2,735 view
「オウンゴールをありがとう」と言われ射殺されたコロンビア代表DF『エスコバルの悲劇』

「オウンゴールをありがとう」と言われ射殺されたコロンビア代表DF『エスコバルの悲劇』

1994年のワールドカップ・アメリカ大会。コロンビア代表DF・エスコバルがオウンゴールを献上してしまい、優勝候補でもあったコロンビア代表の敗退へと繋がってしまいます。その後、帰国したエスコバルが射殺された事件『エスコバルの悲劇』を取り上げます。
ひで語録 | 110,349 view
あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代があった。それはついこないだのようだが、1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』から20年が経つ。サッカー日本代表の1997年アジア最終予選を時間軸に沿って振り返ってみる。
ひで語録 | 5,553 view
「ジョホールバルの歓喜」から20年!決勝ゴールの岡野氏を迎えたトークイベントが6月1日に開催!

「ジョホールバルの歓喜」から20年!決勝ゴールの岡野氏を迎えたトークイベントが6月1日に開催!

サッカー男子日本代表が、1997年に悲願のワールドカップ出場を決めてから20年という節目に合わせ、トークイベント「朝日新聞紙面でみる『炎の70日』と『ジョホールバルの歓喜』」が6月1日(木)に開催される。ゲストにはイラン代表との試合で、延長戦で決勝ゴールを決めた岡野雅行さんが招かれている。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト