新沼謙治 「スター誕生」
新沼謙治は1956年2月27日に岩手県大船渡市に生まれ、身長170cm、血液型A型。1970年代中頃から演歌歌手・俳優・タレントとして活動を開始しました。
日本テレビ系の伝説のオーディション番組『スター誕生!』に応募するも、新沼謙治は4回落選しています。
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『スター誕生!』の合格をきっかけに、新沼謙治は、上京します。
気持ちよく悲しい声、新沼謙治の歌手デビュー
『スター誕生!』決戦大会では、男性史上最多の17社のプロダクションが、新沼謙治にオファーの札を挙げました。
気持ちよく悲しい男-新沼謙治
作詞家の阿久悠氏は新沼謙治から滲みでる哀愁感に気持ちよく悲しい風景がある新沼の声を「気持ちよく悲しく聞こえる」と評しました。
新沼謙治は昭和51年2月1日「おもいで岬」で歌手デビューします。当時のキャッチフレーズは「気持ちよく悲しい男」。
新沼謙治は昭和51年2月1日「おもいで岬」で歌手デビューします。当時のキャッチフレーズは「気持ちよく悲しい男」。
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同年6月に発表されたシングル第2弾の「嫁に来ないか」が大ヒットします。新沼謙治はこの年の新人賞を受賞し、「NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たします。その後も「ヘッドライト」「酒とふたりづれ」「津軽恋女」等、多数のヒットを飛ばし、アイドル並みの人気を博します。
『嫁に来ないか』新沼謙治 (1976.8.19) - YouTube
『嫁に来ないか』 作詞 阿久悠/作曲 川口真/編曲 あかのたちお
1976年に「嫁に来ないか」がヒットしてから2年間、新沼謙治は一日も休むことなく、毎日歌い続けました。忙しさのあまり、レコーディングは深夜に行われていました。
1976年に「嫁に来ないか」がヒットしてから2年間、新沼謙治は一日も休むことなく、毎日歌い続けました。忙しさのあまり、レコーディングは深夜に行われていました。
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コブシにパンチがきいた新沼謙治の歌唱は、アッケラカンとしているようで、どこかに影を感じさせる。作詞家、阿久悠が感じた個性は、アイドルとしての可能性でもあった。
「嫁に来ないか」ライブ
名曲「嫁に来ないか」を歌う演歌歌手の新沼謙治の歌声と女性ファンからのアイドル並の応援の声が一緒に収録されているライブ盤です。
嫁に~♪「謙ちゃ~ん!」、来ないか♪「いいわよ~!」というファンの掛け声に昭和の良き時代を感じます。
嫁に~♪「謙ちゃ~ん!」、来ないか♪「いいわよ~!」というファンの掛け声に昭和の良き時代を感じます。
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新沼謙治は、歌手として平成2年までに「NHK紅白歌合戦」通算13回出場します。
役者としても芝居の才能も発揮し、「二百三高地」(昭和54年東映)、私鉄沿線97分署」・NHK大河ドラマ「炎立つ」などの映画やドラマに出演しています。
役者としても芝居の才能も発揮し、「二百三高地」(昭和54年東映)、私鉄沿線97分署」・NHK大河ドラマ「炎立つ」などの映画やドラマに出演しています。
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新沼謙治全曲集 左官職人こね太郎
¥1,060
『新沼謙治全曲集 左官職人こね太郎』新沼謙治, 阿久悠, 里村龍一, 吉岡治, 阿部佳織, 久仁京介, 初信之介, 林萬太郎, 麻生香太郎, 石本美由起, 木下龍太郎
左官職人として3年間働いていた新沼謙治が、デビュー30周年を迎え、みずから作詞作曲をした「左官職人こね太郎」が収録されているアルバムです。
新沼謙治の嫁がすごい!元オリンピック選手
1981年、新沼謙治は、趣味のバドミントンを通じて元オリンピック選手湯木博江さんと知りあいます。
via laughy.jp
新沼謙治の嫁は、バドミントンの女王
新沼謙治の嫁(湯木博恵)は、1969年、日本女子体育大学2年の時に全英オープン選手権女子シングルスで初優勝、2年連続を含む計4度優勝しています。 72年のミュンヘン五輪でも銅メダルを獲得し、81年に現役を引退しました。
via blog.livedoor.jp