2023年12月18日 更新
【訃報】元関脇寺尾の錣山親方死去。千代の富士、貴花田との激闘を振り返る
大相撲の元関脇寺尾の錣山親方(本名:福薗好文・ふくぞの よしふみ)が不整脈により東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。60歳でした。
【訃報】大相撲・元関脇寺尾の錣山親方死去。
大相撲の元関脇寺尾の錣山親方(本名:福薗好文・ふくぞの よしふみ)が不整脈により東京都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。60歳でした。
第一報はこちらです!
錣山親方は1963年2月2日、鹿児島県出身。元関脇・鶴ヶ嶺の三男として、1979年に父が師匠を務める井筒部屋に入門。寺尾の四股名で、既に入門していた二人の兄と共に井筒三兄弟(長兄・鶴嶺山、次男・逆鉾)として、1989年には逆鉾と兄弟で同時に関脇になるなど人気を博しました。116キロと関取としては細身な体と甘いマスクで女性人気が高く、また金星7個、幕内連続出場1063回(歴代4位)など数々の記録を残し“土俵の鉄人”と呼ばれた錣山親方ですが、2002年に現役を引退。その後は年寄・錣山(しころやま)となり、錣山部屋の師匠として指導にあたっていました。
千代の富士、貴花田との激闘を振り返る!!
長い現役生活を通じ、様々な名勝負を行ったことでも知られる錣山親方。中でも特に著名なのは1989年11月場所での千代の富士戦、そして1991年春(3月)場所での貴花田戦ではないでしょうか。ここで軽く振り返っておきましょう。
千代の富士戦(1989年11月場所)
1989年11月場所の5日目に行われた、当時の横綱・千代の富士との取り組み。序盤から千代の富士に対し顔をバシバシと張り続けた錣山親方に対し、千代の富士はその背後に回って吊り落としました。その様は、相手を怒りに任せて土俵に叩き付けたように見え、横綱の品格を問う声など賛否両論が巻き起こりました。
千代の富士が寺尾を持ち上げて叩きつける。恐怖の吊り落とし。
貴花田戦(1991年春場所)
千代の富士戦とともに語り草となっているのは、1991年春場所の11日目に行われた貴花田との取り組み。当時18歳で初日から10連勝と破竹の勢いだった貴花田に対し、激しいつっぱりで応戦した錣山親方でしたが、突き返されて惜しくも敗退しました。この負けは本当に悔しかったようで、花道の奥でさがりを叩きつけるなど気持ちを露にしていました。なお後年、「(貴花田戦での)あの悔しさがあったから長く相撲が取れた」とも語っています。
平成3年大相撲春場所 11日目 前頭13貴花田 対 小結寺尾
このように、昭和~平成の大相撲人気に多大な貢献をしていた錣山親方。その功績は、これからも語り継がれていくことは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
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