ハワイ出身の相撲取り「曙 太郎」
初土俵と曙太郎の同期「花の六三組」力士たち
1990年3月場所に新十両昇進。同年9月場所には若花田(後の若乃花)、大翔山、貴闘力とともに新入幕を果たす。
しかし1992年7月場所の直前の稽古中に足の小指を骨折してしまい、初土俵以来初の全休で、いきなり大関角番となった。
初の外国人横綱に昇進する曙 太郎
そして曙太郎は大関の地位で2場所連続優勝を果たして、外国人初の横綱に昇進した。
貴乃花 対 曙 〜永遠のライバル対決〜 1
横綱3場所目の同年7月場所から11月場所まで、3連覇で優勝した。その後、1994年11月場所まで曙 太郎は11場所の間一人横綱を維持した。
日本では『運も実力のうち』と言うが、運をつけるためには、自分のまわりの人々に感謝する気持ちを忘れず、謙虚に努力を重ねていくしかない。(曙太郎: 元大相撲力士横綱) pic.twitter.com/UpJ0jRcvq2
— 偉人の名言〜志を高く〜 (@was_changed) January 15, 2017
さらに5月場所では右膝も故障する。曙 太郎は、10日目までただ一人10連勝していた。11日目には貴闘力に敗れる。翌12日目、両膝のケガが悪化したため突如途中休場。横綱不在となる。
今日も栃乃和歌さんの解説も良いですね
— Akebono Taro (@Ake64) January 14, 2017
やっぱり同じ次期に相撲が取れって、本当に幸せでした pic.twitter.com/CP8ArlTP5O
曙の天皇賜杯 3 〜花道〜
1997年5月場所の優勝。結婚による後援会の解散があった。
1998年2月に行われた長野冬季オリンピックの開会式には、体調不良で欠席した貴乃花の代役として横綱の曙太郎が横綱土俵入りを披露した。
横綱・曙太郎の引退
2001年の1月場所には、持病の両膝のケガの悪化により全休する。1月場所終了直後に両膝の回復が見込めない理由などにより、突然の現役引退を発表した。
身長:203cm、体重:233kg。
同じくハワイ出身の東関親方(元高見山大五郎)により見出され相撲界入りする。