著者ディエゴ・マラドーナ。自伝で語った「神の手」「五人抜き」ゴールの真実。ハンドを疑う同僚には『口をつぐめ』!
2018年6月14日 更新

著者ディエゴ・マラドーナ。自伝で語った「神の手」「五人抜き」ゴールの真実。ハンドを疑う同僚には『口をつぐめ』!

株式会社東洋館出版社から、6月15日にサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナが、1986年のメキシコW杯について語った『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』が刊行されます。自ら語った「神の手」「五人抜き」ゴールの真実とは。

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ディエゴ・マラドーナが1986年のメキシコW杯を語った、『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』が6月15日に刊行!

株式会社東洋館出版社から、6月15日にサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナが、1986年のメキシコW杯について語った『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』が刊行されます。
『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』

『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』

著 者:ディエゴ・アルマンド・マラドーナ
翻訳者:宮﨑真紀
価 格:1800円

《これは俺の真実であり、俺の記憶だ!》

「俺がイングランド相手にゴールを2本決めたことを、あれからどのアルゼンチン人も手にしたことのないW杯を高々と掲げたことを、誰も忘れないだろう。だから、改めてあの大会について話をしようと思う」あの英雄がついに口を開いた。

伝説とも言われる1986年のメキシコW杯。誰もがフットボールに熱中し、マラドーナに酔いしれたあの年。
アルゼンチン代表は、奇跡と言われたW杯優勝はどのようにして成し遂げられたのか。マラドーナとアルゼンチン代表は、どのような日々を過ごしてきたのか。マラドーナ本人の言葉で生々しく語られる真実とは……。
 (2021131)

《神の手は、五人抜きはいかにして生まれたのか》

フォークランド戦争の傷もまだ癒えぬときの対イングランド戦。マラドーナは、手を使って先制点を生み出した。いわゆる神の手である。

「みんな、後ろを、ピッチのほうを見たくなかったんだと思う。ゴールを無効にされるのが怖くて。俺のところに来たエル・チェチョは訊いてきた。『手でやったんだろう? 手でやったんだよな?』俺は答えた。『口をつぐめ。俺は喜びつづけるから』。俺はすぐに親父と義父がいる観客席に目を向けた。俺が拳を突き上げて見せると、親父たちも同じように応えてくれた。ゴールを取り消されるんじゃないかとずっと不安だったが、結局無効にはされなかった」

【神の手】マラドーナ伝説のゴール!1986年6月22日メキシコW杯アルゼンチンvsイングランド

※動画はリンク切れの場合がございます。
そして、彼の代名詞となる五人抜き。その超絶プレーが生まれる瞬間、彼は何を考えていたのか。
「あのプレーはエンリケのパスから始まった。そう、冗談じゃなく、エンリケのパスがベースだったんだ。もし50センチでもパスがずれていたら、どうなっていただろう? ああいう形でボールを受けられず、ああいう形で体を翻せずに、ベアズリーと哀れなリードをかわすことはできなかったかもしれない。あの一度の体の回転で、俺は二人を抜いた」

伝説の名実況 「マラドーナの5人抜き」 NHK山本アナ

※動画はリンク切れの場合がございます。

《そして、メッシのこと》

マラドーナは、メッシと、そして未来のアルゼンチン代表のことについても語っている。
「今ならメッシは、W杯ロシア大会に行って、カップを掲げることができるだろう。彼に言ってやれるのは、個人でその準備をしろ、ということだけだ。俺がメキシコ大会の前にダルモンテ教授とやったように、自分でロシア大会のために準備をするんだ。」

アルゼンチンが再びW杯を掲げるときは来るのか――。
本書を読んで、ロシアW杯に臨むのも一興ではないだろうか。

著者:ディエゴ・アルマンド・マラドーナ

1960年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。史上最高の選手としてその名を挙げる者も多い、伝説のサッカープレーヤー。貧困地区ビジャ・フィオリートで育ち、ピッチ内外でのマラドーナ流――何かと論争を呼ぶが、まるで魔法のような大胆かつ才能あふれるプレーと行動――をはぐくむ。

そうして強力な対戦相手にも、〝FIFAの腐敗〟と彼が考えるものにも挑み、勝利した。同様に、コカイン中毒を克服するため、おのれとも戦った。
 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ

ティノス・ジュニオルスを皮切りにボカ・ジュニオルス、FCバルセロナでプレーしたのち、SSCナポリに移籍し、セリエAとUEFAカップで優勝を果たした。

アルゼンチン代表としてもユース時代から活躍(1979年Wユース選手権日本大会で優勝)、1986年W杯メキシコ大会でフル代表チームを優勝に導いたほか、1990年イタリア大会では準優勝し、1982年スペイン大会、1994年アメリカ大会にも出場した。2010年南アフリカ大会では代表監督を務める。

イングランドやブラジルといった伝統的強豪チームとの対戦で勝利したときの記憶に残るプレーの数々によって、世界でも数えるほどしかいない生きた伝説たちの中でもまさに頂点を極めたと言える。

翻訳者:宮﨑真紀

英米文学・スペイン語文学翻訳家。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。おもな訳書にロサ・リーバス&ザビーネ・ホフマン『偽りの書簡』(東京創元社)、ジョルディ・ヨブレギャット『ヴェサリウスの秘密』(集英社)、ルイーズ・グレイ『生き物を殺して食べる』、ルーカ・カイオーリ『スアレス 神憑』(以上、亜紀書房)、マイケル・グラント、ロブ・ロバートソン『名将の軌跡 名サッカー監督はスコットランドから生まれる』(共訳、ソフトバンク クリエイティブ)など。

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