【70年代】カルビー・ポテトチップスの袋の表面が透明だった時代知ってます?
2018年4月20日 更新

【70年代】カルビー・ポテトチップスの袋の表面が透明だった時代知ってます?

スライスしたタイプは1962年から成型ポテトチップスは1976年から販売され 年を追うごとに内容量が減っていくポテトチップスの歴史を検証

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はじめに

昨年の8月から9月にかけて主要原産地の北海道に4つの台風が接近・上陸したことでポテトチップスなどの原料であるジャガイモが不足し調達が間に合わなくなった話を耳にした人もいらっしゃると思います
メーカーなどは一部商品の販売を休止することを明らかにしたり「他メーカーより高く買い取る」などと競争が激化しているようです
ポテチ販売休止に伴いネットでは1袋数百円の高値転売まで現れたりとポテチ危機が更に進んでいます

今回そんな危機的状態のポテチに焦点をあて日本のポテチを検証したいと思います
フラ印

フラ印

★日本初のポテトチップス発売 「フラ印」

日本で初めてポテトチップスが発売されたのは終戦後で1945年頃といわれています
昭和20年代のアメリカン・ポテトチップスを設立した当初は顧客といえばアメリカ軍のキャンプぐらいで中々一般市場では普及しなかったそうです
当時の日本人にとっては、『ポテトチップスのどこがおいしいの?』と見向きもされなかったそうです
しかし朝鮮戦争の終結とドル防衛策の影響からまもなく順調に売れるようになっていきます
近年アメリカンポテトチップ社は解散し「フラ印」のブランドは株式会社ソシオ工房に買い取られました

★日本初のポテトチップス量産化 「湖池屋」

高度成長経済と食の欧米化の波にも乗りポテトチップスもスナックとして多くの日本人に知られるようになります
そして1962年、「湖池屋」が「コイケヤポテトチップス のり塩」を発売して、1967年に日本で初めてポテトチップスの量産化に成功しました

湖池屋創業者の小池和夫氏は仕事仲間と飲みに行った時、まだ珍しかったお手製ポテトチップスを口にし、そのおいしさに感動、世の中に広めたいと思ったのが開発のきっかけだったそうです
当時、日本にはすでにポテトチップスはあったものの、まだ少数の飲食店などで提供されていた程度。値段も高く、お菓子と呼べるような手軽さではなかったからです

開発にあたり「小池氏は日本ならではのものを作りたい」と考え食卓にある様々な調味料を使い試行錯誤の末、たどり着いたのが『のり塩』だそうです

その後、1975年に、「カルビー」が「ポテトチップスのうす塩味」を販売することとなります

『スライスしたタイプ』と、フレーク上にした物を固めた『成型ポテトチップス』と呼ばれるタイプの2種類

成型ポテトチップス(ファブリケーテッド・ポテトチップス)と呼ばれ、日本では1976年にヤマザキナビスコ社が「チップスター」という商品名で発売
成型ポテトのポテチといえばナビスコ社のチップスターとP&G社のプリングルズが有名
実はこれら成型ポテトチップスは表面と裏面で味の濃さが違うそうなんです

舌に当たるようにして食べると味をしっかり感じられますので意識して食べてみると面白いかもしれませんね(笑)

※ちなみにプリングルズのP&G社は、イギリスで『これはポテトチップスではない!!』と主張して法廷闘争に持ち込み、勝ったそうです(大笑い)

ポテチは嗜好品扱いなのに対しビスケットは食品扱いで消費税がかからないからだそうです
さすがフィッシュアンドチップスの国(笑)

【驚愕映像】チップスターの正しい食べ方がこちらです!

余談ですが【誕生秘話】実は嫌がらせで誕生してしまったポテトチップス 料理の添え物として提供されることになる

ポテトチップスは1853年にアメリカのムーンレイクロッジというレストランで誕生したそうです
もともとメニューには存在していませんでしたがシェフのジョージ・クラム氏によって考案されました
きっかけはお客さんのわがままだったそうです
お客さんは「フライドポテトが厚すぎる」と何度もクラム氏にクレームをつけたそうなんですが、あまりに作り直しをさせられたため頭に来たクラム氏は嫌がらせにポテトをこれでもかと薄切りにして揚げ、お客さんに食べさせたところ、意外や意外!すごく好評で正式なメニューとして追加されることとなります
当時はお菓子ではなく、あくまで料理の添え物として提供されていたそうです

ちなみに、フライドポテト自体の発祥はアメリカではなくベルギーなんですよね

ポテトチップスって袋が膨らんでいて中身がスカスカ? 正体は「窒素ガス」

ポテトチップスって袋が膨らんでいて、意外に中身がスカスカだと思ったことはありませんか?
実は正体は「窒素ガス」で、意図して注入して袋を膨らませています

ポテトチップスの袋を開けて放置すると食感が悪くなったり味が変わってしまった事がありますよね、これは「酸化」によってポテトチップスの状態が悪くなり味が劣化しているためなんです

袋に余計な空気が入らないように窒素ガスを注入することにより酸化を防ぎポテトチップスの味や臭いを守って美味しさを保っている という仕組み
なおかつ袋を膨らませる事で衝撃から袋を守る事ができる為、ポテトチップスが砕ける事を防いでいます

【70年代】ポテチの袋の表面一部分が透明だった

70年代高度経済成長期、ポテチに限らず他の袋菓子も一部分が透明の袋に入ってました
ですが徐々に透明の部分が減少し80年代中期にはアルミ袋に移行、透明袋ではなくなりました

1977カルビーポテトチップ 藤谷美和子

袋の一部分が透明であることが確認出来る70年代のCM

カルビー ポテトチップスの初期容量は90グラム

カルビー ポテトチップスの初期容量は90グラム

カルビー ポテトチップスの初期容量は90グラム

90g➡85g➡70g➡65g➡60gと内容量へってきている現状
1975 内容量90g 定価100円
1999 価格据え置きで100g→90g
2007 90gから85gに減量。参考価格145円
2008 85g 参考価格 158円→148円
2011年現在、大震災の影響による一時価格据え置きで85gから70gに減量
出典 カルビー - Wikipedia

最近では58gというのもちらほろ目にするようになりましたが・・・
※ちなみにカルビーだけじゃなく最近ではプリングルズもサイズ変更したらしく
180g → 140g → 134g → 110g  となり消費者の中には激おこぷんぷん丸の方もいらっしゃるとか(笑)
プリングルス新旧比較

プリングルス新旧比較

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  • 通りすがり 2020/1/31 09:49

    突っ込むような事ではないです。

    たこやき 2018/6/11 12:12

    文中で「さすがフィッシュアンドチップスの国(笑)」とありますが、間違っています。
    イギリス英語では「チップス」というのはポテトチップスのことではなく、ハンバーガー屋にあるような「フライドポテト」ことを指します。

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