古屋善造から古屋圭司
古屋善造 → 古屋慶隆 → 古屋亨 → 古屋圭司
古屋 善造(ふるや ぜんぞう) 1849年8月6日生まれ 岐阜県出身
衆議院議員。
農業を営み、学区取締、恵那郡書記、岐阜県会議員、大井村長、大井町長を歴任。
明治時代の政治家で、大地主でした。
古屋 慶隆(ふるや よしたか) 1879年12月18日生まれ
善造の長男。
鉄道参与官、第2次若槻内閣の内務政務次官を務めました。
明治大学法律科卒業後、大井町議会議員、所得税調査委員を経て、
1915年第12回衆議院議員総選挙で初当選し、政治家の道へ。
古屋 亨(ふるや とおる) 1909年1月6日生まれ
古屋慶隆の長男。
衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。
東京帝国大学法学部法律学科卒業、1934年同政治学科卒業後、内務省入省。
1967年第31回衆議院議員総選挙初当選し、政治家の道へ。
古屋 圭司(ふるや けいじ) 1952年11月1日生まれ
母方の伯父にあたる古屋亨の養子。血縁上では亨の甥。
自由民主党所属の衆議院議員(10期)、国家公安委員会委員長、
内閣府特命担当大臣(防災)、拉致問題担当大臣、
国土強靭化担当大臣(第2次安倍内閣)、経済産業副大臣(第1次小泉内閣)、
衆議院文部科学委員長・商工委員長・議院運営委員長、
自由民主党選挙対策委員長(第4代)などを歴任。
成蹊大学経済学部経済学科卒業後、大正海上火災保険(現:三井住友海上火災保険)へ
入社しました。1984年に退社し、安倍晋太郎(当時外務大臣)の秘書となります。
その後、1989年養父の古屋亨から地盤を譲り受けることが決まり、1990年第39回衆議院
議員総選挙に初当選しました。
古屋 善造(ふるや ぜんぞう) 1849年8月6日生まれ 岐阜県出身
衆議院議員。
農業を営み、学区取締、恵那郡書記、岐阜県会議員、大井村長、大井町長を歴任。
明治時代の政治家で、大地主でした。
古屋 慶隆(ふるや よしたか) 1879年12月18日生まれ
善造の長男。
鉄道参与官、第2次若槻内閣の内務政務次官を務めました。
明治大学法律科卒業後、大井町議会議員、所得税調査委員を経て、
1915年第12回衆議院議員総選挙で初当選し、政治家の道へ。
古屋 亨(ふるや とおる) 1909年1月6日生まれ
古屋慶隆の長男。
衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。
東京帝国大学法学部法律学科卒業、1934年同政治学科卒業後、内務省入省。
1967年第31回衆議院議員総選挙初当選し、政治家の道へ。
古屋 圭司(ふるや けいじ) 1952年11月1日生まれ
母方の伯父にあたる古屋亨の養子。血縁上では亨の甥。
自由民主党所属の衆議院議員(10期)、国家公安委員会委員長、
内閣府特命担当大臣(防災)、拉致問題担当大臣、
国土強靭化担当大臣(第2次安倍内閣)、経済産業副大臣(第1次小泉内閣)、
衆議院文部科学委員長・商工委員長・議院運営委員長、
自由民主党選挙対策委員長(第4代)などを歴任。
成蹊大学経済学部経済学科卒業後、大正海上火災保険(現:三井住友海上火災保険)へ
入社しました。1984年に退社し、安倍晋太郎(当時外務大臣)の秘書となります。
その後、1989年養父の古屋亨から地盤を譲り受けることが決まり、1990年第39回衆議院
議員総選挙に初当選しました。
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堀内良平から堀内詔子
堀内良平 → 堀内一雄 → 堀内光雄 → 堀内詔子(光雄の息子の嫁)
堀内 良平(ほりうち りょうへい) 1870年12月24日生まれ 山梨県出身
衆議院議員。
名主・堀内藤右衛門(十三代目)の長男。
「堀内家は甲斐源氏の祖である源清光にまで遡ると、清光の子、逸見光長の系譜が堀内
を名乗るようになった」と言われています。
堀内 一雄(ほりうち かずお)
良平の息子。
衆議院議員(5期)、第1次岸改造内閣で建設政務次官に就任、衆議院外務委員長を歴任。
軍人好きであった父・良平の影響を受け、陸軍士官学校(27期)・陸軍大学校(37期)を
卒業しました。1942年第21回衆議院議員総選挙で初当選し政治家の道へ。
堀内 光雄(ほりうち みつお) 1930年1月1日生まれ
一雄の息子。
元衆議院議員(10期)。労働大臣(第51代)、通商産業大臣(第62代)、
自由民主党総務会長(第43代)を歴任しました。
1976年第34回衆議院議員総選挙で初当選し、政治家の道へ。
慶應義塾大学経済学部卒。学究肌の経営者として知られ、「生産性の測定と適正分配」
他複数の著書があります。
堀内 詔子(ほりうち のりこ) 1965年10月28日生まれ 山梨県出身
光雄の息子(堀内光一郎)の妻。
衆議院議員(3期)、環境副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)、
元厚生労働大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)。
学習院大学文学部卒業直後、小学校の先輩だった堀内光一郎と結婚しました。
2012年自民党山梨県第二選挙区支部長に就任し、同年12月第46回衆議院議員総選挙出馬し
比例南関東ブロックで復活し初当選しました。
堀内 良平(ほりうち りょうへい) 1870年12月24日生まれ 山梨県出身
衆議院議員。
名主・堀内藤右衛門(十三代目)の長男。
「堀内家は甲斐源氏の祖である源清光にまで遡ると、清光の子、逸見光長の系譜が堀内
を名乗るようになった」と言われています。
堀内 一雄(ほりうち かずお)
良平の息子。
衆議院議員(5期)、第1次岸改造内閣で建設政務次官に就任、衆議院外務委員長を歴任。
軍人好きであった父・良平の影響を受け、陸軍士官学校(27期)・陸軍大学校(37期)を
卒業しました。1942年第21回衆議院議員総選挙で初当選し政治家の道へ。
堀内 光雄(ほりうち みつお) 1930年1月1日生まれ
一雄の息子。
元衆議院議員(10期)。労働大臣(第51代)、通商産業大臣(第62代)、
自由民主党総務会長(第43代)を歴任しました。
1976年第34回衆議院議員総選挙で初当選し、政治家の道へ。
慶應義塾大学経済学部卒。学究肌の経営者として知られ、「生産性の測定と適正分配」
他複数の著書があります。
堀内 詔子(ほりうち のりこ) 1965年10月28日生まれ 山梨県出身
光雄の息子(堀内光一郎)の妻。
衆議院議員(3期)、環境副大臣兼内閣府副大臣(菅義偉内閣)、
元厚生労働大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)。
学習院大学文学部卒業直後、小学校の先輩だった堀内光一郎と結婚しました。
2012年自民党山梨県第二選挙区支部長に就任し、同年12月第46回衆議院議員総選挙出馬し
比例南関東ブロックで復活し初当選しました。
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武藤嘉門から武藤容治
武藤嘉門 → 武藤嘉一 → 武藤嘉文 → 武藤容治
武藤 嘉門(むとう かもん) 1870年10月27日生まれ 岐阜県出身
元岐阜県知事・衆議院議員。
武藤 嘉一(むとう かいち) 1897年2月20日生まれ
嘉門の長男。
衆議院議員。
慶大卒業後アメリカに留学し、帰国後は慶應義塾大学教授、菊川酒蔵社長、旭紡績社長
などを歴任しました。
1946年4月に戦後初の総選挙にて初当選し、政治家の道へ。
武藤 嘉文(むとう かぶん) 1926年11月18日生まれ
嘉一の息子。
自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(3代)、通商産業大臣(53代)、
外務大臣(120代)、総務庁長官(19代)を歴任しました。
京都大学法学部卒業後、ファミリー企業の武藤醸造(現菊川株式会社)に入社し、
同社副社長を経て、1959年武藤本店社長に就任。
1967年に第31回衆議院議員総選挙に当選し政治家の道へ。
武藤 容治(むとう ようじ) 1955年10月18日生まれ
嘉文の二男。
自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党経済産業部会長、
経済産業副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、
外務副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、
総務大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、
衆議院農林水産委員長などを歴任。
慶應義塾大学商学部商学科卒業後、 富士写真フイルムに入社。その後 武藤嘉商事に
入社等を経て、2005年9月衆議院議員初当選し、政治家の道へ。
武藤 嘉門(むとう かもん) 1870年10月27日生まれ 岐阜県出身
元岐阜県知事・衆議院議員。
武藤 嘉一(むとう かいち) 1897年2月20日生まれ
嘉門の長男。
衆議院議員。
慶大卒業後アメリカに留学し、帰国後は慶應義塾大学教授、菊川酒蔵社長、旭紡績社長
などを歴任しました。
1946年4月に戦後初の総選挙にて初当選し、政治家の道へ。
武藤 嘉文(むとう かぶん) 1926年11月18日生まれ
嘉一の息子。
自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(3代)、通商産業大臣(53代)、
外務大臣(120代)、総務庁長官(19代)を歴任しました。
京都大学法学部卒業後、ファミリー企業の武藤醸造(現菊川株式会社)に入社し、
同社副社長を経て、1959年武藤本店社長に就任。
1967年に第31回衆議院議員総選挙に当選し政治家の道へ。
武藤 容治(むとう ようじ) 1955年10月18日生まれ
嘉文の二男。
自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党経済産業部会長、
経済産業副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、
外務副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、
総務大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、
衆議院農林水産委員長などを歴任。
慶應義塾大学商学部商学科卒業後、 富士写真フイルムに入社。その後 武藤嘉商事に
入社等を経て、2005年9月衆議院議員初当選し、政治家の道へ。
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森喜平から岡田直樹
森喜平 → 森茂喜 → 森喜朗 → 森祐喜 → 岡田直樹(姪の夫)
森 喜平(もり きへい) 1875年生まれ 石川県出身
幼少時から俊才の誉れ高く、1917年推挙されてに根上村長に就任根上町の町長を28年間
務めました。
江戸時代、庄屋を務めた旧家に生まれますが、森家の養子となりました。
森家は、江戸時代加賀藩の代々村の肝煎を務めるていました。
森 茂喜(もり しげき) 1910年3月27日生まれ
森 喜平の息子。
元軍人(陸軍中佐)。
1947年に根上町議会議員選挙に出馬し初当選後、政治家の道へ。
1953年に根上町長に無投票当選し、1985年まで9期連続無投票で当選しました。
これは、自治体首長としての最多記録です。
森 喜朗(もり よしろう ) 1937年7月14日生まれ
森 茂喜の長男。
衆議院議員(14期)、文部大臣(第105代)、通商産業大臣(第56代)、
建設大臣(第62代)、内閣総理大臣(第85・86代)、自由民主党政務調査会長、
自由民主党幹事長、自由民主党総務会長、自由民主党総裁(第19代)、
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長などを歴任。
ラグビー部の推薦により早稲田大学へ入学するも過酷な練習に体を壊し退部しました。
ですが、学業に切り替え、早稲田大学大学院在学中に雄弁会に入会し、政治家の道へ。
岡田 直樹(おかだ なおき ) 1962年6月9日 石川県出身
森喜朗の姪(弟の長女)の夫。
自由民主党所属の参議院議員(3期)、内閣官房副長官(第4次安倍第2次改造内閣、
菅義偉内閣)、参議院国土交通委員長、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣)、
財務副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、石川県議会議員(1期)、
自由民主党参議院幹事長代行を歴任。
実父が社長を勤めていた北國新聞社に入社しますが、2002年石川県議会議員補欠選挙
(金沢市選挙区・自由民主党公認)初当選し政治家の道へ。
森 喜平(もり きへい) 1875年生まれ 石川県出身
幼少時から俊才の誉れ高く、1917年推挙されてに根上村長に就任根上町の町長を28年間
務めました。
江戸時代、庄屋を務めた旧家に生まれますが、森家の養子となりました。
森家は、江戸時代加賀藩の代々村の肝煎を務めるていました。
森 茂喜(もり しげき) 1910年3月27日生まれ
森 喜平の息子。
元軍人(陸軍中佐)。
1947年に根上町議会議員選挙に出馬し初当選後、政治家の道へ。
1953年に根上町長に無投票当選し、1985年まで9期連続無投票で当選しました。
これは、自治体首長としての最多記録です。
森 喜朗(もり よしろう ) 1937年7月14日生まれ
森 茂喜の長男。
衆議院議員(14期)、文部大臣(第105代)、通商産業大臣(第56代)、
建設大臣(第62代)、内閣総理大臣(第85・86代)、自由民主党政務調査会長、
自由民主党幹事長、自由民主党総務会長、自由民主党総裁(第19代)、
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長などを歴任。
ラグビー部の推薦により早稲田大学へ入学するも過酷な練習に体を壊し退部しました。
ですが、学業に切り替え、早稲田大学大学院在学中に雄弁会に入会し、政治家の道へ。
岡田 直樹(おかだ なおき ) 1962年6月9日 石川県出身
森喜朗の姪(弟の長女)の夫。
自由民主党所属の参議院議員(3期)、内閣官房副長官(第4次安倍第2次改造内閣、
菅義偉内閣)、参議院国土交通委員長、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣)、
財務副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、石川県議会議員(1期)、
自由民主党参議院幹事長代行を歴任。
実父が社長を勤めていた北國新聞社に入社しますが、2002年石川県議会議員補欠選挙
(金沢市選挙区・自由民主党公認)初当選し政治家の道へ。
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野田卯太郎から松野頼久
野田卯太郎 → 松野鶴平 → 松野頼三 → 松野頼久
野田 卯太郎(のだ うたろう) 1853年12月21日生まれ 福岡出身
衆議院議員、逓信大臣、商工大臣などを務めた。
筑後国三池郡岩津村(現みやま市)の豪農の長男として生まれました。
平民から大臣にまで昇った立身出世を体現するような人物として知られています。
松野 鶴平(まつの つるへい) 1883年12月22日生まれ 熊本県出身
野田卯太郎の娘(タキノ)の夫。
衆議院議員、鉄道大臣、参議院議長などを歴任しました。
熊本県菊池郡城北村(現在の山鹿市)の中農の長男として生まれ、少年時代から酒造米の
買付けを行うなど商売に優れていました。
1904年日露戦争に伴う米の需要を見込んで精米所を開設し、日本郵船との取引で莫大な利
益を上げるなど実業家として名を上げます。
1908年に衆議院議員野田卯太郎の長女・タキノと結婚し、政治家となりました。
松野 頼三(まつの らいぞう) 1917年2月12日生まれ
松野鶴平の三男。
総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任しました。
吉田茂首相秘書官を経て、1947年第23回衆議院議員総選挙に出馬より政治家の道へ。
松野 頼久(まつの よりひさ ) 1960年9月19日生まれ
松野頼三の長男。
衆議院議員(6期)、内閣官房副長官(鳩山由紀夫内閣)、
日本維新の会副代表兼国会議員団代表兼国会対策委員長、
同幹事長代行兼国会議員団幹事長、
維新の党代表代行兼国会議員団会長兼選挙対策委員長、同幹事長、維新の党代表、
衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、民進党国会対策委員長を歴任。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本新党に入党し政治家の道へ。
野田 卯太郎(のだ うたろう) 1853年12月21日生まれ 福岡出身
衆議院議員、逓信大臣、商工大臣などを務めた。
筑後国三池郡岩津村(現みやま市)の豪農の長男として生まれました。
平民から大臣にまで昇った立身出世を体現するような人物として知られています。
松野 鶴平(まつの つるへい) 1883年12月22日生まれ 熊本県出身
野田卯太郎の娘(タキノ)の夫。
衆議院議員、鉄道大臣、参議院議長などを歴任しました。
熊本県菊池郡城北村(現在の山鹿市)の中農の長男として生まれ、少年時代から酒造米の
買付けを行うなど商売に優れていました。
1904年日露戦争に伴う米の需要を見込んで精米所を開設し、日本郵船との取引で莫大な利
益を上げるなど実業家として名を上げます。
1908年に衆議院議員野田卯太郎の長女・タキノと結婚し、政治家となりました。
松野 頼三(まつの らいぞう) 1917年2月12日生まれ
松野鶴平の三男。
総理府総務長官、労働大臣、防衛庁長官、農林大臣を歴任しました。
吉田茂首相秘書官を経て、1947年第23回衆議院議員総選挙に出馬より政治家の道へ。
松野 頼久(まつの よりひさ ) 1960年9月19日生まれ
松野頼三の長男。
衆議院議員(6期)、内閣官房副長官(鳩山由紀夫内閣)、
日本維新の会副代表兼国会議員団代表兼国会対策委員長、
同幹事長代行兼国会議員団幹事長、
維新の党代表代行兼国会議員団会長兼選挙対策委員長、同幹事長、維新の党代表、
衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、民進党国会対策委員長を歴任。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本新党に入党し政治家の道へ。
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