幻のアイドル三木聖子・元祖「まちぶせ」歌手の引退~現在
2018年1月25日 更新

幻のアイドル三木聖子・元祖「まちぶせ」歌手の引退~現在

70年代にわずか2年間の芸能活動&11ヶ月の歌手活動をして引退した幻のアイドル三木聖子。 元祖「まちぶせ」(ユーミン作詞作曲)を歌い、短い間に1枚のアルバムと3枚のシングルをリリース そんな三木聖子の懐かしい思い出と現在。

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アミューズの正社員となり1991年、仙台支店の立ち上げスタッフとして移住
三木聖子 - まちぶせ EDMハウス系リミックス用にドラムプログラミングのみデモ(~_~;)m - YouTube (1964909)

アイドルの中でも珍しい、気品溢れる三木聖子。

何故引退したのか?

その理由は発表されていない。
三木聖子のアルバムは、松任谷正隆をはじめYMO結成前の高橋幸宏など メンバーが参加
している。またレコード「まちぶせ」のベースを担当したのはアイドルキラーと言われる後藤次利だ。

吉田拓郎が浅田美代子と結婚したのは1977年、アイドルとミュージシャンの結婚が話題になった時期でもある。アイドル歌手の三木聖子にも多方向から恋愛アプローチが、あったのではないかと思う。

端正な三木聖子の顔、額から鼻、顎のラインはとても綺麗だ。
そんな彼女の額にニキビが出来はじめ、肌荒れをしているようにみえた。
体調がよくなかったのか、芸能界が合わなかったのか。

テレビで三木聖子を見なくなり、ある時引退したことを知った。
その時、人目にさらされることを好まない人もいるのかなと勝手に納得した。

三木聖子の衣装はいつも長めのロングスカートだった、彼女の脚を見た記憶はない。

三木聖子の現在

三木聖子は現在、仙台でスナックを開いているという。

2011年の「zakzak」の連載記事によると三木聖子は仙台市の繁華街・国分町にあるクラブ「MUMU」(ム・ム)でママをしている。2011当時53歳の三木は結婚して、3人の娘がいるという。

店では「まちぶせ」を歌い、さらに「恋のスタジアム」と「三枚の写真」も披露。
記事では、18歳の頃と変わらぬ美しさの熟女!
三木聖子の画像が公開された。
往年のアイドル歌謡曲「まちぶせ」を石川ひとみが歌う前に、ヒットさせた元祖“まちぶせアイドル”の三木聖子に逢ってきた。仙台市の繁華街・国分町で“夜の蝶”として元気に暮らしていた。
仙台市に在住。引退後結婚して、3人の娘をさずかりました。
仙台市国分町で『MuMu』という店を経営しています。

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