1973年末の賞レース
1973年末の賞レースでは、日本歌謡大賞を沢田研二の『危険なふたり』、日本有線大賞を内山田洋とクール・ファイブの『そして、神戸』が受賞。そして、日本レコード大賞の最有力候補は、沢田研二の『危険なふたり』と見られていました。
一方の五木ひろしは、その年のリリースで最もヒットした曲が『ふるさと』。日本歌謡大賞は『ふるさと』でエントリーしており、NHK紅白歌合戦も『ふるさと』を歌うことになっていました。
一方の五木ひろしは、その年のリリースで最もヒットした曲が『ふるさと』。日本歌謡大賞は『ふるさと』でエントリーしており、NHK紅白歌合戦も『ふるさと』を歌うことになっていました。
1973年のヒット曲『ふるさと』
ふるさと
via www.youtube.com
五木ひろしは『夜空』で勝負!
日本レコード大賞の前哨戦とも言える日本歌謡大賞では、沢田研二の『危険なふたり』が大賞を受賞。五木ひろしは『ふるさと』で大賞を逃しました。『ふるさと』は『危険なふたり』と比べるとセールスも知名度も下回っており、客観的に見ても妥当な結果だったのかもしれません。
そこで、レコード会社は思い切った作戦に出ます。なんと、日本レコード大賞のエントリーを、10月にリリースしたばかりの『夜空』に切り替えたのです。楽曲としての実績はまだなかったものの、前年のちあきなおみが9月リリースの『喝采』で大賞を受賞していたことから、一か八かの勝負に出たのかもしれません。
そこで、レコード会社は思い切った作戦に出ます。なんと、日本レコード大賞のエントリーを、10月にリリースしたばかりの『夜空』に切り替えたのです。楽曲としての実績はまだなかったものの、前年のちあきなおみが9月リリースの『喝采』で大賞を受賞していたことから、一か八かの勝負に出たのかもしれません。
「この年は僕は『夜空』よりも『ふるさと』で賞レースを戦おうと思っていました。実際、日本歌謡大賞では『ふるさと』を歌っています。歌謡大賞はジュリー(沢田研二「危険なふたり」)が取ったので、レコード会社が急きょレコ大に向けて勝負曲を『夜空』に切り替えました。あまりに急だったもんだったから僕は紅白では『ふるさと』を歌っているんです、レコ大取った年に大賞曲を歌っていないのは僕だけですよ。当時の野口プロ、徳間音楽工業が一丸となって大賞を取るという気持ちで動きました」
ジュリーはまさかの大衆賞
日本レコード大賞当日。この年も、大賞発表のクライマックスに向けて番組は進行し、途中には最優秀新人賞や最優秀歌唱賞など、様々な賞の発表がありました。
その中の一つが、"大衆賞"。
大衆に特に支持された、その年を代表する楽曲に与えられる賞です。
大衆賞を受賞したのは3組。
麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』、
ガロの『ロマンス』、
そして、
沢田研二の『危険なふたり』
でした。
まさかここでジュリーの名前が呼ばれるとは!
お茶の間の驚く光景が目に浮かぶようです。
因みに、その年のオリコンシングルチャートは、
年間3位が、ガロの『学生街の喫茶店』、
年間5位が、沢田研二の『危険なふたり』、
年間11位が、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』でした。
セールスだけ見れば、いずれも大賞をとってもおかしくない面々です。
これで、大賞の行方がわからなくなりました。
その中の一つが、"大衆賞"。
大衆に特に支持された、その年を代表する楽曲に与えられる賞です。
大衆賞を受賞したのは3組。
麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』、
ガロの『ロマンス』、
そして、
沢田研二の『危険なふたり』
でした。
まさかここでジュリーの名前が呼ばれるとは!
お茶の間の驚く光景が目に浮かぶようです。
因みに、その年のオリコンシングルチャートは、
年間3位が、ガロの『学生街の喫茶店』、
年間5位が、沢田研二の『危険なふたり』、
年間11位が、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』でした。
セールスだけ見れば、いずれも大賞をとってもおかしくない面々です。
これで、大賞の行方がわからなくなりました。
「みんなジュリーが歌謡大賞に続いて大賞を取ると思っていたら、レコ大が大衆賞なるものを作って彼に与えたんです。それで僕に大賞が回ってきたんでしょうね。数日前から、ひょっとしたらという情報もあって、ちょっとは心の準備もしていましたが、実際に名前を呼ばれた瞬間は頭も真っ白で、横綱の輪島関が来てくれて僕をステージで抱きかかえてくれました。あれもこれもびっくりしたレコ大でしたね。結局はジュリーに大衆賞が行ったお陰だと思います」
1973年日本レコード大賞大衆賞受賞曲『危険なふたり』
危険なふたり
via www.youtube.com
涙の日本レコード大賞!
いよいよ大賞の発表。発表はもちろん、おなじみの司会・高橋圭三です。
日本レコード大賞はー
『夜空』を歌った五木ひろしさん!
驚きの受賞で、自分の名前が呼ばれたとき、
五木ひろしは、頭の中が真っ白だった、といいます。
祝福に来た横綱・輪島が
五木ひろしを抱きかかえるシーンは、
今も多くの方の記憶の片隅に残っているかもしれません。
感動で涙あふれる歌唱。。。
日本レコード大賞の長い歴史の中で、
最も感動的な受賞シーンの一つとなりました。
日本レコード大賞はー
『夜空』を歌った五木ひろしさん!
驚きの受賞で、自分の名前が呼ばれたとき、
五木ひろしは、頭の中が真っ白だった、といいます。
祝福に来た横綱・輪島が
五木ひろしを抱きかかえるシーンは、
今も多くの方の記憶の片隅に残っているかもしれません。
感動で涙あふれる歌唱。。。
日本レコード大賞の長い歴史の中で、
最も感動的な受賞シーンの一つとなりました。
昭和46年に「よこはまたそがれ」で新人賞、翌47年には「夜汽車の女」で歌唱賞、そして昭和48年、五木ひろしは「夜空」で見事大賞を獲得。3年間で三段跳びの見事な受賞でした。
客席で発表を聞いた時、すでに喜びを身体全体であらわした彼は、歌唱に入るや、ふるえる握りこぶしでポーズを作りながら熱唱。ほとんどつぶった両眼からあふれ出る涙がファンの胸を打ちました。
1973年日本レコード大賞受賞曲『夜空』
夜空
via www.youtube.com
翌1974年に本格的ヒット
『夜空』は、日本レコード大賞を受賞したことで、年明けの1974年に大ヒット。オリコンシングルチャートで最高位4位、年間チャートで19位を記録しました。因みに、1973年の年間チャートにはランクインしていません。この年の大賞は、年間チャートランク外の楽曲が大賞を受賞するという、極めてまれなケースだったと言えるでしょう。
因みに、前年の受賞曲である、ちあきなおみの『喝采』も翌1973年に大ヒットしますが、1972年も1973年も年間チャートにランクインしています。
因みに、前年の受賞曲である、ちあきなおみの『喝采』も翌1973年に大ヒットしますが、1972年も1973年も年間チャートにランクインしています。
『夜空』を紅白で初披露
日本レコード大賞の受賞曲が、NHK紅白歌合戦で歌われなかったのは、史上初めて(当時)のこと。2007〜2008年のNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』では、1973年のNHK紅白歌合戦で五木ひろしが『ふるさと』を歌う映像が流れ、「え?『夜空』じゃないの?」と不思議に思った方もいたことでしょう。
その26年後の1999年。五木ひろしは、デビュー35周年を記念して、NHK紅白歌合戦にて『夜空』を初披露。2017年にも、作曲家・平尾昌晃の追悼で『夜空』を歌っています。
その26年後の1999年。五木ひろしは、デビュー35周年を記念して、NHK紅白歌合戦にて『夜空』を初披露。2017年にも、作曲家・平尾昌晃の追悼で『夜空』を歌っています。
『夜空』
BKIBH738 夜空③ 五木ひろし (1973)160415 vL HD
via www.youtube.com
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