幻のアイドル「三木聖子」
当時のモデルの身長
1970年代にモデル・歌手として活躍した小林麻美(1953年生まれ)の身長は167センチ。
80年代~現在も現役モデルとして活動中のRIKACO(りかこ=村上理佳子)(1966年生まれ)の身長は169センチ。
1970年代にモデル・歌手として活躍した小林麻美(1953年生まれ)の身長は167センチ。
80年代~現在も現役モデルとして活動中のRIKACO(りかこ=村上理佳子)(1966年生まれ)の身長は169センチ。
1973年高校2年の時、NETテレビ(現在のテレビ゙朝日)で放送されていた、渡辺プロダクション制作のオーディション番組「あなたならOK!」で準優勝して芸能界入りした。
福岡県のイタリア系カトリック女子校出身。
1975年春、高校卒業後に上京。渡辺プロの国立研修寮に入寮した。
1975年6月に沢田研二が主演したTBSドラマ『悪魔のようなあいつ』でデビューした。
沢田が演じる主人公の三億円事件犯人の妹「可門いづみ」役を演じた。
福岡県のイタリア系カトリック女子校出身。
1975年春、高校卒業後に上京。渡辺プロの国立研修寮に入寮した。
1975年6月に沢田研二が主演したTBSドラマ『悪魔のようなあいつ』でデビューした。
沢田が演じる主人公の三億円事件犯人の妹「可門いづみ」役を演じた。
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『悪魔のようなあいつ』の原作は作詞家の阿久悠、演出は久世光彦。
当時の沢田研二は、三木聖子と同じ渡辺プロに所属していた。
渡辺プロと沢田研二の黄金時代のドラマ作品である。
また、沢田研二は、ドラマ放映中の7月にザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。
沢田が歌うドラマ挿入歌の「時の過ぎゆくままに」(作詞:阿久悠)は、8月に発売され、5週連続オリコン1位、累計売上92万枚のセールスを記録する大ヒットとなった。
当時の沢田研二は、三木聖子と同じ渡辺プロに所属していた。
渡辺プロと沢田研二の黄金時代のドラマ作品である。
また、沢田研二は、ドラマ放映中の7月にザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。
沢田が歌うドラマ挿入歌の「時の過ぎゆくままに」(作詞:阿久悠)は、8月に発売され、5週連続オリコン1位、累計売上92万枚のセールスを記録する大ヒットとなった。
三木聖子は沢田研二の妹役として注目を浴びるドラマデビューとなった。
その役柄は事故に遭い下半身不随となり、いつも車椅子に乗っている清楚な少女。
誰かに抱っこされるシーンでは、不自由な体をまるで人形のように熱演していた。
三木聖子は、長い髪の美しい少女という印象だった。
その役柄は事故に遭い下半身不随となり、いつも車椅子に乗っている清楚な少女。
誰かに抱っこされるシーンでは、不自由な体をまるで人形のように熱演していた。
三木聖子は、長い髪の美しい少女という印象だった。
via tsutaya.tsite.jp
なぜ、車椅子?という疑問が今、自己解決した。三木聖子が長身だったため大スター沢田研二との身長差は数センチ。その辺を考慮して三木聖子は車椅子に座っている設定になったのではないかと思う。
アイドル歌手三木聖子の「 まちぶせ」&リリースした楽曲
1976年(昭和51年)6月25日「 まちぶせ」は、三木聖子のデビュー曲としてリリースされた。
三木聖子のデビューシングル
1976年6月25日発売「まちぶせ」
作詞・作曲:荒井由実 編曲:松任谷正隆
当時22歳だったユーミンが19歳の三木聖子に提供。
そして、三木がデビュー2ヶ月後の8月にピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしている。
1976年6月25日発売「まちぶせ」
作詞・作曲:荒井由実 編曲:松任谷正隆
当時22歳だったユーミンが19歳の三木聖子に提供。
そして、三木がデビュー2ヶ月後の8月にピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしている。
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5年後の1981年(昭和56年)に「まちぶせ」は三木と同じ渡辺プロの石川ひとみがカバー、11枚目のシングルとして発売された。
三木聖子を知る世代にとっては石川ひとみのイメージは、1978年9月に発売された2枚目のシングル「くるみ割り人形」。
石川の声は愛らしく歌い方も可愛い、「まちぶせ」を歌うと女の子オーラがすごい。それ故に歌詞がストーカーっぽく感じてしまうこともある。
三木聖子を知る世代にとっては石川ひとみのイメージは、1978年9月に発売された2枚目のシングル「くるみ割り人形」。
石川の声は愛らしく歌い方も可愛い、「まちぶせ」を歌うと女の子オーラがすごい。それ故に歌詞がストーカーっぽく感じてしまうこともある。
1976年元祖「 まちぶせ 」三木聖子の動画
やはり「まちぶせ」は、元祖!
美しくクールな正統派の三木聖子にぴったりの歌だと思う。
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ちなみにどちらの「まちぶせ」も作詞作曲は荒井由実、編曲はどちらも松任谷正隆。
三木聖子の「まちぶせ」はオリコン最高47位。
石川ひとみの「まちぶせ」はオリコン最高6位を記録。
TBSの歌番組『ザ・ベストテン』の最高3位にランクインした。
三木聖子の「まちぶせ」はオリコン最高47位。
石川ひとみの「まちぶせ」はオリコン最高6位を記録。
TBSの歌番組『ザ・ベストテン』の最高3位にランクインした。
三木聖子 少しだけ片想い - YouTube
ファーストシングルB面 作詞 作曲:荒井由実・ドラム:市原 康・ベース:岡沢 章・エレキギター:矢島 賢・アコースティックギター:吉川忠英・キーボード:渋井 博・パーカッション:穴井忠臣・サックスホン:村岡 健・コーラス:シンガーズ・スリー:瀬尾一三
三木聖子の2枚めのシングル
1976年10月10日発売「恋のスタジアム」
作詞:荒井由実 作曲:和泉常寛 編曲:船山基紀
B面:明日になれば 作詞:竜真知子
ポニーテールが可愛かった三木聖子。
当時のヤンキーやローラー族、後の竹の子族の女子に人気の髪型ポニーテール。
三木聖子のポニーテールの髪は上品な縦ロールだった。
1976年10月10日発売「恋のスタジアム」
作詞:荒井由実 作曲:和泉常寛 編曲:船山基紀
B面:明日になれば 作詞:竜真知子
ポニーテールが可愛かった三木聖子。
当時のヤンキーやローラー族、後の竹の子族の女子に人気の髪型ポニーテール。
三木聖子のポニーテールの髪は上品な縦ロールだった。
三木聖子・・三枚の写真 - YouTube
夜のヒットスタジオでお母さんとの対面でしょうか?
歌う途中で泣いてしまった三木聖子を同じナベプロのキャンディーズがフォローする。
この頃の蘭ちゃんも、めちゃ綺麗だ。
見どころは「夜のヒットスタジオ」専属のバンド「ダン池田とニューブリード」。
70年代から80年代の歌謡番組の黄金時代には、生バンドの演奏で歌手は歌っていた。
歌う途中で泣いてしまった三木聖子を同じナベプロのキャンディーズがフォローする。
この頃の蘭ちゃんも、めちゃ綺麗だ。
見どころは「夜のヒットスタジオ」専属のバンド「ダン池田とニューブリード」。
70年代から80年代の歌謡番組の黄金時代には、生バンドの演奏で歌手は歌っていた。
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三木聖子は何故引退したのか?
1977年5月6日に三木聖子 渡辺プロダクションを退社した。
芸能活動はわずか2年間 、11ヶ月の歌手活動 だった。
この短い期間に1枚のアルバムと3枚のシングルをリリースしている。
芸能活動はわずか2年間 、11ヶ月の歌手活動 だった。
この短い期間に1枚のアルバムと3枚のシングルをリリースしている。
TV局のディレクターと結婚して引退したと記憶しています。
本名(旧姓)は、勝田征子。
本名の「セイコ」なんと男前な漢字。聖子ではなくプロレスラーの坂口 征二と同じ「征」の字の征子だった…。
兄弟は姉が一人いる。
出身地は、松田聖子と同じ福岡県久留米市。
身長は165センチ、体重40キロ。モデル並の長身!!