シーズン打率最下位とは?
「シーズン打率最下位」の選手とは文字通り、ペナントレースの打率ランキングで各リーグ最下位だった選手のことです。ただし、打率ランキングに名を連ねるには、規定打席(年間試合数の3.1倍の打席数)に達する必要があり、言い換えれば、レギュラーとして定着していた選手でなければ達成できない記録ということになります。最下位というと不名誉な記録に聞こえますが、チームが勝つためには打率以外にも起用され続ける理由があるはずで、主力選手としての証ともいえます。
今回は、ミドルエッジ世代が馴染み深い1960〜1990年代を対象に、捕手を除いて、"シーズン打率最下位" を記録した意外な名打者を紹介します。
今回は、ミドルエッジ世代が馴染み深い1960〜1990年代を対象に、捕手を除いて、"シーズン打率最下位" を記録した意外な名打者を紹介します。
衣笠祥雄(広島 / 1973年, 1986年)
あの球界の "鉄人" も、シーズン打率最下位を記録していました。連続試合出場記録の元世界記録保持者&現日本記録保持者、衣笠祥雄です。通算安打数で歴代5位の2543安打の記録を持つ彼ですが、なんと二度もシーズン打率最下位を記録しています。1973年と1986年です。
1973年 454打数 94安打 打率 .207
1986年 477打数 98安打 打率 .205
特に驚きなのが、1986年は広島がリーグ優勝した年だったということ。もちろん、130試合全試合に出場していますが、シーズン前半はクリーンアップを打っていたものの、後半は6番に打順を下げ、打率も1割台に落ちたことがありました。その一方で守備力が評価され、三塁手としてゴールデングラブ賞を受賞しています。
1973年 454打数 94安打 打率 .207
1986年 477打数 98安打 打率 .205
特に驚きなのが、1986年は広島がリーグ優勝した年だったということ。もちろん、130試合全試合に出場していますが、シーズン前半はクリーンアップを打っていたものの、後半は6番に打順を下げ、打率も1割台に落ちたことがありました。その一方で守備力が評価され、三塁手としてゴールデングラブ賞を受賞しています。
【プロ野球】生涯の友「衣笠祥雄への熱き想い」江夏さんが語る涙と笑いの物語【江夏豊】【高橋慶彦】【カープOBを回る旅】【第1弾】
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野村克也(南海 / 1977年)
"捕手を除く" と前置きはしましたが、打撃の話でこの人を外すわけにはいきません。南海の最終年である1977年にシーズン打率最下位を記録した、野村克也選手兼任監督です。
1977年 447打数 95安打 打率 .213
野村は打率こそ低調ながらも、チームは前期は優勝争い、後期もAクラスと監督としては好成績を残しました。しかし、この年はサッチー介入が原因で、2試合を残して球団から解任通告。選手兼任監督を務めたのは8年間で数々の功績を残しましたが、残念な形で南海の退団が決まりました。その後の南海の低迷は、周知の通りです。
1977年 447打数 95安打 打率 .213
野村は打率こそ低調ながらも、チームは前期は優勝争い、後期もAクラスと監督としては好成績を残しました。しかし、この年はサッチー介入が原因で、2試合を残して球団から解任通告。選手兼任監督を務めたのは8年間で数々の功績を残しましたが、残念な形で南海の退団が決まりました。その後の南海の低迷は、周知の通りです。
第四話 エモヤン激白。南海には野村克也がいない
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王貞治(巨人 / 1980年)
まさかのまさか、あの "世界の王" こと、王貞治もシーズン打率最下位を記録していました。
1980年 444打数 105安打 打率 .236
1980年は、王の現役最終年。最後まで「4番ファースト王」として打席に立ち続けました。引退の年でリーグ最低打率というと、チームの勝利ではなく、記録更新のためだけに起用されたと思われがちですが、実際には、30本塁打、84打点を記録しており、正に4番に相応しい活躍を見せていました。"世界の王" でなければ、引退を考えるような成績ではなかったでしょう。
因みに、ここまで紹介した衣笠、野村、王は、歴代本塁打数トップ10に入る3人です。
1980年 444打数 105安打 打率 .236
1980年は、王の現役最終年。最後まで「4番ファースト王」として打席に立ち続けました。引退の年でリーグ最低打率というと、チームの勝利ではなく、記録更新のためだけに起用されたと思われがちですが、実際には、30本塁打、84打点を記録しており、正に4番に相応しい活躍を見せていました。"世界の王" でなければ、引退を考えるような成績ではなかったでしょう。
因みに、ここまで紹介した衣笠、野村、王は、歴代本塁打数トップ10に入る3人です。
【王貞治】世界のホームラン王はどんな人だった?王貞治との逸話!打撃よりもすごい王貞治の守備!特殊な打法の秘密!
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立浪和義(中日 / 1988年)
続いて登場するのも歴史的名打者で、歴代8位の通算安打数2480本の記録を持つ、立浪和義です。シーズン打率最下位を記録したのは、立浪が中日に入団して1年目の年。星野仙一監督は、遊撃手(ショート)だった宇野勝を二塁手にコンバートし、開幕試合から立浪を2番ショートで起用しました。
1988年 336打数 75安打 打率 .223
結局この年は110試合に出場。新人王、ベストナインに選ばれただけでなく、チームはリーグ優勝を果たし、立浪はオールスターにも日本シリーズにも出場しました。
1988年 336打数 75安打 打率 .223
結局この年は110試合に出場。新人王、ベストナインに選ばれただけでなく、チームはリーグ優勝を果たし、立浪はオールスターにも日本シリーズにも出場しました。
お待たせしました!『ミスタードラゴンズ』立浪和義が初登場!井端もド緊張のSP対談!来季ドラゴンズ構想は?まさかの新レギュラー候補の名前が・・・
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栗山英樹(ヤクルト / 1989年)
今や、侍ジャパン、日本ハムの優勝監督として名高い栗山英樹ですが、ミドルエッジ世代の野球ファンなら、現役時代の栗山も懐かしく思う人は多いでしょう。現役わずか7年の栗山が唯一規定打席に到達したのが、この1989年です。
1989年 420打数 107安打 打率 .255
打率 .255で最下位というのもかなり酷な話で、実際にこの年の栗山は、開幕からレギュラーで1番や2番に起用され、6月上旬までは3割前後を打っていました。その後は、持病の悪化で打率が低下。しかし、ゴールデングラブ賞を受賞し、キャリアハイの活躍を見せました。
1989年 420打数 107安打 打率 .255
打率 .255で最下位というのもかなり酷な話で、実際にこの年の栗山は、開幕からレギュラーで1番や2番に起用され、6月上旬までは3割前後を打っていました。その後は、持病の悪化で打率が低下。しかし、ゴールデングラブ賞を受賞し、キャリアハイの活躍を見せました。
栗山英樹 球際に強い!ダイビングキャッチ二選
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佐々木誠(ダイエー / 1989年, 西武 / 1996年)
ダイエー(南海)、西武で活躍し、首位打者も獲得したことのある名打者、佐々木誠。そんな彼も、なんと二度もシーズン打率最下位を記録していました。しかも、それが首位打者を獲得した1992年の前と後で、球団も別々の1989年と1996年です。
1989年 489打数 115安打 打率 .235
1996年 374打数 91安打 打率 .243
1989年は、めでたく結婚して迎えた福岡ダイエーホークスの初年度でしたが、打撃は不振を極め、一方、1996年は、怪我が続いて不調の中、ぎりぎり規定打席に到達しての最低打率でした。
1989年 489打数 115安打 打率 .235
1996年 374打数 91安打 打率 .243
1989年は、めでたく結婚して迎えた福岡ダイエーホークスの初年度でしたが、打撃は不振を極め、一方、1996年は、怪我が続いて不調の中、ぎりぎり規定打席に到達しての最低打率でした。
【佐々木誠 ホームラン】南海ドラフト6位で入団も4年目からレギュラー。ドラフト時好投手が多かった同期高卒ピッチャーも紹介。ダイエー時代は首位打者&盗塁王も秋山幸二ら3人と世紀の大トレードで西武に移籍
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