【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!
2023年11月13日 更新

【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!

「南海の三悪人」とは、門田博光、江本孟紀、江夏豊の三選手のこと。野村克也氏が、南海ホークスの選手兼任監督時代に "最も言うことを聞かなかった選手" として三人を総称した呼び名です。これは、彼らの実力を認めていたことの裏返しでもあり、親しみも込めた呼称だったのでしょう。"三悪人" の当時の様子を振り返ります。

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「南海の三悪人」とは

「南海の三悪人」とは、野村克也氏が南海ホークスの選手兼任監督時代に "最も手を焼いた三選手" につけた呼び名で、門田博光、江本孟紀、江夏豊のことです。個性的でわがままで言うことを聞かない三人でしたが、必ずしも悪い意味ばかりでなく、ヤンチャで自己中心的でありながらしっかり結果を残す彼らの実力を評価し、親しみを込めた呼称でもありました。後年、野村は「この三人のおかげで、監督として鍛えられた」とも述べています。

野村が選手兼任監督を務めたのは、1970年から1977年までの8年間。そのうち、1970年に入団した門田とは8年間フルにチームメイトで、江本は移籍してきた1972年から4年間、江本とのトレードで移籍してきた江夏とは1976年から退任までの2年間付き合いがありました。

学年は、門田と江本が同級生、江夏がその一つ下です。門田は江本、江夏いずれもチームメイトになりましたが、江本と江夏は互いにトレードの相手だったので、一緒にプレイしたことはありません。
選手名 生年月日 南海在籍期間 野村とプレイした年数
門田博光 1948年2月26日 1970年〜1988年 8年
江本孟紀 1947年7月22日 1972年〜1975年 4年
江夏豊 1948年5月15日 1976年〜1977年 2年

江夏 vs. 江本 対談

野村克也が「南海の三悪人」という呼び名に込めた本当の意味

門田博光

野村監督の言うことを聞かなかった選手として、筆頭に挙がるのが、門田博光でしょう。野村監督就任一年目に入団し、新人時代からことごとく監督の指導に反発しました。たとえば、「ヒットの延長がホームラン」と言う監督に対し、門田は「ホームランの打ち損ないがヒット」と真逆のことを主張します。何とか説得しようと野村監督が助けを求めたのが、自身のライバルで稀代のホームランバッター、王貞治​氏
ある年のオープン戦で巨人と対戦する際、門田氏を王貞治氏のところへ連れて行き、話を聞かせた。

「ワンちゃん、ちょっといい? ワンちゃんはいつもホームランを狙って打っているの?」
「とんでもない。ヒットの延長がホームランですよ。ホームランを狙って打てるなら、今ごろ1000本くらい打ってますよ」

 このような会話を交わしたそうなのだが、門田氏は黙って聞いていたという。そして監督が「ほら見ろ、ワンちゃんだってああ言ってるぞ」と言うと、不貞腐れたような表情でそっぽを向いていたそうだ。

「なんや?」と尋ねる監督に、門田氏は「監督はずるい。王さんと前もって打ち合わせしたんでしょ」と返したそうだ。これには監督も呆気に取られ、「もういい。勝手にせい!」と言い放ったのだという。
球界で最も説得力のある選手でも門田を説得できず、結局、さじを投げました。

それでも、野村監督は、門田を高く評価しており、打順は自身の前の3番に据えます。その期待に応え、門田は2年目にして、打点王のタイトルを獲得。本塁打も野村監督を超え、「大振りしないで塁に出ればいい」と言っていた監督からすれば、快く思っていなかったかもしれません。

1977年オフに野村監督が退任すると、チームは暗黒時代に入りますが、門田は自由に自分の好きなバッティングができるようになります。その後は、3度の本塁打王2度目の打点王のタイトルを獲得。567本塁打1678打点は、いずれも王、野村に次ぐ歴代3位の記録です。

江本 vs. 下柳 対談

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江本孟紀

江本孟紀は、プロ入りは東映フライヤーズでしたが、その年のオフに南海ホークスに移籍。その際、野村監督から「お前の球はいい」「俺が受けたら二桁勝てる」「エース番号付けて頑張れ」と言われ、痺れたといいます。

野村の言葉通り、江本は、背番号16番を付け、移籍初年の1972年に背番号と同じ16勝を記録。翌1973年は前後期制が導入され、江本は9勝6敗、防御率1.52で前期優勝に貢献します。阪急とのプレーオフでも、第3戦で完投勝利を挙げ、第1戦、第5戦では抑えの切り札として登板し、南海ホークスリーグ優勝胴上げ投手となりました。巨人との日本シリーズでも第1戦に登板し、完投勝利を挙げています。
 江本氏は25歳だった1971年のオフに東映から南海へトレード移籍した。野村さんについて江本氏は「この人は言葉が上手い」とひと言。会った初日に「お前の球は俺が受けたら2桁は勝つよ。だからエースナンバー付けとけよ」と言われたという。その言葉に身震いするほど感動した江本氏。結果的に1972年のシーズンは野村さんとのバッテリーで16勝をマークした。

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しかし、その後、後の野村監督夫人・野村沙知代が選手起用に口を出すようになり、チーム内がごたごたし出します。選手を代表して野村監督に抗議に行った一人が江本で、それが原因かは不明ですが、1975年オフ、阪神タイガースとのトレード要員に選ばれてしまいます。トレードの相手は、三悪人の一人、江夏豊。二人の間で舌戦があったと言われていますが、江本本人が否定しています。二人は大の仲良しです。

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江夏豊

阪神タイガースのエースとして君臨していた江夏豊に、南海ホークスへのトレード話が出たのが1975年オフのこと。チーム内のごたごたで人間関係に疲れていた江夏でしたが、事前に、野村監督と会食する機会を得ます。

会食の当日、野村監督が開口一番発したのは意外な一言でした。

「おい江夏、あの時の球、意識してボールほうったやろ」

それは、1975年10月1日の対広島戦、満塁フルカウントの場面で、江夏が衣笠に意図的にボール球を投げて三振をとったピッチングのことでした。江夏は自身の策を見抜いていた野村の深い読みに心を掴まれ、トレードを承諾します。

移籍一年目の1976年は、防御率こそ2.98ながら、6勝12敗9セーブと大きく成績を落とします。先発で長いイニングを投げられなくなっていた江夏に、野村監督はリリーフへの転向を提案。最初は頑なに拒んでいた江夏でしたが、「野球界に革命を!」の言葉に再び心を掴まれ、リリーフ転向を承諾します。そして、翌1977年19セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。

野村監督の退任が決まると、自身も移籍を希望。金銭トレードで、広島東洋カープに移籍します。その後の江夏は、抑えの切り札として本当に革命を起こし、最多セーブ6回と守護神として大活躍。広島の日本一、日本ハムのリーグ優勝に貢献しました。
 剛腕・江夏にとっての「革命」、それは野村克也と出会ったことでのリリーフ転向だった。阪神のエースとして君臨した江夏だったが、チームの和を乱すとの酷な理由で南海へとトレードに。放出は江夏にとって耐え難い屈辱だったが、そこに待っていたのは選手兼任監督の野村だった。

 先発完投が花形とされていた昭和の時代にクローザー転向を提案。「革命を起こせや」との野村のメッセージは語り草になっている。

 実はこの発言、野村が考え抜いた殺し文句ではなく、会話の終わりに偶然出たものだったらしい。それでも「俺にとっては身に突き刺さる、新鮮な言葉だった」と江夏の心をたぎらせたのだった。

江夏 vs. 江本 対談

江夏豊の心を一瞬で掴んだ野村克也の”ある言葉”とは?
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