筋骨隆々・寺尾!18歳の貴花田に敗れ、さがりを花道に叩きつけた!1勝14敗でも貴乃花に勝ちたい!!
2020年4月23日 更新

筋骨隆々・寺尾!18歳の貴花田に敗れ、さがりを花道に叩きつけた!1勝14敗でも貴乃花に勝ちたい!!

元関脇鶴ヶ嶺を父に持ち、二人の兄も力士で、井筒3兄弟と言われた角界のサラブレッド・寺尾。しかし、親の七光りではなく、努力と情熱で39歳まで現役を続け、鉄人と呼ばれた。貴花田との名勝負や貴闘力や小錦の最後の取組相手にもなった寺尾の足跡を辿る。

107,652 view

寺尾常史(てらお つねふみ)

1963年2月2日生まれ。
東京都墨田区生まれ。鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身。

身長185cm、体重116kg。最高位は東関脇。
角界での愛称は「アビ」。井筒部屋に外国人の見学者がやってきた際、"a baby"と言ったところ、兄たちが「アビ」と聞き違え、そのまま愛称として定着した。
引き締まった筋肉質の身体をしていた寺尾

引き締まった筋肉質の身体をしていた寺尾

もろ差し名人として鳴らした元関脇鶴ヶ嶺を父に持つ。また、母は25代横綱2代西ノ海の孫娘であった。
長兄は元十両鶴嶺山、次兄は元関脇逆鉾という力士一家に生まれた。井筒3兄弟と言われた。

父・鶴ヶ嶺は厳格な人間であり、その影響で小さいころから父に対しては敬語を使っていたという。
甘いマスクの力士でもあった

甘いマスクの力士でもあった

角界入りの裏に亡くなった母の愛情

安田学園高校入学後に相撲を始める。厳しい稽古を乗り越えて試合で勝つことの爽快感から相撲にのめりこむようになっていく。2年生時点では角界入りを志すようになっていたが、長兄が次兄の入門の際に強硬に反対したことから角界入りへの意思をなかなか伝えられないでいた。

しかし、1979年5月場所の千秋楽の日、癌で闘病中であった最愛の母を見舞った後長兄に突然「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ?」と声を掛けられた。

その後母の通夜の晩に父親に入門の意思を伝え、そのまま高校を中退して兄達を追うようにして角界入りする(寺尾は後年インタビューで「あのお兄ちゃんの言葉は、おふくろの置きみやげだったと思ってるんですよ。きっと俺の気持ちを判っていて、相撲取りにならせてくれたんだな、って。」と往時を振り返っている。)。

入門後は寺尾節男を名乗った。これは母(福薗節子)の旧姓・寺尾から取ったものである。
父・鶴ヶ嶺

父・鶴ヶ嶺

体重を増やすのにひと苦労した

初土俵の時に85kgしかなかった体重を100kgまで増やすために大変な努力をしたという。
横になると口から食べたものが出る程食べ、夜も食べ物が胃から腸に下りるまで壁に寄りかかり、横になれるのは明け方から数時間程度という生活を約5年続け、100kgの大台に乗ったのは1984年(昭和59年)9月場所のことである。
まだ髷も結えない頃の寺尾(右)

まだ髷も結えない頃の寺尾(右)

筋骨隆々になる以前。

相撲の取り口と連続出場記録

現役時代はソップ体型(相撲用語で筋肉質・比較的痩せ型の力士のこと)だった寺尾。
若い頃は回転の速い上突っ張りといなしで勝負しており、その敏捷な動きから海外公演で「タイフーン」の通称がついたほどだった。また右を差すこともあり、下手投げは強かった。

晩年は突っ張りの後、父・兄が得意としていた両差しの相撲を取るようになった。

1997年3月場所で骨折し、初土俵以来続いた連続出場記録が1359で途切れるが、39歳まで現役を続け、鉄人と呼ばれた。
寺尾

寺尾

18歳の貴花田に敗れ、悔しがった寺尾

1991年3月場所、18歳の貴花田に敗れ、さがりを叩きつけるなど悔しさを露にした。
引退直後の会見で、「今まで一番悔しかった取組」としてこの一番を挙げた。それでも寺尾は引退後に「あの悔しさがあったから長く相撲が取れた」と語っている。

後の2010年に大相撲中継にゲスト出演した際に、この一番について「悔しい気持ちはわかるけど、あれ(下がりを叩きつける)はいけませんね(笑)。もし、弟子が同じようなことをしたら即刻注意しますね(苦笑)。」と語っていた。

貴花田 × 寺尾/ 1991.03

貴花田に対して対抗心をむき出しにする寺尾。上記の取組後は相撲協会に、寺尾の態度に対して苦情が殺到した。当の寺尾自身はあまりの悔しさに食事ものどを通らなかったそう。
本人は「高3(18歳)には負けたくない」と取組に臨んだと後年語っている。
また、同じく角界のサラブレッドであり、兄弟力士として人気があったことも影響しているのかも知れない。

以降、対戦成績では大差をつけられるが、「1勝14敗でもいいから貴乃花に勝ちたいと思っていた」という寺尾。満身創痍の身体を熱く燃え続けさせたのは打倒・貴花田(貴乃花)であることは間違いないだろう。

1995年の3月場所に横綱・貴乃花から初の供給となる金星を獲得している。

【名勝負】平成3年 夏場所 貴花田vs寺尾

貴乃花vs寺尾

貴乃花vs寺尾

40 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 👊the grand sumo 2021/9/14 06:15

    名横綱58代「千代の富士」も引退という「カド番」を勧告した先代「プリンス」の実子弟子・・・
    あれは「バブル崩壊」の暗示みたいに見えた

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

98年以降、長らく日本出身”最後の横綱”だった若乃花!実は横綱昇進の口上で引退を表明するつもりだった!

98年以降、長らく日本出身”最後の横綱”だった若乃花!実は横綱昇進の口上で引退を表明するつもりだった!

2017年1月25日、大関・稀勢の里が横綱昇進を決定させた。19年ぶりの日本出身力士の横綱誕生となったが、20世紀最後の日本出身横綱は若貴ブームで有名な若乃花だった。また、稀勢の里が2016年に年間最多勝を獲得するまで、日本出身力士としては若乃花が最後に受賞していた。
ひで語録 | 13,033 view
【宮沢りえ】美人ハーフモデルとして一世を風靡!かつて披露した官能シーンや貴乃花との婚約・V6森田剛との再婚もチェック!

【宮沢りえ】美人ハーフモデルとして一世を風靡!かつて披露した官能シーンや貴乃花との婚約・V6森田剛との再婚もチェック!

かつてその美貌で多くの男性ファンを魅了した宮沢りえさん。大胆にも全てを晒け出した写真集や貴乃花との婚約も大きな話題になりましたね。近年ではV6森田剛さんとの再婚といったニュースも見逃せません。今回の記事では、そんな宮沢りえさんにスポットを当て、そのご活躍ぶりをエッチな目線を加えて振り返っていきたいと思います。
tsukumo2403 | 3,280 view
貴乃花  決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

貴乃花 決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

千代の富士、小錦、武蔵丸、朝青龍、兄、若乃花、数々の名勝負。宮沢りえとの破談、兄との確執、洗脳騒動、母親の不倫など数々のスキャンダル。小泉純一郎に「「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」」といわせた武蔵丸戦とその後のケガとの戦い。中卒でプロの相撲の世界に入った貴乃花は、嵐のような人生を職人的なプロフェッショナリティーで、ガンコに、一途に、真っ直ぐに進んでいった。
RAOH | 1,045 view
若貴、きんさんぎんさん、冬彦さん、ストⅡ…1992年(平成4年)を特集した『なつかしカタログ日本1992』が好評発売中!

若貴、きんさんぎんさん、冬彦さん、ストⅡ…1992年(平成4年)を特集した『なつかしカタログ日本1992』が好評発売中!

三栄より、1992年(平成4年)を特集した書籍『なつかしカタログ日本1992』が現在好評発売中となっています。価格は990円(税込)。
隣人速報 | 520 view
弟・貴乃花光司との因縁再び!?文化放送「おとなりさん」で花田虎上が放送作家に“エグい”相撲ドラマを要望!!

弟・貴乃花光司との因縁再び!?文化放送「おとなりさん」で花田虎上が放送作家に“エグい”相撲ドラマを要望!!

「おとなりさん」(文化放送)のゲストコーナー「10時のおとなりさん」の7月5日のゲストとして、第66代横綱若乃花・花田虎上が出演しました。放送作家・鈴木おさむに“新たな相撲ドラマ”を提案したほか、弟・貴乃花光司についても言及!
隣人速報 | 190 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト