フィッシュマンズ
1987年初夏結成。当初のメンバーは佐藤伸治 (Vocal/Bass)、小嶋謙介 (Guitar)、茂木欣一 (Drums)。最初にオリジナル曲として佐藤が持ってきたデモテープは、『Blue Summer』だったという。
1988年5月、都内ライヴハウスにて活動を開始。8月、柏原譲 (Bass) 加入。
1989年、世はバンドブーム。初レコーディング作2曲をキャプテンレコード(当時、雑誌『宝島』が主催していたインディーレーベル)より発売のコンピレーション『PANIC PARADISE』に提供。
1990年3月、ハカセ (Key) 参加。4月、初のワンマンライヴ@渋谷ラママ。10月、レコード会社 ヴァージン・ジャパンと契約(後にメディア・レモラスに社名変更)。ハカセ、11月に正式加入。
その後、バンドは変化する。
ポリドール移籍後の『空中キャンプ』、『LONG SEASON』、『宇宙 日本 世田谷』のいわゆる「世田谷」3部作を発表した時期からテクノ系の雑誌やサブカルチャー系の雑誌にもたびたび取り上げられるようになった。
1999年3月15日、ボーカルの佐藤が死去。これによりバンドは活動を休止する。
2005
4月、2枚組みのベスト・アルバム2タイトル『空中 ベスト・オブ・フィッシュマンズ』『宇宙 ベスト・オブ・フィッシュマンズ』をリリース。茂木欣一監修の下、レコード会社移籍をまたいだ全キャリアを網羅し、デモ、ライヴなど、レアトラックを多数収録。
8月、RISING SUN ROCK FESTIVAL '05にてライヴ。ファン、関係者に驚きと歓喜をもって迎えられた。茂木、柏原に加え、90年代のサポートミュージシャン勢、ヴォーカリストに忌野清志郎、UA、ハナレグミ、原田郁子をフューチャー。
【CINRA NEWS】 フィッシュマンズの初評伝、デビューからラストシングルまで90年代の日々を描く: デビューから20年を迎えた今もなお、多くのファンを獲得し続けるバンド「フィッシュマンズ」の初となる評伝『フィッシュマン... http://bit.ly/gFXQrS
— №bu (((\( ̄ー ̄)/))) (@O_Glacialis) March 1, 2011
“ 佐藤君はプロレスが大好きだった。因みに嘘みたいだけどバンド名の由来は「フィッシュマン」というメキシコの覆面レスラーからきている”意外な事実。90年くらいはプロレスとロック両方好きな人今より多かったけど / “「僕とフィッシュマ…” http://t.co/pI0C1XisoI
— キク (@kiq) August 2, 2015
メンバー
佐藤伸治(さとう しんじ、1966年2月16日 - 1999年3月15日) ボーカル、ギター、コルネット、楽曲のほぼ全ての作詞、作曲を担当。結成前は「時間」と言うアマチュアバンドに在籍していた。1999年3月15日に死去。33歳没。
茂木欣一(もてぎ きんいち、1967年12月15日 - ) ドラムス、コーラス、結成時から在籍。2001年、東京スカパラダイスオーケストラに正式に加入。MariMari rhythmkiller machinegunでもドラムを担当している。
柏原譲、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)と「So many tears」を結成し活動している。
小嶋謙介(おじま けんすけ、1966年1月28日 - )
ギター、ボーカル、結成時から1994年まで在籍。作詞作曲も手がけ、自身の脱退後もライブで演奏されていたナンバーでは「土曜日の夜」などがある。脱退後は音楽を離れデザイナーなどの仕事をしている。
ハカセ(はかせ、1967年 - )
キーボード、1990年から1995年まで在籍。作詞作曲も手がけ、自身の脱退後もライブで演奏されていたナンバーでは「オアシスへようこそ」などがある。脱退後はソロやLITTLE TEMPOのメンバーとして活動している。
柏原譲(かしわばら ゆずる、1968年12月20日 - )
ベース、1988年から1998年まで在籍。1998年に脱退したものの、その半年後に佐藤が急死したため、フィッシュマンズの全ての音源に参加したことになる。一旦は音楽業界から離れることを決心していたが、佐藤の死をきっかけに音楽業界に戻り、Polaris、OTOUTAとして活動している。