今でも日本のポピュラー音楽界を牽引する存在の元祖「三人娘」の一人、雪村いづみを振り返る
2018年9月2日 更新

今でも日本のポピュラー音楽界を牽引する存在の元祖「三人娘」の一人、雪村いづみを振り返る

2014年にはデビュー60周年、そして喜寿を迎え、現在もますます活発に活動している雪村いづみ。1953年に16歳でデビューし、以来数々のヒット曲を飛ばした。故人の美空ひばり、江利チエミと共に元祖「三人娘」としても人気を博し、半世紀以上にわたり、日本のポピュラーミュージック界を牽引してきた。そんな彼女を振り返ってみよう!!

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”雪村いづみ”という歌姫をご存知ですか??

最近の雪村いづみ

最近の雪村いづみ

雪村 いづみ(ゆきむら いづみ)は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。同年代の人気少女歌手であった故江利チエミと故美空ひばりと共に元祖「三人娘」の一人として称されている。日本歌謡界の重鎮。

本名 朝比奈 知子 (あさひな ともこ)愛称は本名の”ともこ”から「トン子」、又は「トンちゃん」
生年月日 1937年〈昭和12年〉3月20日(81歳)
出生地 東京府東京市目黒区大岡山(現:東京都目黒区大岡山)
血液型 B型
職業 歌手、女優
活動期間 1952年 -
著名な家族 妹:朝比奈愛子
      長女:朝比奈マリア

裕福な家庭に育つ?!・・・

1950年代の画像

1950年代の画像

1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。
父:愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、ギターやウクレレは、セミプロ級の腕前を持っていた。そのせいだろうか、いずみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接することができたようだ。また、戦後は進駐軍の関係者が家に出入りし、生の英語が飛び交うような家庭だったため、いずみは、日常的に音楽や英語に触れる環境で育たれたのだ。

いづみの父が自殺したことがいづみの歌手転進を後押し!?

いづみの人生は幼児期までは、順風満帆だっだに違いない。しかし、天は彼女に対してそのままの人生を許さなかった。1946年いづみがが9歳の時、父:愛三が自殺したことによって、いづみの人生は一転してしまう。母が洋裁店を開いて生計を立てようとするも、経営はうまく行くはずもなく生活は困窮し、いづみは、高校に通うことすら困難になってしまった。(高校受験には合格したが、学費が払えず、入学を断念したとも言われている)

そんないづみは、1952年15歳の時、麻布の知人宅でお手伝いさんを募集しているとのことで、家計の支えになればと雇ってもらおうと訪ねたそうですが、小柄で弱々しく見えたため、断られてしまったのだった。

Izumi Yukimura - THE CALL OF THE FAR AWAY HILLS

落胆したいづみは新橋まで、とぼとぼとと歩いて行くと、ちょうど、母の知り合いである、「フロリダ」というダンスホールのマネージャーと再会した。彼にアイスクリームをご馳走になりながら談笑していると、突然、あ、『ビコーズ・オブ・ユー』という歌なら英語で歌える!と閃き、彼にお店で歌えないか、直談判したそうだ。結果は”OK”だったそうだ!!。
いづみ本人は回想録の中で、「大きいマイクを前に一生懸命歌ったら、ダンスしていた人たちがみんな踊りを止めて、ステージに寄ってきてくれて、拍手してくれちゃったの!、それで、『明日からおいで』って言われた」そうだ。

結果的に見ると、他界した父が引き合わせたのだろうか?!

同年5月には日劇ミュージックホールのレビュー『サンマー・スキャンダル』の煙草売りの少女役に合格、7月には初舞台を踏みプロ歌手としてデビューした。8月下旬には当時最大の芸能プロダクションだった木倉音楽事務所の社長・木倉博恭に見出されて同プロ入り。同年秋には日劇『秋のおどり』に出演する。進駐軍クラブにも出演し、いづみのパフォーマンスは好評だったという。

Izumi Yukimura - TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU

翌年の1953年4月、テレサ・ブリュワーの「TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU」のカバー曲である「想い出のワルツ」でレコードデビューすると、瞬く間に20万枚の大ヒットを記録する。この動画は映画の一部ですが、題名はわかりませんでした!!。

Till I Waltz Again With You by Teresa Brewer 1952

本家本元の歌声!!。聞き比べて下さい。

Blue Canary_-_Izumi Yukimura (1983).mp4

以降、雪村いづみは、「はるかなる山の呼び声」(1953年)、「青いカナリヤ」(1954年)、「オウ・マイ・パパ」(1954年)、「マンボ・イタリアノ」(1955年)、「チャチャチャは素晴らしい」(1955年)など次から次にヒットを飛ばし、一躍人気歌手となった。

チャチャチャはいかが 雪村いづみ izumi yukimura 1956年

この歌は、映画『あなたも私もお年頃』(1956年)の挿入歌としても知られている。

"三人娘”と称される!!

同年代の人気少女歌手である江利チエミ・美空ひばりと共に「三人娘」の一人として称され、その人気を不動のものにしたのだった。
ジャンケン娘 [DVD]

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この「三人娘」と称された江利チエミ・美空ひばり・雪村いづみが主演した1955年(昭和30年)公開の東宝映画『ジャンケン娘』は空前の大ヒットを記録。以後、『ロマンス娘』(1956年)、『大当り三色娘』(1957年)、少し期間を置いて『三人よれば』(1964年)も製作された。

監督 杉江敏男
脚本 八田尚之
製作 杉原貞雄、福島通人
出演者 美空ひばり
    江利チエミ
    雪村いづみ
音楽 松井八郎
主題歌 美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ「ジャンケン娘」

武者修行のような渡米!?

その後、雪村いづみは、米国の歌手であり女優のシャーリー・マクレーンの尽力もあり、1959年に渡米して、1950年代から1960年代にかけて人気を博した歌手・女優のダイナ・ショアの人気番組、「The Dinah Shore Chevy Show」に出演し、芸能各紙から絶賛される。

米国に渡った理由としては、大きく二つが考えられる。
まず一つ目は、歌手としてポピュラーやジャズ音楽を極めてみたいという向上心だろう。私も、若い頃大学を卒業した時、専攻分野をもうちょっと極めたい欲求があって、米国に留学した覚えがあるから、このような行動は理解できる。

二つ目は、母親の膨大な借金を返済するための行動だったのではなかろうかと私は推測する。
当時、母親の借金が8500万円(当時高卒の初任給が5000円くらいなので、現在の貨幣価値に換算すると約25億円位になる!)にまで膨れ上がり、にっちもさっちも行かない状況だっだのだ。それで少しでも見入りの良い米国で公演を行うためだったのではなかろうか?!!。

アメリカでは・・・映画『君も出世ができる』(1964年)より

雪村いづみの経験から生まれた映画のようだ!!
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