江利チエミ
江利 チエミ(えり チエミ、1937年1月11日 - 1982年2月13日[1])は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレントである。本名は久保 智惠美(くぼ ちえみ)。
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江利チエミは独学でクラリネット奏者になりましたが、軍事徴用での作業で指先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりしました。音楽センスの素晴らしい人間で、デビュー当時のチエミは吉本興業に所属していました。当時の吉本は今のような規模だはなく、花菱アチャコと江利チエミくらいしかスターはいませんでした。
江利チエミは「元祖」サザエさん
映画の『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)もヒット。後にテレビドラマ化もし(1965年 - 1967年)、舞台化もされ生涯の当たり役となりました。
「サザエさん」は、1956年12月12日に公開された日本映画で製作、配給は東宝です。1961年公開の「福の神 サザエさん一家」まで全10作が製作・公開されることとなり、監督は全て青柳信雄でした。本作では、サザエとマスオの出会いを中心に展開していました。基本はコメディですが、主演が人気歌手の江利チエミであったことから「サザエさんはジャズが大好き」という設定になりました。ですから劇中でたびたび歌うシーンが登場し、まるで音楽映画のような側面も垣間見えます。
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江利チエミ版・サザエさん オープニング
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夫は高倉健
1959年(昭和34年)、江利チエミがゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚します。家庭に入るものの、翌1960年(昭和35年)に本格的に芸能界に復帰。高倉と結婚した3年後の1962年に、チエミは妊娠し子供を授かりましたが、重度の妊娠中毒症を発症し、中絶を余儀なくされ子宝には恵まれませんでした。
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2人の結婚生活はやがて、トラブルに見舞われる。付き人をしていた江利チエミの異父姉による横領事件や、2人を攻撃するデッチ上げ話を流したりするなど、夫婦関係をこじらせる行為を繰り返したのです。高倉に迷惑をかけてはならない、と1971年(昭和46年)に江利チエミ側から高倉に離婚を申し入れることになります。江利チエミは数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻しました。
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江利チエミの異父姉との出来事もあり、2人は71年に離婚。12年の結婚生活でした。
2月16日は #高倉健 の誕生日である。死後にその存在が明らかになった"養女"は、遺産を総取りする一方、健さんの豪邸を解体し、江利チエミとの水子墓も更地に。これまでの「 #週刊新潮 」報道は以下を参照のこと。https://t.co/Ci0vyFQ5yr
— デイリー新潮 (@dailyshincho) February 16, 2017
元夫、高倉健は生前、世田谷区瀬田に豪邸を持っていました。江利チエミと結婚し、新居を構えたのがこの場所であり、その結婚から3年後に妊娠するも、妊娠中毒症で中絶、70年には火事で自宅が全焼しました。更に翌年、2人は離婚。江利チエミが帰らぬ人となったのは、その11年後でした。このようなことから、彼はこの土地に大変な思い入れを持っていました。
世田谷区瀬田の豪邸は、2016年5月に解体工事が始まり、敷地内に建っていた3棟のうち2棟が取り壊されました。そして、養女が社長を務める高倉プロを建築主として新築の住宅を建設中で、2017年春に完成予定です。
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江利チエミと高倉健の悲しい思い出が刻まれた場所はもう1カ所ありました。神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園です。高倉健はこの地に江利チエミとの間の水子を弔うための水子墓をたて、折に触れては訪れ、手を合わせていたといいます。しかし、高倉健の死後、養女が墓地を更地にしてしまい、その水子墓も今はもうありません。
高倉健の名作映画「鉄道員(ぽっぽや)」の特集で、再び涙して頂ければ幸いです。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
倉健の名作映画「鉄道員(ぽっぽや)」の特集。涙無しには観れない感動作。時代は変わっても、人の触れ合いはやはり温かいです。