$(ドル)を稼いだ始めての日本人歌手!!
いづみはあるインタビューで、「アメリカでいわゆるオーディションを受けなくちゃいけなくて、そのために先生を捜してレッスンを受けたわ。自分で探さなきゃいけなかったから大変だったけど、ラスベガスのホテルのラウンジで歌っていた時、ナンシー・ウイルソンのピアニストが、「1日25ドルで3日間レッスンしてみませんか?」と声をかけてくれて、喜んでレッスンを受けたの。そうしたら最初は真ん中のCが出るか出ないかだったのが、その3日間で上のCまで出るようになっちゃったの。1オクターブ上まで。そこで声の響かせ方が全然変わっちゃいました。」と回想している。
実際、同じ曲でも1950年代のものと1970年代以降のものを比べると、音の領域が全然違うことに気づいたのは私だけでしょうか??
実際、同じ曲でも1950年代のものと1970年代以降のものを比べると、音の領域が全然違うことに気づいたのは私だけでしょうか??
via www.ratspack.com
私生活もそんな甘くはなかった!!
1959年(昭和34年)頃には「ロカビリー3人男」の一人として一世を風靡したミッキー・カーチスとの熱愛が話題を呼び、婚約にまで至った。しかしミッキーとはその後、進展がなく1960年には、ミッキーに相談することなくアメリカ公演「ホリデイ・イン・ジャパン」のため渡米してしまい、それを知ったミッキーが慌てて出発直前に婚約指輪を贈ったとかいう裏話があるが、後に婚約解消している。
1961年(昭和36年)には、アメリカ公演時に知り合ったテンプル大学の学生ジャック・セラーを日本へ連れ帰り電撃結婚。長女・朝比奈マリアをもうけるが、1966年(昭和41年)に離婚。翌1967年(昭和42年)にはアメリカでバリトンサックス奏者の原田忠幸と再婚するも、後に離婚。1970年代には劇団四季の飯野おさみとの同棲も話題を呼んだが、これも後に破局し、以後は独身を貫いている。
1961年(昭和36年)には、アメリカ公演時に知り合ったテンプル大学の学生ジャック・セラーを日本へ連れ帰り電撃結婚。長女・朝比奈マリアをもうけるが、1966年(昭和41年)に離婚。翌1967年(昭和42年)にはアメリカでバリトンサックス奏者の原田忠幸と再婚するも、後に離婚。1970年代には劇団四季の飯野おさみとの同棲も話題を呼んだが、これも後に破局し、以後は独身を貫いている。
雪村いづみスペシャルコンサート(子ども地球サミット2009 in 南箕輪村)
雪村いづみ芸術的なパワーの源は大好きな「歌」と沢山の「恋愛」がそのパワーの源になっているようだ。
今は、元祖「三人娘」と呼ばれた美空ひばり・江利チエミが早くに他界してしまったので、余計に
雪村いづみには、これからもずっと元気で歌い続けて欲しいのだが・・・。
私が今応援している歌手の一人だ!!。
今は、元祖「三人娘」と呼ばれた美空ひばり・江利チエミが早くに他界してしまったので、余計に
雪村いづみには、これからもずっと元気で歌い続けて欲しいのだが・・・。
私が今応援している歌手の一人だ!!。
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その後、全米で人気のTV番組『エド・サリバン・ショー』、『ダニー・ケイ・ショー』、『アンディ・ウィリアムス・ショー』、『パット・ブーン・ショー』などにゲスト出演し、その歌唱力は大絶賛された。