魔術師と呼ばれた男 森雞二九段
2017年5月16日 更新

魔術師と呼ばれた男 森雞二九段

《受けの魔術師》の異名をとった森雞二(もり けいじ)九段の引退が決定した。 昭和将棋の名人、強豪と名勝負を繰り広げた男、米長永世棋聖とともに現代将棋の終盤を完成させたと言われる彼のことを、ご存知だろうか。

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森雞二九段について

 森雞二九段は1946年、高知県出身。
「月下の棋士」の主人公の氷室将介も高知県の港町出身なので同郷と言えば同郷である。

 16歳で将棋をおぼえて63年に奨励会へ。またたく間に初段にのぼり68年にプロデビュー。
 3年ほどC級2組に在籍した後は要領をつかんだのか71年C1昇級、72年B2昇級、74年B1昇級、76年A級昇級、77年A級初参加にして優勝と無類の強さを発揮している。

 78年は名人戦で中原名人に、棋聖戦で大山棋聖にそれぞれ挑戦。
 中原は強くないという発言をしたかと思えば名人戦には剃髪して臨んだり、谷川名人に対して「身体でおぼえた将棋を教えてやる」と言い放つなど癖の強い逸話が残っている。

 ただの曲者だと困ったものだが、森は滅法強い曲者だったからおおいに困りものだった。
 特に終盤の技術は逸品抜群。ついたあだ名が《終盤の魔術師》。
 同じく終盤技術で名を馳せていた米長邦雄永世棋聖と並び称され今では「現代将棋の終盤は森と米長がつくった」と語られることもある。
若き森雞二

若き森雞二

かなり整った顔立ちをしている。モデル事務所に所属していた時期もあるようだ。

魔術師の眼光 中原誠との戦い

 舞台は当然のように昭和将棋界であるが、当時、トップ棋士たちには共有されていたであろう頭痛の種があった。

 大山康晴である。

 彼は将棋が強い。それはいい。だが将棋以外でも強烈である。それが困りものだった。
 大山は実力性初代名人にして連盟の創設メンバー木村義雄の後継者的な位置にいる。この人脈力を勝負に関係させてくるのである。いくつかの逸話が残っており、なかには「大山と対局して優勢になった頃、大山の関係者が彼に大山がかわいそうだから負けてくれないかと頼みにきた」という話まで存在している。
大山康晴十五世名人

大山康晴十五世名人

 ゆえに、大山と勝負を繰り広げた人物たちには将棋以外の勝負譚も豊富である。
 クラシックとドイツ文学が好きで酒を飲まずに賭け事もしないという当時たいへんめずらしい趣味をもっていた山田道美九段ですら、大山に対して「頭に髪がなくてまぶしいから頭巾をかぶってくれないか」ととんでもないことを言ったらしい。

 その大山が盤外戦術で翻弄できなかった男がいる。中原誠である。
 ある日ゴルフ好きの大山が将棋関係者たちとのゴルフを主催したことがあった。たいへん暑い日でみんな風呂に入りたがっていたらしいが、ゴルフを終えると大山は先頭に立って宴会場の良い席に座ってしまった。主催者が座っているのだから付き合わざるを得ない。しぶしぶみんなも宴会場に入り、乾杯の準備までされていたらしい。
 そこに中原が来た。そして言った。「先に風呂にしましょうよ」と。
 これがどの程度勝負に影響したかはわからないが、大山時代を終わらせた人物と言えば中原であるということになっている。
中原誠十六世名人

中原誠十六世名人

 棋士たちにおいてはこのように、逸話やちょっとした話を生みがちな組み合わせというものがある。皮肉な言い回しを駆使する米長永世名人と皮肉がまったくと言って良いほど通用しない加藤九段のように。
 中原と森、というのもそういった組み合わせのひとつだった。
 
 第41期棋聖戦でのことである。
 中原は例によって巧みな攻めを使い森の陣に迫っていた。受けても受けても中原の攻めはとどまることを知らない。これに対して森が、
「切れてくれ!」
 と言った。思っていただけではない。実際に言ったのである。叫んだ、とも伝えられている。
 中原も中原で「そんな無茶な」と言ってから指したらしい。真顔であったとも言われているし、ふたりしてウフフアハハと笑っていたとも言われている。
 結局その対局は中原が勝ち、タイトルの棋聖も中原が奪った。
 この話には続きがある。
 
 第4局の打ち上げの席での話である。
 各位が注文したうな重が運びこまれてくるなか、中原だけが洋食を注文していた。コロッケなどが来ている。
 ふと、中原とひとつ席を挟んで座っていた森が言った。
「おいしそうですね。2個は食べられないんじゃないですか?」
 中原はあわててフォークを手にしたらしい。
 棋士は食べ物にこだわりがちである。だが他人のものに狙いをつけたという話は流石に少ない。しかしさっきまでタイトル戦を争っていた男に、あの森に見つめられたら焦りもするだろう。
 あるいは彼なら「タイトルは奪われたがコロッケは奪った」というようなことを言い出しかねない、というのは考えすぎだろうか。
1982年、当時36歳の森雞二八段

1982年、当時36歳の森雞二八段

魔術師対剣士 二上達也との戦い

 大山がいなければ活躍しただろうと言われる人物は多い。その代表格が二上で、彼は大山の先輩格である塚田正夫や升田幸三たちと互角以上の勝負を展開していた。もうひとり加藤一二三もいたが、彼はまだ伸び悩んでいた。中原はもちろん、山田道美もまだA級に来ていない時期の話である。
 そんな背景があるから、大山がいなければあるいは二上時代というものが棋史に残っていたであろうことは想像にかたくない。そのせいもあるだろう、二上は大山に星をささげる宿命を背負ってしまっていたという見方をする人も少なくない。結果を見るとそうも受け取れるからファンとしてはかなしい話である。

 その二上が、妖しく輝いた時期がある。
 1980年。第37期棋聖戦挑戦者として登場。最初の1局は落としたものの、その後は3連勝で奪取した。
 翌38期棋聖戦では中原名人が挑戦者として登場。二上と中原のタイトル争いは今まで2回あったが、どちらも二上が敗れている。これを、なんと二上は1勝もさせずに防衛してしまった。
 続く39期棋聖戦。挑戦者は加藤一二三十段。5年間で4期のタイトルを獲得し、加藤一二三史上でもかなり強い時期に入っているであろう彼を、二上はやはり3連勝でくだした。

 異常事態かもしれなかった。
 大山はすでに60歳手前、まだ第一線にいるとはいえ名人位を離れてから10年、無冠となることも珍しくなくなった。
 二上は50歳になっている。勝負師としての盛りは超えている年齢のはずであった。あるいは今まで大山らに抑えつけられていたものが爆発しているのか。裏には1978年に名人挑戦者決定プレーオフに参加、79年にB1降級、80年に復帰という波も発生している。

 そこに、森が現れた。
 森は本来、妖しい男ではない。人を惑わせ喜び、揺さぶりをかけて勝負に影響させるような人間ではないのである。ただ人とはちがう独特なところがあって、それはふつうとは違うルールで動いているから、人によっては戸惑いをおぼえる。不気味に、妖しく見える。芸術家に似ているかもしれない。
 二上のほうにもある境界が発生していた。ここで勝てば棋聖戦10連勝なのである。タイトル戦連勝記録というのは、相手が超一流に限られてくるため極端に難しい。ここで勝てば10連勝、この番勝負を制すれば永世棋聖。二上はそういう立場だった。

 第1局。二上は優勢をつくりあげた。あとはとどめを刺すだけということになる。
 だが70手を超えたあたりからまぎれが発生してきていた。優勢だった二上が、積極的に攻めるか否かの局面でわずかに弱気な手を指したのが原因だったとされている。
 100手を超え、夕食休憩を終えた後、検討していた芹沢博文八段が「しくじったかもしれない」とつぶやいた。
 こうされると二上さんがまずい、と芹沢八段が指摘する手を森は的確に指していく。
 20時27分。二上が投了した。

 勝負のあと森は、自分の粘り過ぎであり大勢では負けであったと頭を下げた。
 粘りに粘って最後まで逆転を狙うのは現代では当たり前かもしれないが、当時は「棋譜が汚れるからやめろ」と叱られかねない行為であった。
 記録が消えない限り、棋譜は永遠に残っていく。棋士には勝負師としての義務が課せられているが芸術家としての役目も課せられている。
 敗因はあっても勝因は無いとされる将棋界の厳しさと、徹頭徹尾傲岸不遜というわけではなかった森の姿がぼんやりとみえてくる、優れた逸話であると思う。
二上達也九段

二上達也九段

あたらしき時代に

新 将棋は歩から

新 将棋は歩から

森は著作活動が活発な棋士のひとり
 2006年、B級1組への昇級者のなかに森の名前があった。森はすでに60歳。偉業であった。
 森はその後も現役の勝負師として闘い続けたが、2017年3月、累積降級点が3つとなり引退が決定した。この時の成績は3勝7敗。大平武洋六段も同じく3勝7敗であったが前年度の順位差により降級点を免れている。
あと一年は頑張りたかった、という言葉は、この順位差による降級点事情が絡んでいるのかもしれない。


 ……ところで森にはギャンブラーとしての一面もあるという。
 一面があるどころかミスター・カジノマンという異名までついているらしい。カジノで千ドルチップを賭けるために将棋を頑張っている人なのだ、と。
 今年、加藤一二三九段の引退が決定している。もし森が残留していれば現役最年長となれる。もともと派手なことが好きな人である、テレビなどに出演すれば人気が出て、人気が出れば収入も増える。収入が増えれば賭けられる千ドルチップの数も増える!
 というような意味もあったのではないかというのは、やはり考えすぎだろうか。
引退が決定した森雞二九段。70歳。

引退が決定した森雞二九段。70歳。

どこかコミカルな逸話も多い森九段だが、やはり将棋盤を挟むと迫力がある。
思わず背筋を伸ばしたくなる画像が多い。
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