歩行者天国はいつから始まったのでしょう?
2023年9月1日 更新

歩行者天国はいつから始まったのでしょう?

1980年代の東京・原宿の歩行者天国は、竹の子族などが円陣を組んで踊ったり、インディーズバンドがあちこちで演奏する姿がTVや雑誌などに取り上げられていましたね。そんな歩行者天国はいつから始まったのでしょうか。

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はじめに

海外では歩行者天国に似た歩行者空間というものがあります。この歩行者空間とは、歩行者の安全や健康に配慮して設計されたルートやエリアをいいます。
この歩行者空間は、歩行者の安心感、遠回りの回避、歩きやすさなどを考慮して設計され、歩行者道、自動車が最適制御されている道路、公園、広場、街具等があります。
車両の通行を禁止したのは、1930年にドイツのエッセンにあるリンベッカー通りが世界で初めてであったといわれていますが、起源については諸説あるようです。

日本では、高度経済成長時代(1955年~1973年)に自動車による事故の急増や環境問題への配慮から、道路交通を車優先から歩行者中心へと転換が求められ、そのきっかけとして始まったのが「歩行者天国」です。警察により車両通行止めの規制を行い、車道部分を含めた道路全体を歩行者用道路として歩行者が歩けるようにしています。

歩行者天国の歴史

どこが「歩行者天国」の始まりかというのは明確でないようです。ですが各地で大なり小なり通りを歩行者に開放したイベントは以前から行われているようです。

大規模なもので日本初となったのが、北海道旭川市の平和通です。
1969年、8月6日から12日間に渡り、自動車を締め出し社会実験を行いました。この実験により一酸化炭素や騒音の激減が実証され、1972年6月1日から恒久的歩行者天国「買物公園」として現在も実施されています。

昼の買物公園(北側から南向き、2008年5月撮影)

昼の買物公園(北側から南向き、2008年5月撮影)


これより、全国各地で大規模な歩行者天国が実施されています。東京では、1970年は自動車急増の時代で、歩車道の分離や安全対策が追い付かず、交通死亡事故死が史上最多を記録するなど、警視庁が各商店会に協力を求め、歩行者天国を推進していました。

1970年8月2日(日曜日)に東京都内で銀座・新宿・池袋・浅草の4地区で繁華街の大通りの歩行者解放を実施。この時の人出は通常の日曜日の2.4倍にあたる78万超人。特に銀座は10倍の人出となりました。道路にはビーチパラソルや縁台、ビニールプールなど非日常的な光景が繰り広げられました。

宮城県仙台市青葉区東一番町通りでは、1970年から土曜・日曜に歩行者天国の実施を始め、1972年から全面歩行者天国となり、1979年には歩行者専用道路となりなっています。1993年より全天候型高層アーケードを整備し「ぶらんどーむ一番町」と変化しています。
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2022年夏の甲子園で優勝した仙台育英高校の横断幕が掲げられたぶらんど〜む一番町


1987年には神奈川県横浜市伊勢佐木町で恒久的歩行者天国が実施されました。現在伊勢佐木町1丁目と2丁目が全面歩行者天国「イセザキモール」となっています。また1987年には国土交通省の手づくり郷土賞(いきいきとした楽しい街並み)受賞しています。
イセザキモール

イセザキモール


愛知県名古屋市中区栄では、1970年9月から南大津通(大津通の栄交差点と矢場町交差点の間)で「なごや日曜遊歩道」と称し、歩行者天国を実施しました。残念ながら1984年に違法駐車増加などのために中止となっています。現在は臨時的に開催されているようです。
日曜日に行われる名古屋市・栄の歩行者天国の様子(2018年)

日曜日に行われる名古屋市・栄の歩行者天国の様子(2018年)

原宿表参道と上野中央通

1977年から1998年の間、歩行者天国が実施された原宿の表参道。歩行者天国と言えばここ!と認識している方も多いのではないでしょうか。
この表参道の歩行者天国には多くの若者が集まり、ロックンローラー族やバンドブームが起きました。なんと最盛期には一日に10万人の人出を記録し、竹の子族の影響から、竹下通りが発展したほどです。
1984年10月14日原宿竹の子族集合写真

1984年10月14日原宿竹の子族集合写真

原宿駅から明治通りに向かって全長350メートル程度の竹下通りは、毎日午前11時から午後6時までは車両進入禁止の歩行者天国となっています。

1977年に発足した地元の商店会、原宿竹下通り商店会では、竹下通りの出口である明治通りに複合ビル「パレフランセ」が開業した1974年を「竹下通り元年」としています。1977年にクレープ専門店「マリオンクレープ」や「カフェ・クレープ1号店(竹下通り)」が開店し、メディアで取り上げられると竹下通りや原宿を象徴する商品となりました。

1979年には「ブティック・竹の子」で販売された独特の衣装を着用して、表参道でパフォーマンスをする「竹の子族」が出現しました。
原宿駅側から見た竹下通り入口(2018年)

原宿駅側から見た竹下通り入口(2018年)


1970年からいち早く歩行者天国を実施した銀座地区を含む上野の中央通り。
中央通りのほぼ全線となる銀座地区から上野駅までの間で、毎週日曜日と休日に歩行者天国が実施され、東洋一の長さを誇るとも言われています。
銀座の歩行者天国

銀座の歩行者天国

おしまいに

さて、歩行者天国は誰でもどこでも実施できるのでしょうか。そんな疑問が湧いたので調べてみますと、道路上にオープンカフェなど出店する場合は道路管理者(国、都道府県等)の許可(道路占用許可)が必要で、歩行者天国を実施する場合は、所轄警察署長の許可(道路使用許可)も必要で、その際道路上にオープンカフェなどを出店する場合は道路管理者(国、都道府県等)の許可(道路占用許可)が必要になるそうです。勝手にはできないということですね。
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