米国から来たサムライ!ウォーレン・クロマティの心は日本人だった。
2016年11月25日 更新

米国から来たサムライ!ウォーレン・クロマティの心は日本人だった。

1983年にアメリカから日本の地を踏んだウォーレン・クロマティ。彼は、7年という長い間で、日本の心を育みサムライとなった。そんなサムライのカウボーイから侍になる現役時代から今までを振り返ってみましょう。

8,985 view
この本でも書かれているように、クロマティは優れた洞察力で、日本のプロ野球社会を観察し、溶け込む努力をしたのだと思います。

ベースボールではなく、野球をやりに日本に着たクロマティ。

サムライはいたのか、いなかったのかは、本を読んでのお楽しみに。

盟友、ランディ・バースとともに、セントラル・リーグを引っ張ってきたクロマティは、記録こそ、バースほどではないが、日本人の記憶に残るプロ野球選手でしょう。

あの、バッティングフォームは、よく、真似しました。
21 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • ⚾🧤 2020/4/21 09:15

    クロのへっぴりフォームマネなら
    まだしも打撃の応援歌を歌いながらバットをグルグル回してたら
    変なやつだと家族からツッコまれました

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【プロ野球】惜しかった!夢の大台 "4割" まであと一歩だった4人の強打者

【プロ野球】惜しかった!夢の大台 "4割" まであと一歩だった4人の強打者

日本のプロ野球史上、いまだ誰も達成していない夢の記録「打率4割」。安打製造機と呼ばれたあの人も、神様仏様と言われたあの人も、巨人歴代最高打率のあの人も、日米4000本以上打ったあの人も、あと一歩のところで手が届きませんでした。今回は、その4人の強打者の "あと一歩" を振り返ります。
izaiza347 | 2,175 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト