2016年11月25日 更新

米国から来たサムライ!ウォーレン・クロマティの心は日本人だった。

1983年にアメリカから日本の地を踏んだウォーレン・クロマティ。彼は、7年という長い間で、日本の心を育みサムライとなった。そんなサムライのカウボーイから侍になる現役時代から今までを振り返ってみましょう。

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最高のパフォーマンスを見せてくれたウォーレン・クロマティ!

ウォーレン・クロマティ(Warren Livingst...

ウォーレン・クロマティ(Warren Livingston Cromartie)

1953年11月29日生まれ
身長183cm、体重87kg
左投げ左打ち
ポジション:外野手

80年代の読売ジャイアンツを引っ張ってきた助っ人外人の人気者。あのランディ・バースがいなければ記録保持者になれた安打製造機。
万歳三唱など、パフォーマンスも優れており、TVでも引っ張りだこの選手。

クロウの獲得タイトル・主な表彰と記録

首位打者:1回 (1989年)
最高出塁率:1回 (1989年)
最多勝利打点:2回 (1984年、1986年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1989年) ※1994年より表彰

MVP:1回 (1989年)
ベストナイン:3回 (1986年、1987年、1989年)
オールスターゲームMVP:1回 (1985年 第2戦)
月間MVP:1回 (1986年8月)
東京ドームMVP:2回 (1986年、1989年)

オールスターゲーム出場:3回 (1985年、1989年、1990年)

ウォーレン・クロマティのプレースタイル

クロウのパフォーマンスは人気。

クロウのパフォーマンスは人気。

実力も備わっているからこそ、出来るパフォーマンス。
バッティングフォームに大きな特徴があり、極端なクラウチングスタイルは、良く真似する人がいました。これぞ、大リーガーとばかりに風船ガムを噛みながらのプレーはファンを魅了したものです。

しっかりと成績を残しているからこそ、ファンも出来るパフォーマンスを重視したスタイルは、日本人の中にこれぞ!メジャー!というものを植え付けたのではないでしょうか。

日本に来るまでは、海の向こうのメジャーで大活躍。

メジャー時代のクロウ

メジャー時代のクロウ

1972年の第1回日米大学野球選手権大会に出場した。1974年、マイアミ・デイド短大からアメリカ・メジャーリーグのモントリオール・エクスポズに入団。4年目頃からレギュラーに定着した。1983年のシーズンオフ時にFAとなって読売ジャイアンツへ移籍。

日本に来てからのクロウは、素晴らしい安打製造機に変身!

巨人クロマティ、広島津田からサヨナラホームラン - YouTube

1987年8月20日 後楽園球場。広島の伝説のストッパー津田恒美の渾身のストレートをクロマティが見事にはじき返しました。それにしても解説の長嶋さん、「エイトイニング」て・・・w
出典 youtu.be
入団1年目からいきなり35本塁打をマークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。1989年には打率3割7分8厘で首位打者、また4割4分9厘で最高出塁率のタイトルを獲得。20勝を挙げたチームメートの斎藤雅樹を抑えてMVPも受賞した。
1989年、4割を打って引退すると宣言。開幕から長打を捨ててヒットを量産し、シーズン規定打席の403打席(当時は130試合制、規定打席数は試合数×3.1)に到達した時点で打率4割を超えていた(この時点で残り試合を休めば4割打者が誕生していたことになる)。最終的な打率は.378まで下がり、4割打者誕生はならなかったが、96試合まで4割を維持したのは広瀬叔功の89試合を抜くプロ野球最長記録であり、.378は巨人の球団歴代最高打率である。 シーズン打率.360以上を2回(1986年、1989年)記録している。これは他にイチロー(1994年、2000年)と落合博満(1985年、1986年)しか達成していない記録である。1986年には打率.363を記録したが、この年は阪神のランディ・バースが日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得できなかった。シーズン打率が.360以上を記録しながらも、首位打者になれなかったのは、現在までクロマティただ1人である。
翌1990年は開幕から低調で7月まで.252、5本という成績ながらオールスターにファン投票で選出された。その後、8月以降は136打数53安打で打率.390、9本塁打と打ちまくったものの、この年限りで巨人を退団。直後に「さらばサムライ野球」を出版する。

引退後は、お得意のパフォーマンスで大人気♪

2002年、プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスに加入。2005年には、セミプロ野球のゴールデンベースボールリーグに参加する「ジャパン・サムライ・ベアーズ」初代監督に就任したが、ファンへの暴言や度重なる退場を理由に解雇された。
2007年6月1日、プロレスラーとしてデビューすることを、プロレスイベント「ハッスル」を主催するハッスルエンターテインメントが発表。6月17日に「ハッスル・エイド2007」(さいたまスーパーアリーナ)でタイガー・ジェット・シンと対戦し勝利を飾った。この試合ではかつて試合中に殴打した宮下昌己が来場し、クロマティを応援した。

【伝説の乱闘】巨人クロマティvs中日宮下 - YouTube

グーで殴っちゃいけません
出典 youtu.be

やっぱりクロウは、今でも巨人軍が気になる様子・・・。

クロマティを振り返って・・・

Amazon.co.jp: さらばサムライ野球: ウォーレン クロマティ, ロバート ホワイティング, 松井 みどり: 本

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Amazon.co.jp: さらばサムライ野球: ウォーレン クロマティ, ロバート ホワイティング, 松井 みどり: 本
この本でも書かれているように、クロマティは優れた洞察力で、日本のプロ野球社会を観察し、溶け込む努力をしたのだと思います。

ベースボールではなく、野球をやりに日本に着たクロマティ。

サムライはいたのか、いなかったのかは、本を読んでのお楽しみに。

盟友、ランディ・バースとともに、セントラル・リーグを引っ張ってきたクロマティは、記録こそ、バースほどではないが、日本人の記憶に残るプロ野球選手でしょう。

あの、バッティングフォームは、よく、真似しました。
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