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アレルギー : 蘇生~Anabiosis
¥2,540
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パンク・バンド全盛の1980年代に活動し、2012年に新メンバーで復活を果たした宙也率いるパンク/ニューウェーブ・バンド、アレルギーの再結成後初となるアルバム。セルフ・カヴァーを中心に、再結成後に作られた楽曲も収録。
バンドは、1985年に解散しました。
解散後、宙也は、元ボウイの高橋まこととDe-LaX を結成します。小野昌之はスターリンへ加入し、
荒木康弘はP-MODELに加入。そしてU子はパフォーマーとして活動後、1992年パリにて自殺しました。
そして2012年に宙也生誕50年~新宿ロフト・デビュー30周年記念祝祭で{新訳}アレルギーとして再結成。
解散後、宙也は、元ボウイの高橋まこととDe-LaX を結成します。小野昌之はスターリンへ加入し、
荒木康弘はP-MODELに加入。そしてU子はパフォーマーとして活動後、1992年パリにて自殺しました。
そして2012年に宙也生誕50年~新宿ロフト・デビュー30周年記念祝祭で{新訳}アレルギーとして再結成。
アレルギーの復活をボーカルが語る
アレルギーを復活させたわけですが、葛藤みたいなものはありませんでしたか。
宙也:なかったと言えば嘘になりますね。アレルギーが解散したのが1985年で、その7年後にU子が亡くなったという報せを受けたんです。その時に、もう二度とアレルギーの復活はないと思ったんですよ。あの4人にしかできない音だったと自負していたし、U子がいないのにまたアレルギーをやるべきじゃないと自分でも頑なに考えていたので。まぁ、解散してからU子とは交流がなかったから、本人の意思を確認したわけじゃないんですけどね。それから20年近く経って、僕が50歳になるのを前に、自分の両親が続けて亡くなったんです。肉親を失って初めて、亡くなった人が生きていた証を残すのはいま生きている人間にしかできないことだと悟ったんですよ。せめて葬式では、親父の意思やお袋の生き方みたいなことを伝えておきたいという気持ちが初めて沸き起こって。
宙也さんがまもなく50歳を迎えるタイミングは、U子さんの没後20年も間近だったということですよね。
宙也:そう、それもあったんですよ。50歳になる数年前から、アレルギーのマネージャーだった相原(弓)さんという女性と、勝井(祐二)君から「また是非アレルギーをやって欲しい」と同じタイミングで言われたんです。U子が亡くなって20年近く経つということもあって。僕はROVOが好きでしょっちゅう見に行っていたので勝井君ともよく話すようになっていたんだけど、偶然にも勝井君はU子の親友だったんです。同じ札幌出身で、上京したのはU子が先だったんだけど。アレルギーが解散した後に勝井君も上京してきて、よくU子と呑み歩いていたらしいんですよ。相原さんもプライベートでU子と仲が良くて。
U子さんと深い交流があった相原さんと勝井さんからの後押しもあって、アレルギー解禁に踏み切ったということですか。
宙也:僕自身、またやるべきなのか? またやっていいものなのか? と考えていたんですけど、その2人に後押しされたのは確かですね。勝井君も「絶対にやるべきですよ」と言ってくれたし、相原さんにも「U子がやっていたことをみんなに伝えるためにも是非やって欲しい」と言われたんです。確かにそれはそうだなと。さっきも話した通り、その人の生きていた証を残せるのはいま生きている人にしかできないことだから。U子はアレルギーをやって欲しくないだろうなと僕は長いあいだ勝手に思っていたんだけど、相原さんと勝井君の言葉で踏ん切りがついたんです。
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宙也のバンド再開への想いが良く伝わってきます。
映像関連
アレルギー作用 宙也 U子 東京フラストレイション - YouTube
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アレルギ- / 「蘇生~Anabiosis LIVE DVD」SPOT - YouTube
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ALLERGY - Our Time (@ 新宿LOFT 1984.10.27) - YouTube
Last Live At Shinjuku Loft -1984.10.27-
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アレルギー 「不知火」 MV from the album 『蘇生~Anabiosis』 (2014) - YouTube
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ゴシック・ロック~ポジティブ・パンク色の強い、なかなか味のあるロックを聴かせてくれるバンドなので是非聴いてみて下さい。