2017年10月24日 更新
カミソリ入りの封筒も送られた…田原俊彦と松田聖子の共演CMとは
1980年。当時新人アイドルとして人気絶頂だった聖子ちゃんとトシちゃんが、グリコアーモンドチョコレートのCMで共演していたのをご存知でしょうか?グリコとしては、末永く2人をイメージキャラクターに据えたかったものの、双方のファンからの抗議が凄すぎて、わずか1作限りで封印されたこの伝説のCMについて紹介していきます。
とっかえひっかえ過ぎる?!松田聖子の男性遍歴
松田聖子といえば、数々の男性と浮名を流してきた恋多き女として有名。特に話題になったのが、郷ひろみとの仲。ジャニーズの不文律により、別離を余儀なくされたときの会見で飛び出した「一生懸命愛してました」「生まれ変わっても一緒になろうね」のフレーズはあまりにもドラマチックであり、世間に大きな衝撃を与えました。
松田聖子
そのわずか1ヶ月後に、神田正輝と結婚を発表し、愛情が冷めていったら今度は英会話の先生だったジェフ・ニコルスと不倫関係になり、その次はバックダンサーのアランリードと交際、神田と離婚後は歯科医の波多野浩之氏と結婚するも2年で離婚し、マネージャーとの交際を経て、2012年には一般男性と再々婚…。芸能界広しといえど、ここまでとっかえひっかえした女性タレントは、彼女くらいなものでしょう。
ジェフの暴露本『壊れた愛』
山口百恵と三浦友和の後任として白羽の矢が立った、松田聖子&田原俊彦
そんな永遠のアイドル・松田聖子の華麗なる男性遍歴における始点となった人物が、田原俊彦です。きっかけとなったのは、今から35年以上前に放送されたグリコアーモンドチョコレートのテレビCM。今でこそ、ロバート秋山のなりきりキャラが出演するネタCMと化していますが、かつてアーモンドチョコレートのCMといえば、若手アイドルや人気俳優の登竜門でした。
ロバート秋山【マイクロズボラ】グリコ アーモンドピーク※
その元祖というべき存在が、山口百恵と三浦友和。2人が出演した同商品のCMは、1970年代におよそ6年に渡って放送され、大変な評判を呼びます。が1980年、2人の結婚及び百恵ちゃんの芸能界引退によって、CMは打ち切りに。長きに渡ってアーモンドチョコレートのブランディングを担った2大スターを失ったグリコサイドは次なるアイコン探しに奔走。そして白羽の矢を立てたのが、当時、アイドルとしてデビューしたばかりだった聖子ちゃんとトシちゃんだったというわけです。
山口百恵・三浦友和
CMのロケ地は、当時リゾートとしてにぎわっていた清里高原
1980年9月。松田聖子&田原俊彦のグリコアーモンドチョコレートのテレビCMは公開されました。ロケ地となったのは、山梨県の清里高原。1970年代から80年代にかけて、この地は『an・an』『non-no』などの女性誌で頻繁に取り上げられたことで、人気が急上昇。これらの雑誌やガイドブック片手に、一人ないし少数で旅行に来る若い女性・通称「アンノン族」のメッカとして活況を呈し、それに合わせてペンションやタレントショップが乱立したといいます。しかし、バブル経済の崩壊を境に、ブームは沈静化。最盛期は一坪500万円もした地下は、今や一坪3万円程度までに下落し、かつての喧騒が嘘のように静まり返っています。以上、余談。
清里駅前
既に大型新人として売れっ子だった2人
この山梨のリゾート地で撮影が行われた当時の2人といえば、既に超がつくほどの売れっ子。聖子ちゃんは同年4月にデビューシングル『裸足の季節』が、続く7月にセカンドシングル『青い珊瑚礁』がヒットチャートを賑わせ、トシちゃんもデビューシングル『哀愁でいと』が71.9万枚の大ヒット。期待の大型新人として多忙を極める中での撮影だったため、2人とも前日の深夜に現地入りしたといいます。
友達以上恋人未満な大学生を熱演!
CMにおける2人の役柄は、友達以上恋人未満な大学生。CM曲に使われたトシちゃんのセカンドシングル『ハッとして!Good』の「パステルに染まった高原の Telephone Box♪」という一節から始まる歌詞に合わせて、電話をかける聖子ちゃんにトシちゃんがバッタリ出くわし、そこからハッと恋が目覚める…といった内容のショートストーリーになっています。
有名なのが、ラストのワンシーン。自転車で並走する際、トシちゃんがサッと手を出し、聖子ちゃんが反射的に掴むシーンです。実はこれ、トシちゃんのアドリブだったのだとか。とっさの思いつきながら「僕らの青春は今始まったばかりだ。」という、ラストに挿入されるトシちゃんのナレーションにもバッチリ合っていました。
田原俊彦 松田聖子 グリコチョコレートCM
田原俊彦 グリコ アーモンドチョコレート下敷き
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