デビュー当時
北海道室蘭東翔高等学校時代はバスケットボール部に所属していた。当時のニックネームは「ハルク」だった。入門は1985年5月、1986年11月2日で野上彰(現:AKIRA)を相手にデビューした。若手時代の1989年、馳浩と共にグルジアでサンボ修行を行っており、グラウンドレスリングの技術力が非常に高く、道場でコーチを務めていた時期もあった。
長州力と組んでIWGPタッグ王座に
J・J ・JACKS結成
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2000年G1タッグリーグ優勝
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村上一成との因縁
【ザ・ケンカファイト】橋本真也、飯塚高史VS小川直也、村上一成 -2000.1.4.東京ドーム- - YouTube
-2000.1.4.東京ドーム-
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1999年1月4日、小川直也対橋本真也戦における場外乱闘で、小川のセコンドについていた村上和成に対し、一時昏睡状態に陥るほどのダメージを負わせた張本人とされる(これが原因で、村上は一時執拗に飯塚の首を狙っていた)。
2000年1月4日、橋本とのタッグで小川・村上組と対決。橋本を馬乗りパンチで攻める小川をドロップキックで駆逐するなど大活躍し、最後はスリーパーホールドで村上をKOした。この一戦がきっかけで一躍大ブレイクし、決め技となったスリーパーは前述のように飯塚の代名詞となった。
村上一成をスリーパーで絞め落としたシーンは衝撃的でした。
全国の新日本ファンを魅了!!
全国の新日本ファンを魅了!!
天山広吉との友情タッグ
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2008年4月27日、同タッグで真壁刀義、矢野通組が保持するIWGPタッグ王座に挑戦した。ところが、試合終盤で天山をスリーパーホールドで締め上げ王者組をアシストした。試合後もリング上で天山を痛めつけヒール転向を宣言、「G・B・H」入りを果たす。5月2日の天山戦では頭を丸坊主にし、現在の容姿と化した。またこの頃から飯塚の代名詞とも言われる「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」を使用し、当初は全く喋らないギミックでその不気味さを際立たせていた。
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獲得したタイトル
新日本プロレス
IWGPタッグ王座:3回(第10代、第27代、第59代)
パートナーは長州力、山崎一夫、矢野通。
G1 TAG LEAGUE 優勝(2000年)
パートナーは永田裕志。
プロレスリングノア
GHCタッグ王座:1回(第28代)
パートナーは矢野通。
プロレス大賞
2000年度プロレス大賞 技能賞
2011年度プロレス大賞 年間最高試合賞(8月27日、ALL TOGETHER日本武道館大会、矢野通、飯塚高史VS武藤敬司、小橋建太)
フレッシュな頃のタイトルと、超ヒールと化した後のタイトル・・・
いずれにせよ、ただものではありませんな。
いずれにせよ、ただものではありませんな。