1980年代に入ってからは、密室芸の披露の場を減らし、深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)などで、知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大していく。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。
「夜の顔を昼に」がコンセプトで、『森田一義アワー 笑っていいとも!』と『笑っていいとも!増刊号』で昼の顔も開花する
また、この時期、深夜のタモリのイメージを崩さないという目的で深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)も放送開始、これもまた、30年以上続く人気番組となっている。
『いいとも!』で司会術を磨いたタモリは、1983年には『第34回NHK紅白歌合戦』(NHK総合テレビジョン)の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が、「NHK紅白歌合戦」の総合司会を務めたのは、タモリが初という異例の起用である。また、1987年4月3日からは音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)で2代目メイン司会を務め、25年以上続いている。
演歌歌手になったアイドル
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実は私は演歌歌手としてデビューする予定でした。子供の頃から民謡で育ち、今のレコード会社の少年民謡会にも所属していたので。
ですが直前に、演歌には若すぎると路線変更。若かったので言われるがまま、歌とダンスのレッスンをおこない、2~3カ月でデビューしましたが、よく間に合ったと思います。正直なかなかアイドルの歌や振り付けになじめなかったり、衣装にはこんなに露出があるのかとびっくりしたり、ダンスもこわごわ踊っていました。
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やがて歌番組が減り、私も含めアイドルがドラマに多く出演する時代に入った時に、スタッフから演歌に戻る提案を受けました。それは私の念願だったはずなのですが、10年近く演歌から離れていたので不安の方が大きくて。レッスンを受けてもアイドルの歌い方が抜けず、歌手として崖っぷちに立っていたと思います。
そんな時、美空ひばりさんなどを手がけてきた境弘邦さんという音楽プロデューサーの方とご縁ができまして。彼自身、55歳で借金をして起業したばかり。私のことを人として心から理解しようとしてくれ、崖っぷち同士共にがんばろうと言ってくれたんです。
そこで私のスイッチが入り、発声からレッスンをし直し、11年目に演歌に転向。その時の曲「蜩-ひぐらし-」は、当時演歌では売れないと言われるリズムの曲で周囲から大反対されましたが、境さんが押し切りヒットしました。今の私があるのは、その時の「誰も歩いていない道を歩いて行けば、いつか誰かが気づいてくれる」という彼の言葉のおかげです。
石川さゆりさんもアイドルから演歌歌手へ転向し成功した
1973年3月25日、「かくれんぼ」でアイドル歌手として日本コロムビアよりデビュー。それから4年後の1977年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットとなり、第19回日本レコード大賞歌唱賞など、数々の音楽賞を受賞した。
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トップアイドルは都度イメージチェンジし続けている
中森明菜はかわいらしいアイドルから、ちょっと「つっぱり路線」へ
声が低いというのと、少し暗い感じがあって不良アイドルとして売られたわけですが、この路線は、当時の社会情勢(学校が荒れていた時代ですから)を考えれば妥当でした。
「少女A」からが不良っぽいイメージを植えつけることに成功した作品。
いかにトップアイドルでも、いつまでも若いわけではない。ある程度一貫したコア・アイデンティティは保ちながら、上手く都度イメージチェンジしていく必要があります。
「少女A」からが不良っぽいイメージを植えつけることに成功した作品。
いかにトップアイドルでも、いつまでも若いわけではない。ある程度一貫したコア・アイデンティティは保ちながら、上手く都度イメージチェンジしていく必要があります。
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昭和の歌姫の「中森明菜」の曲はいずれも名曲ですが、松田聖子の分かりやすい明るいイメージと比べると暗いイメージの歌が多い
重いめんどくさそうな女性なイメージ。そういう松田聖子との差別化戦略だったのでしょう。
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中森明菜 - DESIRE - YouTube
この曲には、ほんとビックリしました。
アイドルグループ化が多い現代では、中森明菜のような一人で際立ち続けられるようなスターはなかなか出てこないでしょう。
曲ごとのイメージ作りもしっかりとしていました。
アイドルグループ化が多い現代では、中森明菜のような一人で際立ち続けられるようなスターはなかなか出てこないでしょう。
曲ごとのイメージ作りもしっかりとしていました。
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小泉今日子も松田聖子に似た雰囲気だったが
ショートカットにイメージチェンジをして、明るくキュートな容姿が広く支持され、その人気は不動のものとなり、歌手活動以外にも、ドラマや映画に出演して一躍トップアイドルに躍り出た。
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髪をショートカットにイメージチェンジした5作目のシングル『まっ赤な女の子』でブレイク
娯楽が多様化している現在、時間をめぐる戦いは熾烈を極めています。売れ続けるということは非常に困難なことです。
きっちりとした違いを作ることは大切で、タレントの数だけ様々なイメージ戦略・路線変更がこれからも生まれ続けるでしょう。
きっちりとした違いを作ることは大切で、タレントの数だけ様々なイメージ戦略・路線変更がこれからも生まれ続けるでしょう。